あの満月の夜、僕はあの人と出会った。
場所は穏やかな海の砂浜。波の音が静かに流れ、月は空と海、2つの世界に浮かんでいた。
僕は裸足で砂浜を歩く。一つ一つ足跡が砂浜に刻みつけられる。小さな小さな子供の足。それは僕が望んでいたことだった。永遠に子供でいたい。僕と籠命が共に願っていたこと。
だけど、僕らはその願いを叶えようとして、いろんなものを失った。帰るべき故郷。仲の良い友人。自分自身。それでも僕は願いに固執する。過去にずっと縋りつく。そうして未来を、自分の中にいる悪魔を、自分自身を、もっとも大切な友達を拒絶した。
砂浜を歩く僕の体には、籠命の服が纏ってある。僕の服は血だらけになったから、あの世界で燃やしてしまった。だから、籠命の服をこっそり拝借していたのだ。服からほんのり籠命のにおいがする。それが僕と籠命を繋いでる唯一のものだった。
「こんな夜更けに散歩か?坊や」
あの人はそんな風に声をかけてきた。僕を男だと人目で見抜き、この頭から出ている耳を恐れずに話しかける人物に、僕は興味を持った。
「…あなた…誰…?」
あの人は優しげに笑い、自分の名前と職業が陰陽士であることを告げた。あの人は僕の服装を見た後、空に昇りかけた月と海に浮かぶ月を眺め、僕の顔を見た。その顔に有るのは憂いか、悲しみか。僕はそれを測ることが出来なかった。
「単なんか着て散歩なんて珍しいと思ったけど、君はいったい何者だ?名前から聞こうか」
僕は自分の名前を言おうとして、口ごもる。僕はもうあの名前、紫煙院の苗字は名乗れない。僕はあの場所を捨ててここに来たのだから。だから、僕は自分の名前を言おうとして口を開けては閉じるという奇妙な動作を繰り返してしまった。
「どうしたんだ?もしかして、名前が無いとかか?」
僕は「…違う…ちょっと…」としか返せなかった。それでもあの人は僕にそれ以上追求はしなかった。僕の回答を待っていてくれるのだ。僕はそれで落ち着いて考える。新たな自分の苗字を。
「…との…みや…」
僕はゆっくりとして、それでいてはっきりした声で新たな名前を、自分を表す名前を言った。
「…兎宮…白梅…それが…白梅の…名前…」
僕の発言を受けて、あの人は一拍置いてから僕の瞳を見つめ、感想を述べた。
「兎宮 白梅か…きれいな名前だな」
僕はあの人の瞳を覗く。澄んだ瞳だった。何もかも見透かれそうな瞳。僕に親はいない。いたのだとしても、顔を知らない。だが、この人からは父親のにおいがした。あの人は僕に数々の質問をした。けど、僕が答えようとしなかったことを追求しなかった。30分ほど話して、不意にあの人が提案する。
「身寄りがいないんだろ?なら俺のところに来い。子供一人ぐらい増えたところで養えなくはないからな」
急な提案で僕は戸惑った。僕はあの人の意図を測ろうと、表情を窺った。そこには、優しげな笑み。彼は、僕のことを知っているのではないか?そう錯覚させてしまう。
「それに、ちゃんとした服を着させてやるよ。何時までも女物着てるわけにはいかないだろ?」
彼は悩んでいる僕の手を握った。僕より少し低い体温。それでも、心の温もりは伝わった。僕はこのまま体を委ねてしまいそうになる。そこで1度思い止まり、深く考える。が、それを打ち破るのもまたあの人だった。
「そう深く考えるなって…よいしょっと」
「…えっ」
彼は僕の背中と足に手を回し、そのまま抱き上げる。僕は見上げる格好で、彼の顔を見た。そこには、実に楽しそうな笑顔があった。僕の顔が赤く染まる。……不意にも僕は、この人物に一目惚れしてしまった。耳が僕の心臓の鼓動が早くなるのを捉える。彼の袍の胸の部分をぎゅっと掴んだ。それを感じて、彼は気持ちのいい笑みを浮かべる。僕はそのまま、彼に従うことにした。
「じゃあ…行くぜ!」
それが、僕とあの人の出会い。あれから僕はずっと、あの人の元にいた。いなり姉さんと会って、たまと会って。僕は束の間の幸せを得た。それが終わるときでさえ、僕は幸せに感じていた。
僕は思えば、ずっと幸せの中にいたのかもしれない。わずかな不幸で未来に絶望し、拒絶した後でさえ幸福に恵まれた。だから、いずれその報いを受けるときが来ると思う。
だから最後の幕引きは、誰にも迷惑が掛からないように、自分の手で引こう。

僕は真実の時に降り立つ。そこは、僕と白梅が死んだ瞬間。全ての始まりの場所。そう、思えば最初からおかしかった。過去に戻るのならば、僕の記憶も消えるはずだ。脳だけ過去に戻らないなんて事は無い。だから、記憶も脳から消去されるはずなんだ。それでも僕は記憶していた。つまり、僕は「過去に戻る」のではなく、「過去に進んで」いたのだ。死ぬと同時に蘇生して、同じ日の朝に行く。これの繰り返し。しかしそれでは、僕が無限に増え続けてしまう。なら、真実はどこか?
そしてここに答えがある。
止まっているようで動いている。そう、夢幻回廊は文字通り夢と幻。あれは、そうであると思い込まされた夢でしかなかった。真実は、あの死んだ瞬間から時間を止めたように動かす。つまり、コンマ以下のわずかな時間を進めている間に僕に夢幻回廊の世界で答えを見つけさせる。白梅の限界とは、死ぬ前のわずかな時間で行ったために、徐々に死んでいったから。
化け物は今にも白梅を食い破り、この世から生まれようとしている。ここにいる僕は、夢幻から生み出された夢に過ぎない。だけど、ここからが勝負なんだ。そこにいる僕と、そしてずっと待っていた白梅を救い出せるように。僕は意思の剣と、僕と言う盾を最大活用する。
意思とは、未来を切り開く力。そして、その顕現たる剣は持ち主の意志を貫くために、あらゆる障害を打ち破る。
僕は白梅に近づき、耳元で囁く。
「もう、力は使わなくていい。僕が何とかするから。だから、そのまま楽にしてて」
聞こえているとは思わない。けど、僕の意思だけは伝えた。白梅の瞳から、涙が伝った気がした。
時間が、動く。
化け物は順当にこの世に生を受けた。白梅はその引き換えに死亡し、僕も同様にまもなく死亡する。僕は意思の剣を、天空に向かい振った。それは、意思そのものの顕現の合図。後は、僕が贄に捧げられればいい。大丈夫。後はもう1人の僕がうまくやる。
「我が魂を喰らいて顕現せよ」
僕は自らに剣を突き刺す。痛みは無い。ただ、自分が消え去る感覚だけはあった。重い意思は、代償を必要とする。僕はそれを知っている。過去にやったことと同じ。しくじることは無い。僕が願ったこと。僕が思ったこと。全て天に届けば、後は白梅と黒百合、そしてもう1人の僕がやってくれる。大丈夫、記憶はほぼ継承される。
剣が地面に落ちた。そこにはもう、誰もいない。
さあ、未来を変えよう。今度こそ、誰もが笑える結末になるために…

そして僕は蘇生する。僕は痛む体を無理やり動かしながら落ちた剣を拾いつつ、白梅の元に向かった。化け物は生まれたことを誇示するように身震いする。白梅は白いワンピースを血で染めていた。それだけで心配になるが、傷はふさがっているようで、息も確かにあった。…大丈夫。白梅は生きている。
僕は白梅を抱きかかえる。それから、安全なところへ運ぶと化け物を見た。
そいつは目の前から消えた僕らを探し出そうと必死になっている。そこにあるの純粋たる破壊の権化。ただ周囲のものを破壊しては満足しないで次々飲み込む悪魔。僕は白梅と離れるように、化け物の元へ向かう。化け物は僕を見つけると、その目を輝かせた。
ちょうどいい獲物を見つけたって言うことか。
僕は剣を強く握る。化け物は触手を伸ばし僕を捕縛しようとする。僕はそれを一閃で切り裂き、さらに白梅から離れるように動く。今の白梅に気づかれるとまずい。なるべく時間を稼がなければ。化け物は地面を抉って、僕の行く手を塞ごうとする。僕はたまの力を借りる。
瞬間、飛んでいる石の動きまで、手に取るようにわかる。僕はジャンプして最小限の動きでその攻撃を避けると、着地と同時に化け物に向かって空気を一閃する。空気の刃が、化け物を切り開かんと襲い掛かる。化け物は、それを硬化させた触手で受け止めた。僕は舌打ちをすると、今度は丘の上に上る。ここなら遠くまで見渡せる。化け物はこいつ1匹じゃない。黒百合が生んだ奴もいるはずだからだ。
ジュォォオオォォオォォォォォォォ!!!
化け物が雄叫びを上げる。それだけで天は裂かれ、混沌を覗かせる。その隙に丘の上まで到着し、辺りを見回す。
近くにある小学校のほうが騒がしかった。そこにはこれと同じ化け物が校舎を蹂躙しているのが微かにわかる。その周囲に、黒百合が飛んで迎撃しているのも。
後ろから風が動くのを感じた。
僕はとっさに右に向かってジャンプする。僕のいたところを、無数の触手が襲い掛かる。触手はそれだけでは飽き足らず、大きく跳ね返り、さまざまな方向へ飛んでいく。もちろんその方角の中には、僕が居る方角も含まれていた。
「ッハァ!」
僕は気合とともに剣を振り下ろす。硬化されているはずの触手は、真っ二つに引き裂かれた。それに反応してか、他の触手が一斉に僕のほうへ向かう。手短に一番近い触手を踏み台にして、さらに夜空を飛ぶ。触手はなおも追いかけてくる。今度はいなりの力を借りる。左手に炎を生み出す。掌で蒼く燃えるそれは、断罪の炎そのものだ。それを剣に乗せ、放てばいい。大丈夫。やり方はいなりが僕に教えてくれる。心に強く念じれば、従者と主は強く結ばれ、意識を共有できる。これは、その応用。
「いなり…力、使わせてもらうよ…ありがとう…」
剣に炎が纏う。瞬間、無重力。そして、滑空。加速していく自分の体。近づく触手。剣が、暗闇を燈す光となる。意思をまとった天罰。それは、断罪。
断罪の炎が、触手を包んだ。
触手は蒼い炎に焼かれ、天から墜ちる。どれだけ強く、硬くなったとしても、その炎からは逃れることは出来ない。
だが、それはその理を逆手に取る。化け物は触手を自ら切除した。炎は本体まで届かず、あっという間に触手を燃やすのみ。そこからが、化け物の化け物たる所以である。
驚異的再生能力。見る見るうちに触手が回復、更なる強化を始める。
化け物は不死身なりとは言い当て妙だな。
昔読んだ小説を思い出した。化け物を定義する際に、化け物とは不死身であることが重要だといっていたのを覚えている。確かに、不死身な化け物は恐ろしい。それは、対抗手段が少ないということだ。不死身であるということは、徐々に弱らせることが出来ない。つまり、あれだけの存在を一度に消滅させなければならない。それはとても骨が折れることだけど…やるしかない!
「たまの力…いなりの力…全てをこの瞬間に…」
触手は完全に回復して、大地に降り立った僕を目指し殺到した。地面を強く踏みしめる。足に力をこめる。それは、人外の力。今、僕は天へと上る星になる。呼吸が澄んでいく。体は燃えるように暑い。けど頭は風が吹きさらしなくらいに涼しい。大丈夫。これなら行ける。
「ハアァァァァァァァ…!!!!」
自らを鼓舞する雄叫びとともに空へ。すんでの所を触手が掠める。目の前に来る触手は全て燃え散らした。天へと上る流れ星は、化け物の真上で制止する。焔は夜風にさらわれ、数秒の滞空。無音空間。
打ち破るのは、剣に宿った意志の力。それを断罪の炎で包み、具現化させる。体中の力が剣に収束する感覚。意志そのものの物質化。その全てをこの化け物にぶつける!
「……イレス…カムイ!」
心のそこから生まれた言葉が、いつの間にか口から出ていた。剣は振り下ろされ、物質化した意志は鳳凰に変化し、化け物を煉獄へと誘った。灼熱業火。炎の色は白。それは星が生み出す炎に等しい。
化け物は奇声を上げ蠢く。力を討ち尽くした僕は僅かに残る力だけで、落ちる場所を調節する。着地間際に剣を振り、落ちる速度を殺してから着地する。体中がだるい。いくら肉体をたまの力で強化しているとはいえ、さすがにきつい。剣で体を支えていないと立てないほどに。
燃え盛る化け物はその炎から逃れようとあらゆることをしていたが、それでも逃れることはできない。断罪の炎は、地獄の炎。煉獄の炎。対象を燃やし尽くすまで燃え続ける炎からは、誰も逃れられない。
その理を破壊してこそ、化け物は怪物になる。
怪物の体が燃え盛る中で声が奇声から意味ある言葉に変化した。
「………我……望む……破壊……破滅……修正……再構成……」
口がないのにどこから声が出ているのかと不思議に思ったが、怪物は直接こちらの脳に語りかけてきた。頭の中で声がするのはなんとも気持ち悪い。
「……虚無……混沌……終焉……崩壊……」
まるで辞書から適当に言葉を引っ張ったかのように、文字の羅列という、会話にならない言葉を発する。正直、聞くに堪えない。が、そんなことを思っている場合ではなかった。怪物は炎に包まれたまま戦闘を続行したのである。地面を抉りながら触手は僕の元へ向かう。僕は痛む体を強引に動かして間一髪で避ける。
だが、この怪物はそれだけでは終わらない。今度は上から、面状に触手を動かす。今の僕では、あれを避けきるのは不可能だ。僕は残る力を振り絞って、剣を大きく振った。嵐が起こる。風の守りとなったそれは、触手を切断し、炎を掻き消す。
後ろから、足を掴まれた。
振り向くとそこには小さな触手。小さい分ほかの触手とは比べ物にならないほど強化されたそれは、炎すら断ち切りずっと僕の隙を窺っていたのだ。そして今、それは足枷として僕の自由を奪う。
嵐が止む。もう僕を守るものはない。
もう蘇生はできない。ここで死んだら、そのまま三途の川を渡ってしまう。
僕は死ぬ前に、白梅の顔を思い浮かべ…
風に浚われた。
咄嗟の出来事。僕は誰かの横腹に抱えられ、再び大空に舞い戻る。下では触手が獲物を逃したと暴れている。
「まったく世話が焼けるにゃ」
僕抱えた人物がそんな風に愚痴った。僕はその言葉にほっと安堵する。見知った人物。こんな荒事だとこれほど頼もしい人物はいない。
「ありがと。たま」
たまは歯を見せにかりと笑った。無邪気な笑顔はたまの真骨頂だ。たまは僕を化け物から少し離れた所に避難させると、いろいろと質問してくる。
「なんにゃ?アレ。それに白梅はどこにゃ?」
僕はなにから説明しようかと迷う。この2人はここまでの経緯を知らない。それを説明するのは骨が折れそうだ。
「まあ、危ない奴がかおるを虐めてることには変わりないじゃろ?」
後ろから足音。慣れ親しんだ声。頼もしい威厳に包まれ、手には既に刀が握られていた。
「かおる。まだ生きているようじゃな」
「その言い草はないよ。いなり」
いなりは風に髪を靡かせ、僕に笑顔を向ける。が、口が笑っていない。いなりはゆっくり、しかし確実に僕へ近づく。
「この弩阿呆!」
何か図太いものに叩かれた。僕の首は垂直に曲がり、一瞬どこを向いているか見失う。頬が痛い。いなりは怒りで顔を紅潮させ、僕を睨んだ。
「この弩阿呆!昨日今日まで平凡に暮しとった奴がこんなとこで何をしておる!いや、何ができる!図に乗るのも大概にせい!」
そこから怒涛のお説教。思わず正座に直そうとして、体の痛み顔が歪む。それを見たいなりは心配そうに僕の体を支える。顔を上げると、近くにいなりの顔があった。瞳には涙。とても怒っている人物には見えない。僕が疲れた笑顔を見せると、恥ずかしがって視線をそらす。その時僕の右手に握られた剣を見た。いなりの目が見開く。
「かおる…この剣は…」
そこでいなりは口籠る。僕は説明せずに、ただ「僕のものだよ」と告げた。
「そうか。ならきっと…大丈夫なのじゃな」
いなりはそれ以上詮索はせずに、この話を終わらせる。怪物はようやくこちらに気づいたようで、標的に狙いを定めている。
「かおる。これを持っておれ」
いなりから、僕が読めない文字が書かれたお札を渡される。お札は光を放ち僕の体に張りつく。
「それは体機能を治療させるためのお札じゃ。所謂回復呪文とやらかの。あと、これを使う」
いなりが周囲に勾玉を投げた。それはぽうっと淡い緑色の光を放った。よく見ると、真四角状に展開している。いなりはお札を掲げ、「呪」を唱えた。お札は僕の頭上で対空し、地面の勾玉に橙色の光を当てる。勾玉に当たった光は反射したように地面を這い、他の勾玉の放った光と繋がる。
「それは結界じゃ。まあ、防御呪文ということじゃ。そこから動かん限りは安全じゃよ」
いなりはそれだけすると、僕から離れた。たまもそれに続く。僕はそれを見送ることしかできない。いなりとたまは怪物に目を向ける。
視線の交差。いなりの刀を握る力が強くなる。たまは拳を強く握り、構えをとる。
初撃。お互いの一撃が、衝突する。
触手の破片が吹き飛ぶ。たまは初撃のうちに5つの攻撃を繰り出した。地面や触手を足場にずんずんと切り込む。いなりは躊躇うことなく刀を振るう。時折来る多方向の攻撃にはお札で対処。怪物は未だに炎から抜け出せない。いなりはそれを確認すると、たまに指示を出す。
「あいつの再生力は『絶対』じゃないぞ!きっとどこかに源があるはずじゃ!」
そう、この怪物は完璧ではない。本当に完璧に再生するのなら、切った瞬間には再生し、刀を飲み込んでいくだろう。また、燃やしたところで意味はない。それどころか増えていく一方だ。それが無いということは、再生に関する源があり、そこが破損しているところを修復させているとしか思えない。なら、そこさえ叩けば…
「2連式札術…蓮華火炎!」
いなりはたまを後ろから狙った触手をお札で迎撃する。たまは、目の前の触手を切り裂き、本体までたどり着いた所だ。触手の海はいなりにだけ狙いを定め、襲いかかる。
「ええい!うっさい!」
いなりは刀に炎を乗せ、触手を一薙ぎした。触手はそれで消滅する。そう、目の前にいる触手だけは。
腕に小さい触手が絡んだ時にはすでに手遅れだった。
「んなっ!?貴様っ!」
腕に気をとられているうちに足にまで絡みつく。触手の締めは力強く、そう簡単には離れない。触手はそのまま突き刺すかと思えば、弄ぶような行動に出る。徐々に知恵をつけ始めたのだろうか?触手はゆっくりと足や手を這っていなりの体に忍び寄る。
「貴様…や、やめぇい!そこは…そこは…こら、突くな!んっ!変なとこ触るなぁ!顔はやめぇ!今度はそこか!こら、スカートの中入るんでないっ!服を破壊するな!やめっ!ああっ!尻尾は、尻尾はぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!」
バタバタと暴れても解ける様子は微塵もない。触手は悲鳴に扇情され、どんどん体の大事な処へ忍び寄ろうとする。スカートは触手が引きちぎり、オムツカバーが顔を覗かせる。さらに触手は、オムツすらも貫通しようと準備し始める。触手の先端が胸の感応帯に触れた時、いなりはもう耐えられないとばかりに、叫ぶ。
「こんの!気持ち悪いんじゃ!弩変態がぁぁぁぁぁっっ!!!」
触手の海から、爆発音。光が溢れ出し、炎が渦巻く。中から現れたのは、九尾の狐。大剣を背負い、巫女装束に着替えた女性体となったいなりは炎の蛇で近づく触手を残さず燃やし散らした。怪物は驚いたのか、一瞬攻撃が緩む。たまはそれを逃さなかった。
「一気に砕くにゃ!」
夜叉となったたまが神速で突撃する。防御に回った触手は触れることすらできずに粉々になった。
「せいにゃ!」
たまは炎すら追いつけない速度で怪物の体に突入した。そこから出てくるまでにかかった時間は、わずか2秒。反対側を突き破り出てきたたまは、大きなガッツポーズをした。
怪物は数秒静止してから、砂のように崩れさる。それは、あの神様と同じだった。炎が燻り始めるころには、砂の山が公園に築かれていた。
僕はほっと胸を撫で下ろす。いなりとたまが笑顔でこちらに近づいてくる。そこには達成感というものがにじみ出ている。
だが、これは終わりではなく始まりだった。
砂が急に空に向かって飛び始める光景。僕が気付いたのはそれがだいぶ進んでいた時だった。いなりとたまも驚愕の表情でそれを見る。空には、
先ほどの怪物が、さらに進化した状態で浮遊していた。
そして、その手には、ソレの母親だったものが、握られていた。
怪物は砂をすべて吸収し、進化していく。怪物の姿がどんどん人間に近づいていった。怪物は飛ぶのを止め、地面に降り立つ。すべての砂を吸収したそれは、すでに怪物の域を超えていた。真の恐怖とは、認識できないものである。人間は根拠などがしっかりしているものほど信用する。人間にとって恐怖とは理解の範疇を超えたものなのだ。
その権化となったものが目の前に仁王立ちしている。
人間のような姿をしているが、決して人間ではない。体の構造からしておかしいし、そもそも体中から触手が伸びる人間なんて存在しない。それは母親だったものを僕らに投げつけると、宣言する。
「キサマラヲ…コロス」
僕は落ちてくる黒百合を受け止める。ひどい傷だが、まだ息がある。僕はすぐさま抱きかかえようとして、よろめく。まだ体が本調子ではないようだ。すぐさまいなりに支えられる。それを見かねたたまが、僕と黒百合を抱え白梅を隠した場所へと向かった。
「薫たちはここにいるにゃ…」
僕と黒百合を白梅の横に眠らすと、たまはすぐさま戦場へ戻ろうとする。僕は子供のように、たまの服を掴んでとめた。たまは振り返ると、無邪気な笑顔で
「俺といなりなら大丈夫にゃ。それに薫は2人を守ってやる役目があるにゃ。だから…」
ゆっくり僕の手を服から離させる。
「信じて待っててほしいにゃ」
たまは高速で飛んでいった。僕は、もう追いつくことはできない。この2人を守る役目があるんだと自分に言い聞かせて、黒百合の様子を診る。
傷は主に腹部に集中していた。お腹を大きく貫かれているのに、よく生きているなと感心してしまう。ドレスが血で赤く染まっていた。彼女は自力で回復させているのか、血はすでに止まっていた。彼女はあれと1人で戦い、そうして敗北したのだ。
「や、る…じゃない…あなた…まさ、か…あれを、た…倒…すなん…ケホッ…て…」
息苦しいのか、喉からひゅーひゅーと音がする。彼女は僕のことをしっかりと認識して、話しかけている。
「黒百合。ゴメン…君の元まで、助けに行けなくて。それに、倒したのは僕じゃ…」
黒百合は、ゆっくりと腕を動かし、僕の胸に軽くパンチする。
「何…言ってるの、よ…あなたが……あそ、ゲホッ…こまで……追い込ん、だ、から…彼女た…ちが、ゲホッゲホッエホッ…勝てた、んじゃ…ない……」
明らかに無理をしている。僕はこれ以上喋らないように言いつける。黒百合は素直にそれに従ってくれた。白梅は目覚める気配がない。僕は2人の様子を気にしつつ、外の戦いに目をやる。こちらからではよくは見えないが、音で激しい戦いが起きているのは予想がついた。
「くっ…」
ここで黙って見てるだけなんて、できない。今の僕には、あいつに対抗できる力があるのに。
「…なら…手伝って…くれる…?」
その声は黒百合が発したものではなかった。黒百合も声の主を見て、安堵の表情を浮かべる。
「…白梅と…黒百合だけじゃ…無理…だから…薫…手伝って…ほしい…」
白梅が体をむくりと起こしながら喋る。体を支えている腕は震えていた。黒百合は、自分だって大変なのに、白梅の体を支えようとする。当然、お互いが折り重なって倒れてしまう。僕はそんな2人を支えた。華奢な体が、一層か弱さを強調させた。
「わかった。僕はどうすればいい?」
2人は僕に説明する。これからすることと、これまでのこと。そして、彼と彼女の原点。あの世界での最後の日のことを。

たまの攻撃が空を薙ぐ。怪物はすでに同じ場所にはいない。空中で捻り、蹴りを繰り出す。たまは即座に腕を前に出し防御する。
たまが地面に向けて弾き飛ばされる。尻尾を使い器用に態勢を立て直そうとすると、その前を狙って触手が襲い掛かる。いなりは指をパチンと鳴らし、同じ文字が書かれたお札が周囲に展開する。
「全てを喰らい尽くせ…極焔皇!」
お札から白い炎が現れ、触手を無に帰した。その隙にたまは着地して、夜叉化してからいなりの横に立つ。いなりは九本の尻尾から同時にお札を投げる。こちらに追いすがる触手の残党の前にそれが展開された。
「裁きの炎を…煉獄飛翔!」
触手が炎の壁に焼かれる。進むことも逃れることもできない。いくら強化しても、その炎は全てを焼き尽くし消滅させる。そこに対象がある限り炎が消えることは無く、対抗手段も、ない。
そう、それが『面』として短時間展開されていればである。
「無駄だと気づいたか」
触手は炎の壁に触れている部分を切り離し、壁から離れる。炎の壁はそこにある触手を燃やし尽くすと消える。触手のほうは、切り取られた部分から再生を開始していた。怪物は不適に笑うと、高く咆哮した。
その声は空気の刃となっていなりたちに襲い掛かる。いなりはそれを大剣を下段に構えて迎え撃つ。
「たま!私に合わせろ!」
「OKにゃ!」
いなりは大剣を薙ぎ、刃を打ち消す。その後ろから、たまが飛び出した。刃が消えてから、0,2秒。怪物に向かって一直線。
刃が交差する。
たまの攻撃と怪物の迎撃はほぼ同時であった。お互いの攻撃はそれぞれの頬に傷をつける。たまは更にお腹に蹴りを2発入れ反転する。怪物は足に触手を絡めようとしたが、数秒遅く失敗する。が、ダメージに顔を揺らがせることは無く、触手は既に完全再生を完了している。
「オカセオカセオカセオカセ……」
怪物は同じ言葉を繰り返すばかり。そして、戦いも繰り返す。
永遠に続く消耗戦。だが、それは永遠でないことは、戦っている当事者が一番理解していた。
先に瓦解したほうが負ける。その危ない平均台の上で、戦いは続く。

その日は、今日のように満月。
僕/私に対して睡眠ガスを行使した技術者達は、大人しくなった僕/私を見て安心したのか、いつもは作動させる安全装置を起動させなかった。そのまま僕/私の最終調整を始めようとして、最初の惨劇が起きた。
「ごめんね…白梅ちゃん…けど、私たちは…」
眼鏡をかけた女の技術者。僕/私の侍女だった人でもある。
「あなたに…幸せな記憶を送りたかったのよ…せめて夢の中では、その続きを見れるといいわね」
「ソノコトバハイラナイ」
「えっ?」
僕/私の腕が勝手に動いた。カプセルの外壁を突き破り、技術者の腹を貫いた。右手に生温い感覚。腕を伝い、液体が地面に垂れる。それは、赤く輝く水だった。
「ど、どうして…」
彼女の口から血が溢れ出る。周囲の技術者はその動きを止め、僕/私の動向を伺っている。だが、すぐに危険だと気づき、技術者達はそれぞれ動きを見せた。僕/私を止めるために再度睡眠ガスを投入する者。自分の研究資料が入った鞄を持って逃げ出す者。その場で泣き崩れて失禁する者。僕/私はそれを無感動な眼差しで見つめた後、腕についた邪魔者を放り投げ、カプセルから出てくる。耳が濡れてキモチワルイ。頭を振って水気を払う。
渇いた銃声が、空間を揺るがす。
狂気と混乱に堕ちた1人の技術者が、僕/私に発砲したのだ。それは僕/私の左耳を掠めて後ろのカプセルに嵌って止まる。耳から痛み。どうやら掠ったらしい。イタイ。こんなに痛い。耳に邪魔な液体が入ってきそうになる。体の中に渦巻く感情。そのほとんどが憎悪と悲観だ。それにしても耳が本当に痛い。イタイイタイ。イタイイタイイタイ。イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ………!!!!!!!
ダカラ、ユルセナイ。
放ったのは黄泉路返し。多くの技術者を巻き込み、その元凶はこの世からあの世へ直接送られた。あとは魑魅魍魎に肉体も魂も捕食され続ける。永遠に終わらない痛みの地獄が彼を待っている。
まだだ、まだ足りない。僕/私を傷つけた奴はまだいる。
彼らに、痛みを届けなきゃ。僕/私から極上の痛みを。
僕/私の中のそれが、大きく蠢くのを感じながら、僕/私は獲物を求めさ迷いだした。
今日は満月。狂ってしまうのも仕方が無いことなのだから。

怪物は更なる変化を遂げる。より人間に近づいたその姿は、B級映画のエイリアンに近かった。右手を触手で構成され、左手はすでに人間のものと大差無いものへと変化している。
「ハハハハハハハハハハ……!!!!!」
人間らしいものへと変化したのは、なにも体だけではない。知能も徐々に「進化」していた。怪物は高笑いを続けるが、目が笑っていない。目は白眼ではなく、黒地の中に赤が浮かぶ不気味なもの。怪物は笑い声を噛み殺すと、どすの利いた声で宣言した。
「邪魔ヲスルナヨ…小童共!」
それと同時に展開される魔法陣。知性を身に付けた怪物が、真の破壊の権化となる。
「存在ヲ…喰ラエ!泡沫光!」
魔法陣から放たれたか細い赤黒い光が、いなりやたまの周囲を包む。まるで退路を断つかのように。いなりは尻尾にさまざまな種類のお札を握らせる。たまは足に力を入れつつも、どこへでも跳べるように関節に自由を持たせている。「泡沫光」を放つ魔法陣が複数集まり、新たな魔法陣が作られる。さまざまな言語で構成された魔法陣。色は赤紫。
「世界ヲ…殲滅サセヨ!集束光!」
魔法陣と同色の光が、蠢くように動き出した。生き物のように蛇行するそれは、いなりとたまにいる「空間」に向かっていた。
「あれは…まずい!」
危険に直感で気づいたいなりがお札を3枚投げ、詠唱する。
「火・地の2要素、及び山の神の加護をこの札に受け、その恩恵を発せん!」
札から火・地・山の3文字を浮かび上がる。3枚のお札が重なり合い、そこに溶岩で体が構成される入道が誕生した。入道は仁王立ちし、いなりとたまの盾になる。
入道と光が衝突する。光は入道の体に吸い込まれていく。傍目から見ると入道によって光が遮られているように見えるだろう。が、実際に戦っている2人からは別に見えた。
「入道の体が、光に汚染されていってるにゃ!」
入道の劣勢は明らかだった。集束光の効果は対象を光の中に封印させること。逆に泡沫光は触れた相手を問答無用で霧散させる。入道を構成する溶岩でさえ、強烈な光には飲まれる。入道は徐々に体をなくし、張りぼてになってしまう。
「くっ…」
いなりは尻尾から更に3枚のお札を投げる。
「金・水の要素、及び風の神の加護をこの札に受け、その恩恵を発せん!」
今度はお札から金・水・風の3文字が浮かび上がる。そして、それは霧状に散布された。入道を飲み込んだ光は、霧の中に突入する。だが、光は思ったように進まない。中に混じった金属片や、水によって光が乱反射されてしまい、うまく動けないのだ。その隙に、いなりとたまは空中に逃げ出す。
「ソレヲ、待ッテイタンダ!」
エイリアンはいなりたちの更に上、そこで右手を振り上げていた。触手が空中で弧を描く。それと同時に展開される魔法陣。器用に左手の指をぱちんと鳴らすと、魔法陣から紫電が迸る。いなりはたまに目を配らせ、大剣を中段で構える。
2枚のお札が、いなりの前に展開される。浮かび上がる文字は、火・木。
大剣が炎を纏う。橙と言うより茜に近い炎。そして、左手に最後のお札。それは、彼女が慣れ親しんでいるもう1つの武器。
「来い!天翔刀!」
天を飛翔する力を持つ刀が、いなりの左手に握られた。刀は雷を纏い、青白く光る。
お互いの間は4メートルほど。今のいなりだったら、一撃を叩き込むには十分な距離。
月明かりの仄冥い夜に、眩い光が3つ。徐々に輝きが増し…
紫電と茜炎・蒼雷が、激突した。

目に付く月の民は殺した。身を血に染め、泣き叫ぶ女性の声も聞かず、逃げ惑う男性の声も聞かず、僕/私の名を呼ぶ声も聞かず。僕/私の後ろには血の足跡がくっきり残っている。当ても無く彷徨ってはいない。標的は1人。籠命の父親。この紫煙院の御館様。僕/私を育ててくれた義父。僕/私を生み出した元凶。
「…今……今行くからね…父さん…」
そのときの僕/私の口は、どうしようもなく歪んでいた。
屋敷の中心部は、既に皆寝静まったのか静かだった。その空気に飲まれそうになるが、体にこびりつく血によって、自分の現実に引き戻される。特に耳にこびりつく血がキモチワルイ。服は半分以上ボロボロだ。案外手強かったというのが正直なところだった。次ぎ会う人は更に強い。気をつけなければ。
「…来たか」
御屋敷の中心部の核。広大な中庭が存在し、普通の兎人なら立ち入ることさえ困難な場所。その中で、中庭の正面を向いている屋敷がある。それこそお目通しの間。御館様と他の方が会談する場所であり、この屋敷のある意味で玄関な場所である。そこに御館様は鎮座していた。精神を統一させるために、目は閉じている。なのに、僕/私が来た途端に反応をする。いつも不思議な人だ。僕が小さい頃から、厳格で勇ましい人物であった。感情を出さない大人の中で、感情を最も出さない人物だ。にもかかわらず、雰囲気で彼は廻りにその人柄を理解させるのだ。
「…その手で何人殺した?」
糾弾する台詞。他の人に言われてもなんでもないが、この人に言われると威圧感がある。
「…ワカンナイ…数えるのは…10人でやめたから…」
僕/私は正直に答えた。既にこの体は悪しき血で染められている。なら、数なんてどうでもいいことだった。
「…そうか。その中に影与や籠命はいるのか?」
「…ううん…いない…」
「…そうか。それさえ解れば、もうお前に聞くことは無い」
シュッ…と鞘から剣が抜かれる音が聞こえた。僕/私は身を構える。その剣は、装飾が施された儀式用の短剣。しかし、御館様はその剣を放り投げ、自らの腰に刺した長剣を取り出した。更にもう1つ、短刀を抜くと僕/私に向かって投げる。抜け…ということだろうか。
「お前の罪を、私も背負おう。さあ、本気でかかって来い。一足速い元服の儀式だ」
独特の構え。月の民に古来から伝わる、舞うように戦う技法。男は剣で、女は扇で。それが掟だった。僕/私は籠命と一緒にいたから、両方覚えている。そして元服の儀式は、この技法がしっかり身に着いたかを確かめるのが掟だ。
「…イクヨ…父サン…」
僕/私の血染めの元服が、始まる。御館様は既に僕/私を人薙ぎできる位置まで踏み込んでいる。僕/私は咄嗟に後退した。舞うように、片足跳びで軽快に素早く近づく御館様。
「…ハァッ!」
袈裟切りに長刀が振り下ろされる。僕/私は片手バック転で間一髪避ける。服が切り裂かれる音がした。僕/私は足が着くのと同時に、踏み込んで横薙ぎをしようと企てるが、それを見透かし御館様は体のバネを使い、大きく飛び跳ねる。そのまま僕/私の後ろに回り込み、振り向きざまに一閃。今度はしゃがんで避けた。そのまま兎跳びで大きく前進。振り返る。
「どうした。そんな調子では私には傷1つ与えられんぞ」
野性を体現した構え。虎に似た気迫。それだけで僕/私を萎縮させた。そんな時、また僕/私は意識が遠のき…
「……フフフフ……ハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!!!!!!」
大笑い。笑っているのが自分だと気づくのに数秒かかった。けど、僕/私は笑う気などさらさらない。では、これは誰だ?
「イイゾ…流石ハコノ世界ノ支配者ダケアル」
僕/私ではない誰か。それが僕/私の体を使い、会話をしている。
「…貴様は、私が呼び出し宿らしたものか?」
御館様は、半ば確信を持って聞く。僕/私の口がニヤリと歪んだ。
「コノ体ハ窮屈ダ。マア、母体トシテ利用スルナラ価値ハアル」
それは僕/私の体を見回して、言った。それから仰々しく両手を広げ、隙だらけだというポーズを取る。御館様は不審気に動向を見守る。だが、一向に何もしない。ただ余裕の笑みを浮かべるだけ。
「…では、決着をつけさせてもらう」
御館様はフェイントを使い、右にぶれてから左から襲い掛かる。刀は真っ直ぐ心臓へ。突き刺す角度とも完璧だった。外れたとしても、致命傷は間違いない。
それは一瞬の出来事だった。
僕/私自身にも良くわからない。自分の体なのに、勝手に動くとそれは映像を見せられているに過ぎない。空と地面を交互に見てから、最終的には刀の上に立つという、見事な離れ業だった。服は更に破れ、素肌を曝け出す。御館様が驚いた顔で僕/私を見ている。それからもう、僕/私が体の主導権を握ることは無かった。
「何ダソンナ攻撃ハ。ツマランゾ」
立場が逆転し、こっちが攻勢に出ている。流石に御館様が時折反撃するが、それを軽く往なし再び攻勢に転ずるの繰り返しだ。それでも御館様は全ての攻撃をかわし受けとめている。未だに傷1つついていない。すると、僕/私は短刀を振るのを止め、両腕をだらりと垂らし、笑みを浮かべた。不審がる御館様に、僕/私の体を使っている「誰か」が言った。
「ドウシタ?殺サナイノカ?」
その口調は嘲りと挑発に満ちていた。自分の意思が介在しないところで、物語が進んでいる。それに応じず、御館様は間合いを取りつつ神経を集中させる。
空気が凍りつく。時間が止まる。
静けさが耳に痛い。だが、誰1人として喋ろうとしなかった。体が震える。それは武者震いか、恐怖か。それは、僕/私でさえ判らない。

「白梅?お父様?そこで何をやっておられるのです?」

会ってはならない、居てはならない人物が、ここにやってきた。2人同時にそちらに目をやる。僕/私は驚きの表情を、御館様は焦燥の表情をしながら。
そこには影与様を連れた籠命が僕らを不思議そうに見ていた。すでに影与様は僕/私の異変に気づき、籠命を連れて逃げようとしている。
その時、勝手に。僕/私の口が、嫌なほど歪んだ。
「サア…血ヲ…魅セテクレ…!」
僕/私は御館様に目もくれず、籠命たちの所へ全速力で向かう。目には狂気。手には短刀。口には狂喜の笑み。
月下に紅い水が天を舞う。
まだ狂気の月は沈まない。

大剣は「源」を貫いた。見事にエイリアンの腹を貫通した大剣は、緑色の血を柄まで伝わせていた。
「グオォ………」
エイリアンは呻き声を上げる。いなりは勝利を確信し、剣を握る力を抜く。天翔刀は紫電を弾き飛ばしたときに反動で落としてしまった。きっと地面に落ちてしまっているだろう。折れてなければいいけど。
「フッ…案外他愛ないものじゃな」
いなりは大剣を引き抜き、エイリアンを地面に放り投げる。地面に落ちていく間にそれは砂になるだろう。姿が変化しようと本質は同じ。ならば、先ほどの化け物と同じく、死んだら砂になる。いなりはその様子を見届けようとして、恐るべき事態に直面する。
エイリアンは再生を始めた。「源」を破壊されているにもかかわらず。
いなりはすぐさまお札を取り出そうとしたが、遅い。エイリアンはすでに触手を伸ばし、いなりの体に絡みつく。
「き…貴様っ…ぁ!」
触手はいなりの体を締め付け、拘束させる。たまはそれに気づき、夜叉化していなりを助けようとするが、こちらにも触手が飛んできて迂闊には近づけない。
「不快カ、ソレトモ快楽カ。オ前ヲソレデ犯ス」
いなりは決死に「呪」を唱える。それは、危機的状態に陥った時の最終手段。言霊と自らの力をその「呪」に注ぎ込む。
「燃え盛れ…我が心、我が体…神現『焔』!」
炎がいなりを中心に燃え盛る。瞬時にそれは周りの触手を燃え散らせ、この公園が昼の様に明るくなった。炎の中からいなりが落ちてくる。姿は女性体ではなく元の少女のもの。たまは神速でいなりを受け止める。体は所々に火傷の跡があった。着ている巫女服はブカブカで、中の下着やおむつが露出していた。
「いなり!大丈夫にゃ!?」
「あやつ…何かカラクリがある…『源』を破壊したにも関わらず…再生しおった…」
いなりは「もうまともに戦えん…わしを捨ててお前だけでも…」と言うが、たまはそれを否定する。エイリアンは触手を収め、再度魔術を展開する。
「砕ケ。望ガママニ。全テヲ!」
エイリアンの前方に展開された魔法陣は黄灰色に輝く。そこから出てくるのは、電車ぐらい大きいミミズ状の生物。それは口をわきわきさせながら接近する。小さな羽根だけで飛行しているのということは、その生物が幻想の代物であると表していた。
「んにゃっ!」
たまは振り向きざまに空を一閃し、風の刃を発生させる。ミミズはその刃を受け、見事に真っ二つにされた。が、今度はその2つの死体が変態し、それぞれ半分の大きさの同じ生物になる。
「分裂したにゃ!」
ミミズは今度は左右に分かれてたまを追う。いなりを抱えているたまは、本来の速度よりも明らかに遅かった。ミミズと比しても大差ない、むしろミミズより若干遅いぐらいだ。徐々に追い詰められるたまは、大きく空中にジャンプし、すでに鉄の塊となった遊具を踏み台にして、さらに高く空を跳ぶ。ミミズの全長から換算してギリギリの高さ。それで右から来るミミズを跳び越え、木々が植えてある林のところへ着地。いなりを降ろした。
「いなり。ここで隠れてるにゃ」
たまは荒い息で指示をする。いなりは今の非力な自分を鑑み、その指示に従った。それは、いなりがたまを囮にすると言っているのと同じだ。だが、それに変わる案が、今のいなりたちにはなかった。たまも、自ら望んで囮役を引き受ける。それが今の自分にできる精一杯のことだから。
「行ってくるにゃ。いなり」
「行ってらっしゃい。たま」
たまは林から飛び出し、牽制のために弱い風の刃でミミズ達の気を引く。ミミズAは怒りのままにたまを攻撃した。たまはそれをかわしつつ、ミミズAに近づく。ミミズAは尻尾を振り回しそれを跳ね除けようとする。たまはその攻撃を利用し、尾を足場にしつつ頭のところまで飛翔する。夜叉化。黒い爪がミミズAを引き裂いた。
ミミズAは今度こそ砂と化した。たま着地しつつミミズBへ向かおうとして、
「ドコヲ見テイル」
後ろからの声に阻まれる。咄嗟にしゃがむ。先ほどまで頭があったところを触手が引き裂いた。たまは振り向きざまアッパーカット。それをエイリアンは触手で受け止める。すでに振りかぶられた左。
アッパーに合わせたカウンターが、たまのボディに捻りこむ。
「がはぁっ…」
血とも体液ともつかぬ何かが、口からあふれ出る。そのままぐたりとなったたまを、エイリアンはつかみ、いなりがいる林に放り投げた。
「たま!」
いなりはすぐにたまの許に近寄る。たまはすでに気を失っている。いなりはたまを抱きかかえようとするも、力が出ず動けない。
そこへ、ミミズBが強襲する。
対抗手段はない。天翔刀もどこかへ落とした。力も使い果たした。もう、こちらには手札はない。
「かおる…っ!」
いなりは一人来るはずのない想い人の名を口にする。それはきっと言いたい言葉もいえなかった悔しさと、真の死が迫る恐怖から出た言葉。すでにおむつの中は漏らしたおしっこでぐっしょりだった。その恥ずかしさも忘れるほど、今のいなりは恐怖している。
ミミズBはガパァと大きく口を開け…

鋭い刃が、柔らかい肉にぷすりとめり込む。
赤いぬめっとしたものが、腕に纏わりつく。それはこの身を紅に染めたものと同じ、人の血だ。
影与様の体、お腹の部分が血で染まる。
「あ…」
言葉にならない声。声の主は誰かわからない。それほどに強烈な出来事だった。刺した本人である僕/私ですら、その出来事の後は硬直してしまう。いや、それは僕/私の心にすぎない。体は既に次の動作を始めていた。
短刀が影与様から引き抜かれる。苦しむ表情すらせず、影与様は崩れ落ちる。抜かれた短刀には、暖かく鮮やかな紅の血液。それが地面にシタシタ垂れている。
「お母様!」
籠命が影与様を支える。同じように御館様が影与様に寄り添い、お声を掛けた。その瞳は、悲しみに満ちているような気がした。
「痛むか?影与」
「…はい…ですが、どうしようも…できません」
「私たちは間違ったのか?」
「…それは、これからの未来で、決まることです」
「私は、どうすればいい?」
「私が願うのは、貴方の息災と…この子の安寧だけです」
「お前は白梅を、どうしたい?」
「あなたが、望むがままに。私のことを…病まずとも、あなたなら…答えは、出ているでしょう…」
「死ぬのか?」
「もう、後戻りはできないようです…お先にあちらにて…お待ちいたします…」
御館様はそれで問答をやめた。後は籠命と影与様が最後の会話を交わす。
「お母様…」
「すいません…私は貴方の…道標には…成れなくて…」
「そんなことは!お母様…死なないで下さい!私は…」
「そんな我侭…これからは、言っては…だめですよ。あなたはもう、大人に、なるというのに…」
そこで、影与様は事切れた。最後に出た涙は、彼女が残した感情の表れだった。首はかくりと項垂れ、手には既に力も無い。
「お、お母様…」
御館様は影与様の涙を拭くと、抱きかかえて縁側に横たえさせる。籠命もそれについて行き、影与様の横でその顔を覗く。端正な顔立ちは、歪みも曇りも無い。まるで眠り姫のごとく、静かに眠る。永久の眠りを。
「白梅…これで私たちは同罪だ。さあ、本気を出させてもらうぞ…っ!」
御館様の剣捌きが、明らかに上達した。いや、これが本来の御館様の剣捌き。僕/私はそれを受け止め、かわすのに精一杯だった。剣捌きだけではない。体の動き、力の入れ具合、反応速度。その全て格段に向上していた。
「コレダ。コノ高揚感コソスバラシイッ!」
発狂したの僕/私か、それとも僕/私の中にいる「誰か」か。既に自己の境界は曖昧と化し、溶け合い始めている。
「ずいぶんと余裕だな…なら、これを使わせてもらおう」
御館様は抜いていた長剣を鞘に戻す。その瞬間、空気が変わる。張り詰めた緊張感。時の流れを遅く感じさせるほどの緊迫感。
舞居合い。
御館様が考案した戦術。古来の舞うように戦う技術に、剣の抜き出しまで含めたリズムを組み合わせた剣術をアレンジしたもの。
「しかと見よ。舞居合い…双月」
瞬きすら許されない神速の域の剣筋。抜かれた長剣は円を描くように一閃。それをバックステップで避ける。御館様は体を捻りつつ追尾、その反動で2度目の攻撃。大きくなぎ払う攻撃を避けきることができず、短刀で受け止めるもそのまま勢いで弾き飛ばされる。庭を転がり中庭の池に落ちる。
「これで決着か…」
沈み際にそんな声がした。短刀は先ほどの攻撃で使い物にならないほど拉げてしまった。堕ちていく中、月が見えた。この世界に太陽はない。明かりと呼べる物は月明かりのみ。それは、闇の中から少ない光に縋る生き方。だが、それさえも届かないこの水の中にあるのは、真の闇。
そのなかで僕/私は、真の光を垣間見た。

断末魔が、こだまする。ミミズBは顎の下から頭の天辺まであるものに貫かれている。
天翔刀。
あの高さから落ちて無事だったのは、この刀が「空を飛ぶ」属性を持つからである。故に落ちても速度の変化は出ず、滑空しつつ着地する。その刀を拾い上げた人物は、いなりとたまのピンチにこうして駆けつけ、ミミズBの動きを止める一撃をお見舞いしたという訳だ。
「大丈夫か?いなり」
声の主は緊迫した様子で尋ねる。緊張しているからだろう。手が少しだけ震えていた。
「守人…何故ここにおるのじゃ!?」
いなりは驚愕の表情を浮かべる。刀を持つ人物。それは高野谷 守人であった。服装は学校の制服。珍しく女物と言うだけで印象は違うが、さらにこの守人は少しだけ雰囲気が違った。何と言うか、少しだけ女に近い。まあ体は完全に女性体だから中身が、というべきだろう。
「それが、僕にもわからないんだ。昨日寝たと思ったらここにいたし。服は制服だし。気づいたら変な化け物いるし…これは一体何事なのかと思ったよ」
仕草もどこか女性さを漂わせている。いつもの守人とは微妙に違う。それが最終的結論だった。
「助けてもらったのはありがたいのじゃが…そいつ…まだ死んどらんぞ」
ミミズBは呻きながら反撃行動に出る。まず尻尾で守人を薙ぎ払おうとする。守人は刀を抜きつつギリギリの回避ラインで避ける。
「グホォォォォォォォォォッッ!!!!!」
ミミズBはそのまま突進する。それをいなりのいないほうへ誘導しつつ最低限の動きで避け、時には刀で勢いを殺ぐ。そして、完全にいなりたちが射程外になると、本気を出した。
同じような突進。しかし今度は刀を中段に構える。それを意に介さず突進してくるミミズB。
それを流水のように、滞りなく自然にそれでいて見事な太刀筋で斬り捨てる。ミミズBはミミズA同様砂と化した。
「ふぅ……」
守人は大きく肩で息をする。エイリアンは守人の正面に立つと、怪しい笑みを浮かべた。舐めまわすように全身を見る。その時、触手の動きが活発化した。守人はエイリアンを見据えると、気持ちを切り替え、下段の構えを取る。
掬い上げるような一閃が、伸びた触手を一刀両断した。
断面は美しささえ漂うものだ。段差などなく、見事に面で切れている。切られた触手はぽとりと地面に落ち、砂と化した。
エイリアンはその光景を見て硬直する。それはいなりも同様だった。中身がどうとはいえ、外見はただの少女である守人がなぜここまで戦えるのだろうか。まあ、この家の人物がおかしいというのは以前会った銀之助が証明しているが、あれは特殊な事例だと思っていた。
が、守人はこうしてあの人外と公平に渡り合っている。
「小娘ェ…ッ!」
断面がきれいだと再生もしやすい。これは人間でも言えることだ。骨はきれいに折れたほうが治りが早い。エイリアンの触手はものの数秒で再生し、元通りになる。
「貴様ヲ…ッ!」
エイリアンは目にキョウキを宿し、口を愉悦で歪ませ、体を殺気で熱させ、全てを変態させる。背中から始めて人間と違う存在が出来た。翅。それは蛾のような翅だった。極暗色に彩られ、鱗粉を漂わせ、パタパタと幽冥に羽ばたく。
「コノ世界カラモッ!総テカラモッ!破壊シツクスッ!」
空に展開されるは、これまでとは違う、大規模な術式。文字はこの世界に存在するどこのものとも違う、歪な造形。同心円2つに正方形2つで構成され、中央に翼を模したエンブレムが描かれている。
「崩壊サセヨッ!△▲■□ッ!」
エイリアンが発したこの世ならざる声。それが文章かどうかもわからない。ただ、その声に魔法陣は反応した。徐々に光量は増し、周りに別の魔法陣が展開されていく。守人はその技の危険性を察知していても、動けない。不用意に動けば、いなりたちをも巻き込むからだ。攻撃範囲がわからない以上、むやみには動けない。
「…須臾ニ囚ワレ、光ニ絶望セヨ。祖ハ万物ノ終焉。裁キノ光…」
最後の詠唱。起動キーが唱えられる。
「全テハ闇ヨリ生マレ、光ヘト回帰スル。出デヨッ!奈落ノ極光ヨッ!ソノ光デ全テヲ喰ライ尽クセッ!」
禁忌の力が、この世に光臨した。
すべてを飲み込み、消滅させる光。膨大な熱量を持ち、全てを溶かしつくす光。それは万物を照らす太陽の縮小。すべてを見守るが、決して触れられない力。
「あの光は…危険すぎる…くっ」
いなりは対抗しようにも力を使い過ぎて、何にもすることは出来ない。たまはまだ復活せず、ここに彼女を救う者はいない。
そう…ここには。
「白梅…ついて来てる!?」
「…うん…大丈夫だよ…黒百合…」
黒いドレスが闇夜に舞う。手には赤い宝石と青い宝石が煌めく。数は4つずつ。それを空中に投げた。交互に円の等間隔に展開する。それぞれが正方形を構成し、線を紡ぎ、魔法陣を構成する。さらに宝石を中心に円を出し、複雑な図形を構成する。八角形。星。いくつもの図形が同じ魔法陣上に描かれる。魔法陣の色は紫。
地上には白いワンピースが輝く。口ずさむは異界の歌。月の民に伝わる鎮魂歌。さらにそれに別のリズムを合わせ、それを呪文にする。黒百合から教えられた術式。譜と韻を紡ぐ魔術。周りの大地から、山吹色の光の粒が浮遊する。それは、魔術が起動した合図。
「起動せよ!闇夜の祝福“ヘカテー”!」
「…起動せよ…走り続ける夜…“ノート”…!」
光と闇が、激突する。
2人が使った魔術はそれぞれその神様の名を冠することで付加効果持たせた魔術。少ない魔力で大きな効果を得られるのが利点だが、その分用途は限られる。
対するエイリアンの魔術は、異界言語による詠唱魔術。異界言語により引き出された力は、この世界の物理法則の修正を受けるも、強大な力を有する。限られた能力者しか使えない、禁忌の術式。
光と闇が交じり合う。極光さえも飲みこむ闇。お互い指向性のないものに指向性を持たせている。それは、強大な力を与える半面、制御を間違えれば自らも飲み込まれる。光も、闇を食い破ろうとしているのが目ですぐにわかる。そうして、お互いが打ち消しあい、魔術は消滅した。その瞬間、爆風が巻き起こる。もうすでに衣服としての体を成してはいないワンピースとドレスが揺れる。中の下着やおむつが丸見えだ。
「白梅…」
最初に声を出したのはいなりだった。黒百合が降り立つのはそのすぐ後。白梅のすぐ隣に音も立てずに降り立つ。耳がひゅんと揺れた。黒百合は最初に白梅を見つめ、そしてはにかむような笑顔を白梅に送った。白梅は答えるように、微笑みで返す。その間に会話はない。
「ハァ…ハァ…追いついたぁ…」
白梅たちが現れた方向から、薫が走ってきた。手には宝具。体の傷は表面上だけは治癒しているようだ。
「やあ神島…って君はなんて物を持っているんだ!というか、いったいどんな事をしたんだよ」
守人は薫を見て非常に驚いているようだ。まあ、体中傷だらけの上に手には剣を持っている友人を見れば驚くだろう。
「そういう守人だって。なんでいなりの刀持ってるんだよ…服は制服だし」
守人も制服に刀という、なんとも奇妙な出で立ちである。結局、どっちもどっちだ。
「貴様ァ…何故ソコニイルッ!」
エイリアンの視線は黒百合に注ぐ。黒百合は見下した視線でその疑問に回答した。
「あなたが私を殺し切れてなかったからよ。私と白梅はお互いでお互いを支えている。だから片側が残っていれば、少し時間はかかるけど再生はできるわ」
それから強い眼光でエイリアンを睨む。
「母親に対する態度がなっていないわね…お仕置きしなきゃいけないわ。ねっ、白梅」
黒百合は白梅にウインクをした。白梅はそれに首を縦に振り頷く。
「ということは、僕もこのまま戦闘参加かな?」
仕方ないなとため息をつきつつ、守人が薫に聞く。その顔は余裕のある笑顔だ。
「いなりたちを守ってくれないか?」
薫は守人にいなりたちを託す。守人は「わかった」と短く応える。それは信頼の回答。安心して相手に任せられるという証。
エイリアンが次の攻撃動作を始めるのと、薫、白梅、黒百合と守人が動き出すのは同時だった。
守人はいなりを自分の背に置き、刀を構える。白梅は地を這うように跳び、黒百合は空を蹴って空を跳びはねる。薫は少しだけ白梅とともに行動した後、大地に仁王立ちし、剣を構える。
薫は守人との会話で感じ取っていた。この守人は、本物ではないと。それは白梅、黒百合も理解している。この守人は、夢幻世界から飛び出た幻影。小さな世界の輪廻から解脱した存在。
だが、多少の違いがあろうと、彼は守人である。それだけあれば、いい。
本物だろうと偽物だろうと。実体があろうと幻だろうと。守人は守人なのだから。
さあ、これは最後の一歩。この物語を終息させるための最後の戦い。
相手は破壊の権化たる存在。
小さな勇者たちの戦いが始まる。

ここから先は、僕/私の記憶ではない。いつか見た夢の記憶。過去にあった一つの結末。
「…殺したの?お父様」
少女は父親に聞いた。抑揚のない声は、無機質で感情が欠落している。が、その中には悲しみの感情が隠れているのを、父親は見逃さなかった。
「確実ではないが、このまま浮かび上がらなければ、そうなる」
父親は娘の質問に答えつつ、自らの妻の亡き骸に足を運ぶ。その瞳に、涙はない。ただ、その表情は悲しみを湛えていた。少女は母親と沼の波紋を交互に見て、月を見上げる。今日は満月。煌々と輝く月は、この世界での数少ない光源にして、自分たちの屈辱の証とされる。
「…お父様。これから、どうするの?」
少女の質問は簡易なものだった。しかし、中に様々な意味を含むものだった。父親は深く思案している。これから。破壊の権化を用いた復讐は、こうして行う前に失敗してしまった。残存する月の民も彼を含めれば数人しかいない。
「これからか…」
父親は月を見上げながら呟く。今の彼らに未来があると、彼自身は思っていない。なら、どうするべきか。その回答を保留している間に、沼で変化が起きた。
それは、小さな波紋だった。水滴が落ちた程度の小さな波紋。だが、その波紋はやがて激しさを増し、波となって中庭を濡らす。
「どうやら…終わりではないらしい」
父親は再度長剣を構え直す。娘の盾になるように仁王立ちした。少女には、その大きな背中が印象的だった。やがて波は渦となり天に昇る。その渦が途切れたその上に、少年は立っていた。
「フフ…ハハ…フハハハハハハハハハハハハ!!!!!」
高笑い。邪悪に満ちた高笑いが屋敷、さらに世界に響いた。兎の耳を持った少年は、邪悪な笑みを浮かべ、天に魔法陣を展開した。それは赤紫色に輝き、月の光を覆い隠す。
「喰ラエ…泡沫光!」
赤黒い光が、世界に展開した。それは屋敷内にも及び、光はこの親娘にも忍び寄る。それを父親は長剣で断ち切った。この長剣は、そういう「呪」がかけられている。彼らは光を断ち切った。しかし他はどうだろう。
それはすぐに、目に見える形で現れた。
叫び声。それも世界各地からの。聞こえるはずのない声がこだまする。月の民すべてに届けられた光は、触れたものを霧散させる力を持つ。彼らの断末魔は、皆ここへ聞こえるように別の魔術を少年は行使していた。
「高ラカニ叫ベ!悶エ!苦シメ!絶望シロ!」
少年はまるでおもちゃを与えられた子供のように笑顔で叫ぶ。父親は、長剣を強く握りしめた。それを見た少年は渦を消し、沼の上に降り立つ。本来立つことのできない水面を歩き、彼は父親の前に立った。手には水晶でできた歪な剣。
「アンタハコレデ決着ヲツケタカッタンダ!」
「私の甘さが、月の民を失わせてしまった。その報い。お前を討つことで受けよう」
一瞬の間。それは、お互いの殺気を確かめ合う瞬間。覚悟を決める時。
そして、爆ぜた。
目にも止まらない攻防。僅かな交差のうちに、10や20を叩き込む行為。隙を見せたら一方的に殺られる。
どのくらい続いただろうか。月は間もなく沈む。だが、攻防は続いていた。お互い疲弊しながらも、それでも攻撃の手は緩めない。決着はつかないとそこにいた誰もが思っていた。が、それは覆され、あっさりと決着はつく。
再度の交差。二つの剣が、それぞれの首を討ち取らんと舞う。それを回避しつつ反動で次の攻撃に移る。自らを片手で支えつつ、少年は腹を裂くために一撃を放つ。それを父親が受け止める。父親は体勢を立て直そうとする少年を串刺そうとする。それを水晶で受け止め、踏みとどまる。ここまでは、それまでにも何度もあったことだ。
が、ここからは違った。
父親は首を刈るために横に一閃する。これは前と同じ。が、少年のほうは違う。少年はそれを今まで避けていた。が、今度は避けずに受け止める選択をする。水晶の剣は、1度受け止めることに成功するが、その衝撃で木っ端微塵に砕けた。それと同時に、何かが刺さる音。
父親の腹が、鮮血に染まった。
刺さったのは水晶。だが、砕けた水晶ではない。それは先ほど体を支えていた手から伸びた槍だった。
「コイツノ今ノ力ジャ、2ツ同時ニ武器ガ出セナイ。ダカラ、壊シテクレテアリガトウ!」
少年は無造作に槍を引き抜くと、反対の手で魔術を発生させる。それは初歩的な発火の魔術。だが、力が強いものが使えば、それさえも武器になる。
「サヨウナラ」
父親は篝火となって燃え盛った。苦悶することなく、自らの報いと受け入れて。それに見向きもせずに、少年は少女に近づく。少女は父親の死に様を見て、驚愕し、恐怖し、そして、嗚咽を漏らした。
少年は衣服を血で赤黒く染まらせ、口には血の朱を彩らせていた。少女の様な顔には、満面の笑み。兎の耳は萎れ気味に垂れ下がり、顔は紅潮していた。
「…会えて…良かった…」
それは、今までとは違う口調。狂気に彩られてものではなく、無邪気な子供の口調。少女はその様子に戸惑う。彼女はいつもこの少年の味方であり、親友だった。今の態度もそれを如実に物語っている。が、彼が犯した罪は、その関係を引き裂くには十分だった。少年は血塗られたその手を少女に伸ばす。そのとき、少女は反射的に声を出す。
「こ、来ないで!」
それはつい出てしまった恐怖と拒絶。それが、彼と彼女の関係に決定的な溝を作り出した。少年は伸ばした手を引っ込め、悲しそうな表情で少女を見つめた。その純粋さ故に、傷つきやすい少年の心に、大きな皹が入った瞬間だった。
「…やっぱり…籠命…もう…」
それは寂しさと諦めの気持ちが綯い交ぜになった言葉。そこで少女は気づく。今ここで彼を突き放してしまった自分は、彼を救うチャンスを見逃してしまったということを。
「白梅…私は…」
「…もう…いい…籠命…絶交する…」
もう言葉も届かない。少年は少女の脇を通り過ぎ、屋敷の中に戻っていく。少女は1人、中庭に残った。そして、お互い、1人ぼっち。

魔術と魔術が、ぶつかり合う。エイリアンは20の魔法陣を同時展開し、異界の言葉で魔術をつむぐ。対する黒百合と白梅は、空中でワイヤーを使い、幾何学模様を作る。更にワイヤーの交差点に青いリボンを結わえた。それは、他者から見れば何の変哲も無いもの。しかし、知っているものが見れば一目でわかる。これがシンボルを用いた魔術であることが。
お互いの魔術が、臨界に達し爆ぜる。
「生滅光!」
「属性は水。素材は金。生まれるは鏡の盾“イージス”!」
魔法陣から赤銅色の光が放たれるも、その光は白梅たちが展開した魔術に弾かれて夜空に消える。30秒間の照射の後、光は徐々に窄んでいき、盾の魔術を構成したリボンとワイヤーは粉々となった。
白梅と黒百合が次の攻撃の予備動作に移る前に、エイリアンは触手を伸ばす。そのスピードは以前の比ではない。対象を捕獲、蹂躙しようとフェイントを織り交ぜつつ接近する。
「…ハァッ!」
それを薫が叩き切る。意思の力により剣に触れていない触手も切断される。が、すぐに触手は再生を始める。こちらも徐々に速度が上昇していった。
「しつこいっ!」
薫は触手が幾つもの切り傷を残し切断される様子をイメージした。その間わずか1秒。だが、触手は間近に迫っていた。薫は無我夢中で剣を触手に振り下ろす。触手の先端は、白梅まで数センチのところまで迫っていた。が、薫が触れたと同時に様々な切り傷を残し全てが切断された。ぼとりと落ちた触手の残骸は、砂になって消える。
幾つも傷を残したのは、そのほうが再生が遅れるから。案の定、触手は全ての再生を同時に行っているため、手間取っているようだ。そして、その時間さえあれば、黒百合と白梅は魔術を発動できる。
「舞われ。三日月の刃。“ダンシング・クレッセント”」
黒百合は自分の周囲に三日月状の光を6つ浮遊させている。それは緩慢ながらも回り始め、やがて円と見まがうほど高速回転する。
「…結晶庭園…装填…」
白梅は紫水晶を自分の周囲に多数展開した。その水晶は鋭利な先端をエイリアンに向けている。
「切り裂け!」
刃が再生を始めていた触手を粉々に引き裂く。踊るように動くそれは、触手をランダムに切り裂くため、再生や硬化が追いつかない。
「今よ!白梅」
「…うん…」
黒百合の合図に、白梅が答える。白梅は左手を触手の持ち主、エイリアンに対し向けた。その形状は銃。子供がやるような銃の形。だがそれも、魔術を構成する一要素。
「…全弾…高速射出…」
水晶が、光る軌跡だけ残して放たれた。それは今まで作っていた触手の壁の合間を抜き、エイリアンに到達する。その1つは、確実に源を破壊していた。が、それでもエイリアンは余裕の表情で再生を開始する。
「くっ…だめかっ」
それを傍目で見ていたいなりが悔しそうに地面を殴る。触手の残骸がたまに飛んでくるが、それは全て守人が切ってくれている。いなりは半裸に近い状況だったが、それを気にする余裕はない。先程から攻撃は一進一退の態をなしていた。黒百合や白梅、薫が決定的チャンスを作り出し、そのつど源を破壊しているが、一向に倒れる気配がない。寧ろ再生速度が上昇し、より手強くなっている。これでは、埒が明かない。
「おかしい…やつにはどんなからくりが…」
空中で交差する黒百合とエイリアン。黒百合はワイヤーでエイリアンを切ろうとするが、エイリアンはそのワイヤーさえも自身の体に取り込んだ。黒百合がそれに驚き、隙を見せてる間にエイリアンは触手を伸ばす。それを白梅が石の盾で守る。エイリアンは、何度も盾に攻撃することで、盾を突き破ることに成功するも、そこにはもう黒百合はいなかった。代わりに剣を振り上げる薫がいた。
「コンル・ノンノ!」
斬った瞬間に、氷の華が咲いた。触手を媒介に、氷は見る見るうちにエイリアンに迫る。エイリアンは触手を切り捨てることで、それに対抗した。触手は切られた途端に再生を開始する。
「…行って…」
白梅の足元から影の無い黒い手が現れる。それは触手に絡みつき、拘束する。更に黒い手が現れ、今度はエイリアン本体を拘束した。
「…この力…嫌い…だった…」
黒い手がエイリアン本体を串刺す。高速で的確に相手の戦闘力を殺ぐ攻撃。
「…けど…未来…掴む…ため…」
決めの源破壊。が、それすらも、一時凌ぎにしかならない。エイリアンは容易くその攻撃を受け止め、そしてそこから再生する。破棄されても再生するから、ダメージは通らない。だが、こちらは力を使うたびにペナルティが伴う。
「…んっ…!」
白梅は体を走る激痛に、意識を飛ばしかける。黒百合は強がっていたが、まだ完全には回復してはいないのだ。表面だけの回復。1つの力を2分した存在だから、そのあり方も弱い。それに、自らに力を与えていた存在に、牙を剥いている。この攻撃も、あいつの力を応用して行っている。当然、それを使う白梅や黒百合は、奴からの侵食を受ける。体だけではない。心でも奴と戦っている。
「無駄ダ。私ハ権化タル存在。ドノヨウナ抵抗ヲシヨウモ、遠ク及ブコトナド、デキヌ!」
奴は心底愉しそうな笑みを浮かべ、触手の先端を硬化する。今度はこちらの番とでも言うように、薫たちを一瞥するとその触手を様々な動きで射出した。直線状に射出した触手は薫に斬られるが、次に曲線状に回り込むように触手が薫に迫る。白梅がそれを地面から出した水晶で串刺しにした。
だが、それさえもおとりだ。地面が鳴動する。それは地下にもぐった触手が、大地を食い破りながら移動している音。空中には触手が様々な角度で飛んでいる。こちらがジャンプした瞬間に、思いっきり薙ぎ払うことも、絡みつき拘束することも可能なように。
「この技は…使いたくないのに!」
黒百合は顔を赤くしながら魔術の準備を始める。おもむろに白梅の左手に自らの右手を絡める。その仕草は、まるで恋人のようだ。恥ずかしそうに俯いていたが、覚悟を決めたのか、白梅を優しい表情で見つめる。白梅はそのとき初めて、黒百合を異性として、真に別の存在として認識した。
「“愛の悪戯”エロス。私は、この者と共に生きることを誓います」
黒百合が詠唱する。今度は右手を白梅の左手に絡め、更に白梅に近づく。お互いの耳は既に触れ、顔の距離は10センチ。
「だから、その先の未来を切り開く力を、2人に与えてください」
そして、口づけ。黒百合は瞳を閉じて、そして白梅は瞳を見開いている。そのキスは幼い子供がするような、純粋で微笑ましいものだった。その時間は12秒。それで、魔術は完成する。キスをした瞬間、台地に魔法陣が展開した。そして、キスが終わると同時に、2人は山吹色の光に包まれる。
「…白梅…いきなりごめんね」
「…ううん…黒百合…柔らかいね…」
「そんなこと…はっきりいわないでよ…」
仲睦まじい会話をした後、2人は同時に空中に飛ぶ。そこから先は、誰も真似できない領域に到達していた。
完全なるシンクロ。右手には短剣。左手には扇。それを駆使しつつ触手を切り裂く。優雅に舞うその姿は、フィギュアスケートを彷彿とさせた。やがて、それぞれ別の行動を取る。しかし、それさえも調和の取れたダンスそのものだった。剣で。扇で。お互いがお互いを高めあうように。ただひたすら、舞う。
「…これで…」
「決めて見せるわ!」
最後のシンクロ。それはお互い結晶庭園を展開し、同時に射出することだ。背合わせに2人はなり、同時に魔法陣を展開した。手はお互い絡み合わせている。2つの魔法陣が、重なる。そこから展開された紫水晶が、どちらを向いているのかわからなくなる。微妙にずらしてあり、攻撃自身は重ならない。
「「全弾…精密発射!」」
水晶が触手を粉々に引き裂く。それは地面の下も同じだ。地面から隆起した水晶に串刺され、触手は消滅した。たった1度の攻撃で、あれほどの触手をほぼ全滅させた。そう。ほぼ。
地中に残っていた数匹はターゲットを変更する。
無防備で、何もできない、少女へと。
「…っ!しまったっ!」
いなりの足元から触手が飛び出し、足と手に絡みついた。守人はそれを切り裂こうとするが、その前にそれを察知した別の触手に薙ぎ払われる。剣で受身を取ったが、勢いを殺しきれず、弾き跳んだ。そのまま地面を転がり、木にぶつかり静止する。
「いなりっ」
薫が動揺する。この距離からでは、そう簡単には間に合わない。
「な、なんじゃ…去れ、去らんか!んあっ…こやつ…滑っておる!ひゅんっ!尻尾…尻尾ダメ…ダメェ…」
いなりが触手に弄ばれる。まだ体の表面だけだが、いずれ中までも犯すかもしれない。そんな危うさがそこにあった。薫は足に力をこめ、空を駆ける。その隙にも、彼女は弄ばれる。
「やめ…そこはっ!こらぁ…滑る…気持ち…悪いっ!」
いなりはゆっくりと触手に料理されていく。尻尾に絡みついた触手は彼女の官能を刺激するように、舐めまわすように動いた。
「ひゃんっ!」
いなりはそれだけで失禁してしまう。もうぐしょぐしょのおむつに新たなおしっこが投入された。だが、もうぐしょぐしょの状態で吸収することなど、できるはずもない。おむつの裾から、おしっこの筋が足を伝い、地面に零れ落ちる。
「ふぁ…やっ…」
気の抜けたような声。いなりは己が官能を感じていることが悔しかった。が、それでもこの感覚には逆らえない。それは、彼女に残っている獣の部分がそうさせているから。
「いなりぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」
流れ星が、触手を切り裂いた。流星は鋭角に切り返し、何度も何度も触手を切り刻む。そして、最終的にいなりのすぐ横に流星はやってきた。
「…かおる…わし…」
いなりは涙声で、待ち焦がれた人物の名を呼んだ。その後に続く言葉を、薫は遮った。
「今、助けるから!」
薫は剣に意思をこめる。この剣は意思の剣。ならば、その力は意思に左右される。そして、その力は、思いと同じように、無限大まで広がる。
「レラ!」
その言葉は、始まりに過ぎない。剣から風が発生した。それは渦のように剣に纏わりつく。
「ワッカ!」
さらに、剣を握る手の反対の手に、水の球体が現れる。それは決して下には落ちず、その場で内に向かうように流れ続けている。
「ヌイ!」
右足に炎を纏う。それは蛇のようにとぐろを巻いていた。色は朱。
剣にその3つが集束する。絡み合うように螺旋を描きながら、剣の周囲を滞空する。
最後の言葉。それは、この技の名前。彼も知らない、太古からの記憶。剣を天に構え、言葉を捧げる。
「カンナ…カムイ!」
剣が振り下ろされた。それは、技が始動した証拠。3つの力はそのまま触手の中に染み込み、内側から破壊していく。そして、いなりを傷づけることなく、触手を全て破壊した。だが、技はそれで収まらない。3つの力は、大元のエイリアンに向けられる。
エイリアンはそれを察知し、すでに再生させた触手で盾を作った。だが、3つの力はこれを貫通する。その瞬間、3つの力が、1つになる。
その姿は、天を掛ける龍そのものだ。姿は東洋のもの。触手を食い破り、本体に向かい、飛翔する。
「そのまま…いっけぇぇぇぇぇ!!!!」
薫が咆える。それほどに、意思が強い。なら、それを止めることができる者は、いない。
エイリアンと龍が激突した。
龍の攻撃は、エイリアンの体を大きく食い破る。
「グゥゥゥゥウゥゥ!」
エイリアンはそれさえも飲み込む。力が徐々に失速し、消滅した。が、その傷跡は、薫たちにある真実を気づかせる。エイリアンは体、主に胴体の部分を大きく抉られていた。そそして、その中にある「源」は2つ。
「2つの『源』っ!?」
黒百合が困惑する。同じことが白梅にも起こった。そう、彼女たちは知らなかった。エイリアンが白梅の産んだ同位体を取り込んでいることを。
そして、残りの3人はやっと気づく。あの時、消滅しかけた『源』の断片から、源を再生したのだと。それなら、片方が破壊されても、断片が残れば修復は可能だ。あのとき、あの化け物を殺しきれていなかった…それこそが、こいつの強さの原因だと。
「そういう…ことならば!」
黒百合は魔法の準備を始める。それに呼応するように、白梅は再度、結晶庭園を繰り出す。
「いなり!」
薫は支えを失い落ちていくいなりを受け止め、抱きかかえるとその勢いを殺しつつ優しく地面に着地した。いなりはほっとしたのか、涙で顔を歪ませた。そのまま、薫の胸にすがりつき、周りを憚らず、大声で泣いた。薫はそれを止めるようなことはしなかった。
エイリアンは更なる変貌を遂げようとしている。体を人間のものにして、腕も同様に。しかし、背中からは触手が生え、さらに人に近く。より禍々しく。もうエイリアンと言うように呼ぶのさえふさわしくない。化け物。怪物。エイリアン。その全てを超越した存在だった。
「…結晶庭園…宵闇…」
白梅の声と同時に、紫水晶が宙を舞う。宵闇とは、月が出ていない暗い夜のこと。それを体現するように、月の光を遮るほどの水晶の数。それが全て異界生物に向かう。それも真っ直ぐと言うわけではない。角度をつけた攻撃や、後ろからの攻撃と多彩だ。それは、昏い闇から襲われている感覚と同じ。
だが、それは普通の人だからこそ通用する。異界生物は背中の触手で、それを全て打ち落とす。動かず、そして新たな攻撃の準備をしつつである。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!ハハアハッハハハハハッハハハハ!!!!!!」
高笑いしながら魔術を起動する。魔法陣は、太極をアレンジしたもの。それは、どこかの国旗に似ていたような気がした。
「極光!森羅万象!明滅ス!」
それは、全てを食い破る拒絶の光。その光の帯は、黒百合に向かっていく。
「…顕現…『寛容の闇』…」
白梅が黒百合の前に出て、唱える。そう、気づけば簡単なことだ。なぜ、こいつは光を使い、白梅は狂気に満ちたときに闇を使ったのか。全ては正反対だった。こいつ自身は光だとしたら、あの闇は白梅自身のもの。この神様の持つべき力は、本人の気づかないところで神様に渡されていたのだ。こいつに対抗できるように。
それは、最強の盾。受け入れることによって、力をなくす光。拒絶と寛容。相反する力が、己の存在を賭けぶつかり合う!
「ありがとう…白梅!」
黒百合は魔法を完成させると、白梅にお礼を言った。白梅は振り返らず、頷くに留まる。が、それだけで意思疎通は済んだ。
「行くわよ…あなたを…星の海につれて行ってあげる!」
魔法陣は黒百合の足元ではなく、異界生物の上下左右前後を囲むように展開された。これは、彼女しか使えない魔法。いや、彼女が白梅から生まれた存在だからこそできる魔法。異界を作り上げ、その世界に相手を閉じ込め、いくつもの星を落とすことで相手を殲滅する魔法。別名星落とし。それを今、異界生物に行使する。
異界生物はこの世から一時的に消え去る。白梅と黒百合だけが、その先を知ることができた。
星の海に浮かぶ異界生物。黒百合は軽く指を動かした。木星に似た惑星が、異界生物に衝突した。さらに、指を動かす。まるでハープを弾くように滑らかに。次々と星が異界生物に当たる。その衝撃は、普通の生物だったら即死だろう。だが、異界生物はそれでもなお、生存していた。
破壊と同時に再生。さらに星すら砕く魔術。異界生物は己の力すべてでその技に抵抗した。その力はやがて肥大化、増強していく。それは、黒百合の想定範囲外だった。黒百合はこの技で決着をつけようとしていたのだ。だが、それも間もなく、崩れさる。
空間に罅が入った。それは、強引に世界をつなげた証。白梅も驚愕する。あいつは、黒百合の作った世界そのものを、崩壊させようとしている。黒百合は歯噛みした。これで仕留められないと、もう打つ手はない。罅から光が漏れる。そこには、愉悦に顔を歪ませる異界生物がいた。
「ドウシタ?手品ハソレデ全部カ?」
その言葉を言い終わると同時に、触手と魔術の同時攻撃が放たれた。触手は四方に展開した後うねりながら白梅を、魔術は逃げ道を封じてから黒百合を狙う。触手の数に、白梅は対応できていない。触手に耳を掴まれ、白梅は力が抜けたのか尻餅をついた。それから耳と顔を赤くする。自らがその程度で失禁している事実に恥じて。
黒百合への攻撃は、苛烈を極めた。あえて殺さず、傷をつけて弄る攻撃。魔術の名は、焼却光と冷却光。片方は触れると相手を火傷させ。もう片方は触れると相手に凍傷を負わせる。それをあえて重要部分を外させて放つ。
そしてお互い、立ち止まることや、魔術や技を発動させることを許さない。常にその攻撃に気を配るようにさせ、余裕をなくし精神を揺さぶる。一歩的な遊び。ワンサイドゲーム。
「我ガ手ノヒラノ上デ踊リ、散レ!」
「そうは…」
「させないのじゃ!」
異界生物が声に反応して振り返る。その瞬間、胴体が一刀両断された。横を通り過ぎる何か。それを認識した後、異界生物はすぐに切れた体を再生しようとしたが、それをあるもので阻害される。
炎。その切った体の間に炎が存在し、異界生物はいつまでも再生できない。異界生物は怒りの表情で通り過ぎたものを見た。
薫といなりが、振り向いて滞空している。いなりは九尾の女性体。薫は天翔刀と「意志」の剣を持っている。2人は余裕の笑みを浮かべながら、異界生物を眺める。
一方下では、触手はすべて切断され、光にとらわれていた兎は、猫に助けられた。
「これで大丈夫にゃ!」
たまが無邪気な笑みを浮かべながら、断言した。白梅も黒百合も、彼に助けられた。すでに守人の姿は、ない。それを白梅と黒百合は悟った。
「あとは、2人に任せるにゃ…一発決めてやれにゃ!」
たまの言葉を受け、2人は決意する。
「サポートはこっちがする!存分にやればいいぞ!」
いなりはお札をばら撒きながら言った。お札は再生しようとする触手に触れると同時に爆発する。
「締めは僕に任せて…2人は自由に!」
薫は剣と刀を構え直す。それぞれに己の力を纏わせ、準備万端といったところだ。
「…いくよ…黒百合…」
白梅は黒百合の手を握った。か細い指同士が絡み合う。だが、その見た目とは逆に、絡み合う指は、力強い。赤い瞳が、大きくなる。そこに映る自らを確認した黒百合は、白梅の言葉に応える。
「ええ。これで最後にしましょう…」
そう。最後の一歩に。彼女の言葉の裏には、そんな気持ちが隠されていた。彼女は予感している。このままいけば自らは白梅に統合されて消滅するだろうと。元は1つなのだ。それが正しいあり方。悔いがないと言ったら嘘になる。それでも、彼女はその運命を受け入れる。だって、今、こんなにも笑えていられるから。
そして、ダンスが始まる。元服の舞。それは、2人の成人の証。大人への第1歩。
白梅は水晶でできた剣で、黒百合は白梅が持っていた2つの扇で。先ほど見せたものとは違う、変則的で、かつ優雅な舞。剣は波のように滑らかに動き体を切り裂いていき、扇から出る霊術式糸は異界生物に絡みつき、逃さない。
「…御館様…いえ…父さん…見ていてください…」
「これが、私たちの舞です」
時折相手を変えてはそれを繰り返す。切り裂いた後も、糸は絡みついたままだ。そして、扇を閉じる動作と同時に、絡みついた糸が肉片を粉々にした。2つの源が露出する。1つを白梅が、もう1つが黒百合の相手となる。剣は源を削るように高速に動く。扇から伸びた糸が、先ほどと同じように源に絡みつく。
「貴様貴様貴様貴様止めろやメろヤメロ止メロ止メろ……っっっ!!!!!」
異界生物は触手で抵抗しようとするが、それはすべていなりの術で封じられている。
最後の一振りと扇が閉じ終わるのは同時だった。「源」は、その瞬間、粉々に砕かれる。それは、異界生物の死を意味した。異界生物は徐々に砂と化し、砕けた「源」だけが残った。だが、まだ足掻く。2つの砕けた「源」が融合し、再生しようとしている。
「その瞬間を!待っていたんだ!」
2人の後ろから、薫が突撃してくる。白梅と黒百合は道を譲った。視線が交差する。そこには親愛と、信頼。2つの気持ちが込められている。
「ハァァァァァァッッッッ!!!!」
薫は雄叫びを上げながら突撃する。彼の背中を、皆の心が後押しする。その意志全てを、剣に込める。
源はまだ漂う触手を再生させ、それを防ごうとする。
「術式『焔車』!」
いなりがお札でできた車輪を回転させる。数は2つ。それをチャクラムを投げるように投げた。手から離れた瞬間、その車輪は炎で包まれる。それは意志を持ったように揺れながら触手を切り裂く。切れた所には炎が残り、再生できない。それでも向かってくる触手は、天翔刀で切り裂く。今の彼を止める手段は、どこにもない。
(クルナクルナクルナクルナクルナクルナ……!!!!!!)
発声器官がないのに声がする。それは、彼らの心に直接語りかけているからだった。
(コワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセ………!!!!!!)
「源」は前のように会話にならない状態だった。狂気に彩られた言葉は、それを表している。
「うるさい!」
薫はそれを一喝した。
(……………)
「お前は!白梅を!黒百合を!籠命を!いなりを!たまを!皆を困らせてきたんだ!その報い…受けろ!」
意思の剣が、『源』を串刺しにした。その後、数秒、静寂に包まれる。そして、
『源』は完膚無きまでに砕け散った。
そのまま欠片は砂になる。残った異界生物の体も砂となった。それを見届けると、薫は剣についた砂を振り払った。
「…終わった…の…?」
白梅はそう呟くと同時に地面に向かって落ちる。瞳は閉じられ、その顔は眠るように穏やかだ。
「白梅っ!」
黒百合がそれを追う。いなりは力を使い果たしたのか、元の少女体に戻っている。それを受け止めるため、薫はそちらに向かった。
黒百合は白梅に追いつき、抱きとめながら着地する。たまはいざという時のために黒百合たちの着地地点のすぐそばにいた。
「白梅。大丈夫かしら?」
黒百合の問いかけに、白梅は疲れたようなか細い声で答えた。黒百合は白梅を支えるように抱いている。お互いの顔は見えない。
「…ごめん…気が…抜けちゃった…」
その答えは、黒百合を安心させるには十分だった。自然と安堵の表情を浮かべる。それを感じて、白梅は微笑みで返した。たまはその様子を見て、自ら離れ、薫といなりの着地地点へと向かった。
「白梅」
「…なぁに…?」
黒百合の問いかけは続く。
「運命…変えられたわね」
「…うん…できた…」
「もう、1人でも平気?」
「…それは…まだわからない…けど…」
「けど?」
「…がんばる…だって…大人になったんだから…」
「そうね」
そこで一呼吸。今度は白梅の方から問いかけた。
「…黒百合…ううん…もう1人の白梅…」
「なに?」
「…このままだと…消えちゃう…?」
「そうね。あなたと統合されるわね」
「…悔い…無い…」
「無いわけではないけど…大丈夫よ」
「…どうして…?」
「私は、ずっと1人だった。1人で戦ってきて苦しんで…でも、今こうして笑うことができる。あなたと話すことができる。それが一番うれしいことだから」
「…じゃあ…悔い…何…?」
「これからの未来…かな?」
そこで白梅は聞くのを止めた。無言。それは最後の一時。お互いの表情は見えない。だが、お互い同じ表情を浮かべている。穏やかな笑顔。瞳からあふれる涙。
「…さようなら…そしてありがとう…黒百合…」
「馬鹿ね…私は…あなたなんだから…お別れの言葉を言っても…仕方ないのに…」
徐々に黒百合が光の粒となる。抱いている手が空を切りそうになる。
「今度生まれ変わった時は…本当の双子でいられるかしらね…私たち…」
「…うん…きっと…そうなるよ…」
白梅は支えを失い、倒れそうになる。
「馬鹿ね…そういう時は…絶対なるって…言っとくのよ…」
それを最後の力で黒百合が支える。黒百合は、最後の言葉を残す。
「しっかり自分で立ちなさい。あなた、大人になるのでしょう?」
そして、キスを交わした。それで、黒百合は消滅する。
「白梅…」
薫たちが来たのはそれから数十秒後だった。白梅は自ら、その顛末を説明した。
「そうか…黒百合は…」
薫はそれだけ言うと、白梅を抱いた。その中で白梅は静かに、本当に静かに泣いた。それを薫は受け止める。
「さて、帰ろうか」
一通り泣き終わると、薫が言った。
「とっても疲れたにゃ」
たまは両手をだらりとしながらかくりと首を項垂れる。
「あの…その…おむつのほうも…」
いなりはもじもじしながら呟く。薫の目がおむつに向くと、顔をカァと赤くする。そのまま俯き、顔を隠した。
「帰ろう…白梅…僕らの家に」
薫は手を白梅に差し出す。
「…うん…」
白梅はその手を取り、歩きだした。戦いが終わる。月はそれをぼんやりと照らしていた。その中心。天空の月の中心に、黒い点。その正体は少女のドレス。両腕に滞空させた腕輪。彼女の周囲を浮遊する6つの宝玉は、両腕の腕輪についていたもの。瞳は金と銀のオッドアイ。髪の色は白。少女は下界の、白梅たちの様子を見終えると、天空を見上げる。そこは奴に切り裂かれ、混沌を覗かした世界の傷があった。
「修復と…」
彼女は胸に付けた鍵のネックレスを外す。それは彼女の手のひらの上で杖に変貌する。周囲を浮遊していた宝玉が、杖の周りを滞空する。
「閉じよ」
言葉を鍵に載せ、宝玉の力を借りて、光に変換して放つ。それは傷に当たると、流星のように拡散し、徐々に修復していく。黒い少女はそれを笑顔で見届けた。
「お疲れ様ですわ」
彼女に話しかける存在が1人。少女は彼女に微笑みを投げかける。語りかけたのは青色の髪をした少女。ウエーブ状に纏められたショートカット。日傘を差し、扇で口元を隠す。瞳は金色。群青のドレスで身を包み、レースをあしらった手袋をしていた。その顔には含みを持った笑みが浮かべられている。
「あら?どういう風の吹き回し?いつも寝ている貴方が出てくるなんて」
「私は自分の飼い犬がどこに行ったのかを調べに来ただけですわ」
「本当に。しっかり手綱は握って欲しいわ」
「あなただって、アレがあいつの中にいたのを知っていたのではなくて?一度接触しているのでしょう?」
「まあね。私があげた寛容の力は役に立ったようね」
黒い少女は杖を元に戻し、腕輪に宝玉を戻す。その後、虚空に穴を穿った。
「あら?まだ仕事があるの?世界を安定させるのは大変ね」
「ここから先は個人的用事」
「そうなの?ではまた」
青い少女は溶けるように消える。それを見届けると、黒い少女は再度下界を見た。
「…よかったわね白梅…あとは私が贈り物を届けるわ」
穴の先には、月。彼女はその中へと飛び込み、この世界から立ち去った。残された月の優しい光が、家路を歩く子供たちを見守っている。

家に帰ると、まずはじめにお風呂に入ることになった。まあ、みんなボロボロの泥だらけなので仕方がないが。
「さて、脱ぎ脱ぎしましょうかね〜」
僕ちょっとフザけ気味に言うと、拗ねたようにいなりが、
「子供扱いするでない!」
と主張した。全員脱ぎ終わると、脱衣所に黄色く染まったおむつの山が築かれる。
「これは…洗濯のし甲斐がありそうだ」
僕も服を脱ぎ、お風呂場に突撃する。狭い洗い場だが、子供3人と青年1人ならなんとかなりそうだ。
「こにゃ!熱いにゃ!」
たまがシャワーに驚いている。
「…もっと…優しく…して…」
白梅がたまのシャンプーが荒いのをいやがって、耳をフルフルさせている。
「ぎゃ!かおる!尻尾を踏むな!」
いなりが僕に対して文句を言った。僕もそれを謝りつつ体を洗う。傷に石鹸が沁みて痛い。
「ちょいと狭いの」
みんなで湯船に入る。さすがに窮屈で、僕の足の間にいなりやたま、白梅が座るという格好になる。尻尾が足に当たってちょっと気になる。
「ふぃ〜」
僕は大きく息を吐いた。
「かおる。それ、爺臭いぞ」
いなりの痛烈な批評が返ってきた。
「うにゃー!もう出るにゃー!」
たまはすぐに出ようとしたが、白梅に抑えられる。白梅は黙ったまま、顔を紅潮させている。髪をタオルで纏めあげられた白梅は、とても色っぽかった。
「何白梅を凝視してるんじゃ?」
いなりがジト目で僕を見る。白梅はいなりの言葉で僕を見る。2つの視線から逃れるように僕はすぐに目を逸らした。
「さて、白梅に薫…いろいろと説明してもらおうかの」
僕が口を開くより先に、白梅が話し始める。それは長く語られる物語。彼女たちは、その物語を真剣に聞いていた。僕はあの戦いの最中に聞いていたが、今落ち着いて聞いていられる。
「…白梅は…皆…出会えて…幸せ…」
白梅はその感謝の言葉で締めくくる。その後、数秒の沈黙。ぴちょんという、落ちた雫の音だけが響く。
「よーし!」
いなりは勢いよく立ちあがる。裸なのも気にせず湯船から飛び出した。それに合わせてたまも立ち上がる。
「なら!今から会いにいくぞ!」
その言葉の意味を理解し、僕は戸惑った。
「でも、白梅は…」
「大丈夫」
僕の心配は及ばなかった。白梅は強い決意をもった視線で、僕の言葉に反応する。
「ほら!行くぞ!」
すぐに替えのおむつをつけさせ、着替えて準備をする。替えのおむつもリュックに入れておく。
「本当に大丈夫?白梅」
僕の心配に白梅は大きく頷くことで答えた。揺るぎない視線が、白梅には珍しく感じる。
僕は、あの幻想世界に続いて2回目だ。
「おお!すごいにゃ!」
「星がいっぱいじゃ!」
星の回廊を歩き、夜の世界を訪れる。
「お待ちしておりました」
兎たちに囲まれ、籠命が待っていた。白梅は、戸惑いながらもその名を口にする。
「…籠…命…」
籠命はそれには応えず、僕に対して「成功したのですね」と話しかける。それからいなりたちを見て、話しかける。
「お久しぶりです。小野原様。末島様」
たまもいなりもそれに応えて、「お久しぶりじゃ」「しばらくにゃ」と答えた。いなりはその後すぐに、お札を1枚取り出す。そこにいる皆が、そのお札が何であるかを知っている。
「かごや」
いなりはお札を人形に戻した。古ぼけた藁人形。それは、籠命の代わりに年をとっていたもの。呪いの象徴。
「この封印…そしてお主の心の封印…解くぞ!」
その言葉に籠命は頷いた。籠命は最後の一歩。永遠を捨てることを選ぶ。周りの兎たちはその意味を解りかねているようだ。僕たちを警戒して、近づこうとしない。
「その御霊…その体…我が呪い…浄化の炎と共に祓え給え」
いなりは人形を燃やす。それに呼応するように、籠命も燃え始める。兎たちは真っ先にいなりを襲おうとする。それを柳耶と水仙が制す。
「…籠命…!」
今にも飛び出そうとする白梅を、たまが制す。籠命は服ごと燃え続ける。
「見てて白梅。これが、永遠を求めた愚かな子供の末路だよ」
ついに、感情が感じられる声が出てきた。籠命はさらに続ける。
「私ね。怒ってないから!むしろごめんね!絶交されちゃったけど…それでも白梅が好き!」
燃えるように、感情が溢れ出す。それは白梅も同様だ。
「…うん!…うんうん…!絶交なんて…言って…ゴメンナサイ…!…やっぱり…白梅は…籠命…大好き…!」
お互い本心をぶつけ合う。その時、きれいな笑い声がした。擽るような、子供の笑い声。
「えっ?」
一番最初に驚いたのは、いなりだった。彼女の出した人形が消滅すると同時に、火が消えたのだ。それにもかかわらず、籠命は存命している。
「私…生きてる…」
裸の状態で、籠命は自分の両手を確認した。確かに生きている。白梅はたまの制止が緩んだ隙に、籠命に駆け寄り、最後の一歩でこけて、抱きつく格好になる。
「…よかった…本当に良かった…」
白梅は籠命の胸で泣きじゃくった。その様子を微笑ましく眺めるいなりとたま。2人はその疑問を追及しようとしなかった。そして、僕の耳には答えが聞こえた。
(フフ…祝福のプレゼントよ…)
それは、少女の声だ。聞き覚えのあるその声は、いつ聴いたのだろうか。懐かしい声で、温かい香りがした。その夜、僕らは夜の世界の宴会に付き合った。飲めや歌えやのドンチャン騒ぎで、正直言って疲れた体には堪えた。けど、喜ぶみんなの顔が、白梅と籠命の笑顔が見れただけでも満足だ。
そこに、黒百合がいないことだけが、ただ1つの不満。
いつの間にか、眠っていたようで、横には白梅が眠っている。
「…ふにゅ…籠命…」
口をふにゃふにゃさせながら、寝言を言った。かわいくて思わず髪をなでる。
「…ふにゅ?…薫…?」
どうやら起こしてしまったようだ。目を擦る仕草も、かわいい。
「ごめん起しちゃった?」
「…ううん…大丈夫…けど…」
白梅は恥ずかしそうに俯いた。どうやらおねしょをしたみたいだ。僕は白梅のリュックから換えのおむつを出す。ホックをはずすと、中の黄色く染まったおむつが顔を覗かせる。それを取り除こうとして、あることに気づいた。
あれ?白梅は男の子だよね?
なぜかあるべきものがないんですけど…
「何をじろじろ見てらっしゃるのです?」
その口調は、白梅のものではない。僕が顔を上げると、白梅とは違った、気品があるような笑み。中世の人形のような雰囲気。その口調。
「黒…百合?」
僕は知らず口にしていた。その名前を。黒百合は艶やかな笑みを浮かべた。黒百合はおむつ替えをされながら説明する。
「私もびっくりしたわ。統合されたら意識ごと死ぬと思ったもの。それがこうして意識共有という形で生き残ることができた」
「じゃあ女の子の体になるのはなぜ?」
「表になる方の意識で肉体も変化するみたいね。二重存在となっているからかしら。こういうのは得意分野じゃないの」
おむつをまとめ、ホックを閉じる。
「だから…こうやって…」
その瞬間、口調が変わる。雰囲気も。耳がひゅんと揺れた。
「…薫…白梅…黒百合…一緒…うれしい…」
白梅は涙を浮かべていた。それは、喜びの涙。
僕の元に、2人が返ってきた。
それは、きっと奇跡が重なってできたこと。
「これから、よろしくね」
黒百合はウインクを僕に向ける。彼女も優しくなっていた。
世界が変わっていく。僕らも変わる。永遠なんて存在しない。ずっと子供でもいられない。
でも、それでも、僕らは過去を、子供の時代を、忘れない。それさえあれば、子供でなくなっても、きっと大丈夫。未来と過去。それは心の柱になり続ける。
僕と黒百合は、改めて握手した。それは、僕と黒百合、白梅たちの最初の一歩。新たな未来の幕開けとなる日。
この物語は交じり合ったが故の幸せと不幸せの物語。
そう、誰もが背負うべき物語。
それが背負えないなら、僕が背負うと決めたんだから。
――追伸、家に帰ったら真琴と夕子に怒られました。年下に怒られる僕って…。

僕らはまた1つ物語を終える。
そして、新たな物語が幕を上げる。
それは、古より語られし神々の黄昏。
その参加資格を持つ僕らは、否応なしに巻き込まれる。
そう、cross(神々の)drive(行い)に従って。