私はよく「お姉さんキャラ」と呼ばれる。確かに私は、現役合格者であるが、身長が高く、物腰柔らかな口調で、それでいて服装も大人しめのものが大好きだ。
同級生の間では、「とても優しい性格」で人気があり、誰からも尊敬される存在であることには間違いない。
だが、私はなぜだか分からないが、おむつの虜になってしまった。おむつが好きになった理由は分からない。
それでも、おむつと私とのつながりを考えていく上で、「あること」がおそらく強いつながりを気づいたのではないかと考えられる。
私のおねしょの卒業はとても遅かった。中学校を卒業するまで、私は毎晩おねしょをしていた。
朝はまずシャワーから始まり、非常に慌しい一日だった。
それでもお母さんは、私のおねしょを、
「いつか治るものなんだから、今はいっぱい出しちゃってもいいのよ」
と、私のおねしょを許し、毎晩私におむつを着け、毎朝私がおねしょで濡らした、臭くて汚いおむつを嫌がらずに外してくれた。
私は小学4年生の頃から体格が大きくなっていった。特に身長が伸び、小学6年生の頃にはクラス最高の身長となった。
それに伴い、私のおねしょの量も小学校入学時と比べてはるかに増えていった。回数も増えておむつから漏れることが多くなってきた中学1年生の頃から、私は毎晩大人用のテープ型のおむつを着けてもらうようになった。
おねしょを全くしなくなったのは高校1年生の夏頃だが、突然おねしょをしなくなると、私は逆にお股とお尻が少し冷たく、寂しく感じられるようになった。
お母さんは、
「またおねしょし出しちゃってもいいように」
と、自室に残っていたおむつを、パッケージごとそのまま残しておいてくれたのだ。
しかし、おねしょが治った直後の私は、おむつに対して激しい嫌悪感を抱いていたのだろう。お母さんが「今夜もおむつする?」と聞くと、私は顔を赤らめて「嫌っ!」と叫んでしまった。
今思えば、あの時素直に「うん、おむつしてぇ」と言っていれば、違っていたのかもしれない。結局、そのおむつは大学進学前の時に、フリーマーケットで老人持ちの家族に売られてしまった。
そして、私のお股に温かさをくれるものは、月に7日間だけ着ける例のものだけとなってしまった。
しかし、肝心のおしっこを吸収する力などほとんどなく、取り替えるときにいつも、それが生々しい姿をさらけ出すので、私は恐怖におびえてしまいそうな気分になっていた。
私は、転んで膝から出血しただけでも恐怖を感じて、泣き出してしまう身である。
それと同時に、私はお股とお尻にもの寂しさを覚えるようになっていった。特に、夜寝るときは強く感じられた。
おねしょをしていた頃は、おむつを着けていないと不安で眠れないこともあったが、おねしょが治ると、お尻のあたりが薄っぺらくてもの寂しいという理由で眠れなくなったことも覚えている。
そして、志望していた大学に現役で合格し、翌春から入学する運びとなった。だが、その大学は自宅から遠く、自宅と大学を行き来するのは非常に困難、というより、不可能だった。そのため、私はやむを得ず下宿をすることとなった。
私の家族は稼ぎが良いこともあって、学費も下宿代も支払えて、なおかつ幸せに暮らせるほどの貯蓄はあったので、金銭面では特に心配する必要は無かった。
下宿となり、一人暮らしをすることとなったのが、転機だったと思う。知っている人に関しては誰にもおむつを見られる心配がないので、芽生えてしまった幼すぎる趣味を隠すにはもってこいだった。
ただ、さすがに私生活には責任が持てないので、アルバイトを始めた。時給はまあまあだが、仕事が楽しくて、気が付けば、私はある程度好きな物が買えるほどのお金を稼いでいた。
そして、その給料を元手に、初めて自分の金でムーニーSBとオヤスミマンを購入した。これが、私のおむつ好きとしての出発点だ。