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トップ  >  黒人形作  >  cross drive  >  cross drive 第二話 7th GHOST Bパート
―――時は、平安。
1人の男が、屋敷の縁側に出て月を眺める。
眩い様に輝く、黄金の月。
男は杯に美酒を湛え、その月を呆けるように眺める。
不意に、気配。
「来ていたのか」
男は暗がりにいる人物に話しかける。
「ええ。私もご一緒してもよろしいでしょうか?」
「構わん。ちょうど1人では物足りなくなってきたところだ」
男の答えに応じて、暗がりから月明かりが照らす場所へ。女はゆっくりと進む。その髪は黄金色。髪の長さは腰まで届きそうであった。豪勢な単で身に包み、うっすらと化粧が施してある。年にして17くらいだろうか?女はゆっくりと男の横に腰掛ける。
「月が…綺麗ですね」
女は月を見上げながら言った。
「ああ。美酒に酔うには絶好の満月だ。お前も飲むがいい」
男は杯を女に向ける。
「私は…いいです。あなたにお会いしてからは酒は飲まないと決めたんです」
女は杯を押し返す。男は「そうか」と言った後、
「それは本性を現さないためか?それとも俺に体を委ねそうになるのが怖いからか?」
と意地悪な質問をした。
「そのどちらも怖いのです。私は魔性の物。自分をさらけ出すのも、自分を知られるのもこわいのです」
伏せがちに女は答える。男は女の答えを一笑し、
「私はお前が知りたい。私は陰陽師としてはまだまだ未熟だ。そんな私を信頼し、付き従ってくれるお前のことが。元はかの有名な九尾の狐の1つ、『松原山の大狐』だというのに…な」
男は杯の酒をくいっくいっと飲む。
「…その名前で呼ばれるのは…あまり好きではありません」
女はそう抗議すると立ち上がり、
「すいません。先に失礼させていただきます」
と言い、立ち去る。去り際に男が言う。
「ではこれから何と呼べばいい?」
女は振り向かず答える。
「いなり…そうお呼び下さい」
襖の閉まる音。男は再度月を仰ぎ見る。注意深く見た後、その黄金色が何かに似ていると感じた。だが、それが何かは思い出せない。男も杯を片付け、床に就く。そうしてやっとその黄金色が、今隣で寝ている女のものに似ていると気づいた。

―――そして、現代。
目覚ましが甲高い音を鳴らし、僕を起こした。隣で眠っているたまは、この大音量でも起きないという肝の座った奴だった。日付を確認する。カレンダーには今日の日付のところに「肝試し」と書かれている。
朝の支度をした後、音子さんが入ってくる。音子さんは重そうにダンボールを抱え、やってきた。
「お嬢様からのプレゼントです。この前話したリュックだそうですよ」
そういいながら手際よく箱を開け、中のものを出していく。僕はそれを注視する暇もなく、
「いってきます!」
と玄関から土石流のように出て行く。まだ十分間に合う時間帯なのだが、早く出るには理由がある。学校に着くと、まずやることはルートの確認。その後、噂の確認。そして最後が、人から見えない位置の確認。
これは、3人のおむつ換えに関することだ。実は、今回の肝試しに参加する人数が、予想より多い。
これから下にリストを掲載する。参考にして欲しい。
小倉 舘雄  ♂ 高等部1年C組 バスケット部
 小倉 孝太  ♂ (大学)美術学部彫像専攻 舘雄の兄
天童 結   ♀ 高等部1年C組 ラクロス部
天童 誠二  ♂ 中等部2年F組 放送部・結の弟
荻原 浩   ♂ 中等部2年F組 新聞部・誠二の友人・圭太の後輩
神島 薫   ♂ 高等部1年C組 帰宅部
小野原 いなり ♀ 薫の居候A   狐
末島 たま  ♂ 薫の居候B   猫
兎宮 白梅  ♂ 薫の居候C   兎
高野谷 守人  ? 高等部1年C組 帰宅部
 園原 圭太  ♂ 高等部1年C組 新聞部
 園原 友紀  ♀ 初等部5年A組 家庭科部・圭太の妹
 神前 昌   ♀ 初等部5年C組 家庭科部・友紀の親友
扇坂 晴香  ♀ 初等部5年B組 音楽部・友紀の親友
黒澤 麻紀  ♀ 高等部1年C組 オカルト研究部
黒澤 英之介 ♂ 初等部体育教諭 バスケット部顧問・麻紀の兄
水無月 夕子  ♀ 高等部1年C組 帰宅部
計17名(男9名 女7名 ?1名・先生1名 大学生1名 高校生7名 中学生2名 小学生3名 その他3名)
となっている。これだけ多いと、人目を気にしなければならなくなる。そこで、うまく遮蔽物になるものなどを確認していたのだ。確認し終えると、そのまま教室へ。
放課後、19時に校門に集まる約束をする。
「ただいま〜」
疲れた声で言った僕を、
「おかえりなさいませ」
朗らかな声が迎える。その声はリビングから聞こえる。僕はそのままリビングに向かう。
そこには、立派に「おめかし」した3人がいた。
いなりはクリーム色の長袖シャツに黄緑のスカート。赤いリボンで房を2つ作り耳にかからないように前に垂らし、ヘアゴムでポニーテールにまとめてある。たまは水色のポロシャツに黒のハーフパンツ。左手にお洒落なデジタル時計。白梅はフリルがついた白と黒のワンピース。ところどころに赤の紐のアクセントが入る。髪の毛は青いリボンでツインテール状に結ばれている。
僕の帰りを楽しみにしてたのか、音子さんは僕の姿を見つけた途端、
「どうですか?似合いますか?」
と聞いてくる。僕は少しの間答えに詰まったが、
「うん。似合っていると思います」
と答える。音子さんはとてもうれしそうな笑顔を見せた後、「ではお夕飯の準備しますね」と台所に向かう。今1度、3人を見る。数秒の沈黙後、まずたまが口を開く。
「……薫。顔真っ赤だにゃ」
瞬間、僕の思考が止まる。
「なんじゃ?感じたのか?かおるはわしに感じたのか?んん?」
明らかにいたずらっ子な目をするいなり。
「…薫…もしかして…変態…?」
とどめはきっちり白梅が刺す。僕の思考はようやく回復。うまく考えがまとまらないまま答える。
「な、なな、なにいっているんだよ!そんなわけないだろ!」
明らかにベタな返しだった。
「なんだ神島?ツンデレに目覚めたのか?あ、あがらせてもらうよ」
後ろから守人登場。
…というかなんでそんな妙な単語知っているんだ?そもそもツンデレって何?
僕の思考が飛んでいる間に、守人はソファにくつろぎ紅茶を啜っていた。もともと高野谷家のメイドさん。つうかあの仲だ。
結局、そのまま守人は夕飯後まで居座り、一緒に学校まで行くことになった。

学校に着くと、すでに6人ほど待っていた。
舘雄にその兄の孝太、結にその弟の誠二、誠二の友人である浩。そして夕子である。軽くお互いの自己紹介と挨拶をした後、やはりというべきか3人に質問は集まる。僕は、敷き紙などの部分を省き説明する。一応3人は霊感が強いと言うことになっている。
「ふーん。ま、よろしくねーいなりちゃん」
結がいなりの目線にあわせてしゃがんでから言う。
「む。…まあよろしく頼むの」
「あはっ!この子の口調おもしろー!」
ノリが軽い結に困惑気味なのだろう。いなりは守人に目線で助けを求めた。
「経験だよ経験。慣れるよきっと」
ぼそっと守人がささやく。僕でも聞こえづらいのにいなりに届くのかなぁと思ったが、案外届くようでいなりは助けを求めるのを止め、何とか対処していた。
「この子の髪の毛すごいさわり心地いいよー!夕子も触りなよ」
結はハイテンションのまま夕子に勧める。
「私はいいよ…」
夕子は控えめに拒否する。
「えーもったいなーい!」
結は飽きたのか次にたまに向かう。いなりは夕子の方を向く。
…一瞬その目に殺気が宿った気がした。
「遅れてスイマセン!データをまとめるのに手間取ってしまって」
圭太、友紀、昌、晴香の4名がやってくる。
「うわーケータの妹マジかわいいー」
結はすぐに友紀に向かう。友紀はパンク調の服装をし、昌はボーイッシュに、晴香は清楚な服装をしていた。
「あたしに何か用?」
対する友紀は冷たい。昌は僕の後ろに隠れる白梅を見つけ、興味を示す。晴香はただぼーっと夕子を見ていた。そのすぐ後に麻紀と英之介も来た。すると、手早く圭太と浩が紙を配る。
「これは7不思議の情報をデータ化したものです」
全員に配ると圭太が説明する。
「新聞部は当初からこの学校の秘密について探っていました。特に、7不思議に関して言えばどこよりも確実で有益な情報を持っていると自負してます」
麻紀があからさまに不満の顔を作る。圭太はそれを無視し、
「紙に書いてあるのが、新聞部が調べた7不思議についてデータを簡潔にまとめたものです」
僕は紙に目を通す。ゴシック体でプリントされた字が並んでいる。子供でも読めるようにしっかりとルビが振ってある。それは以下の通り。
               桜ヶ丘学園 7不思議

1st GHOST 蘇る作曲家 場所:高等部音楽室
宿直の先生が目撃。満月の夜に高等部の音楽室に行くと、ピアノを引く音が聞こえる。音楽室を覗くと、そこには作曲家達が描かれた絵画がたくさんあり、その中のひとつが真っ黒になっている。そして、ピアノを覗くと、その真っ黒な肖像画に描かれた作曲家がピアノを弾いている。

2nd GHOST 動くダビデ像 場所:大学部美術棟エントランスホール
夜中に、忘れ物を取りに行った学生が目撃。行きと帰りで違う方角を見ているダビデ。外に出てエントランスホールからしばらくの間は振り向いてはならない。振り向くと、自分を見つめるダビデがエントランスホールから出てきて追いかけられる。

3rd GHOST 図書館に行く二宮金次郎 場所:初等部校門〜図書館
肝試しをした児童が目撃。東門にいる二宮金次郎像が動き出し、図書館に行き、本を借りて戻ってくる。風が吹くと本のページが捲れる。途中で彼に会うと、その本を返してくれと頼まれる。それを断ると、校庭まで連れて行かれ、埋められる。

4th GHOST 動くホルマリン漬け標本 場所:中等部理科準備室
居残っていた理科教諭が目撃。物音がしたあと停電し、アルコールランプで代用しているとき、ホルマリン漬けの標本を見ると、中の標本たちが動き出している。その後、電気が復旧すると、標本たちの動きは止まる。

5th GHOST 血染めのチャペル 場所:旧校舎前の教会
事務員が目撃。夜中に閉鎖されたチャペルを覗くと、幽霊シスターが賛美歌を歌っているのが見える。その賛美歌が止むと幽霊は消え、チャペルの十字架から血が大量に流れ出て、チャペルの床を染める。そのとき十字を切らないと、シスター達の仲間になる。

6th GHOST 跳ね続けるボール 場所:総合体育館第2体育室
部活帰りの生徒が目撃。夜遅くに第2体育室の近くを通ると手毬歌が聞こえる。そのままそれに誘われて体育室を覗くと、ピンク色のボールが定点で弾んでいる。そのままボールを触ると一晩中、第2体育室に閉じ込められる。その後、女の子の笑い声がする。

7th GHOST 不明 場所:この学校のどこでも
情報の混濁により不明。ただ分かっていることはこれを知るとよくないことが起こるということだけである。
圭太が説明した後、皆はこっそり見つけた進入口から中に入る。最初に行くのはここから最も近い、大学部美術棟だ。行く途中皆を見ると、いけないことをしているというスリルや恐怖で高揚していた。テンションがあがっていく中、うちの居候3人はそういうそぶりは見せなかった。白梅が僕の袖を引っ張る。白梅を見ると、ジェスチャーで耳を貸してくれと表現する。僕が耳を貸すと白梅は小声で、
「…いる…ここには…よくないものが…気をつけて…」
と忠告する。僕は昂る気持ちを抑えながら、周囲を警戒する。大学部美術棟は数年前に建造された大学部でも新しいほうの校舎だ。Y型の3階建ての建物が中心で、南側にメインエントランスで、中央が吹き抜けになっているドーム状の4階建ての建物。北東と北西はそれぞれ塔が立っていて、7階建て。4階に別校舎との渡り廊下がついている。
「真っ暗だと雰囲気変わるなあ。いつも通ってるんだけどなあ」
孝太がポツリとつぶやく。そのまま僕らは美術棟の前へ。すでに閉まっているために外から眺めてみる。
「変わった様子は…ねーよな」
舘雄が「それ」を見ながら言う。メインエントランスの中央に己の存在を誇示するように「それ」はいた。
ダビデ像。
こちらを正面に向けられているため、右側に顔を向けていることとなる。
「ふつ−あんなん動いたら怖いんだけど」
友紀が簡単な感想を述べる。
「あたしもそう思うよ」
昌も同意したようだ。
「ま、特に変化なさそうだしさ。行こうぜねーちゃん」
誠二はもう飽きたようだ。僕達は軽く外から眺めたが以上がないということでここを後にする。
「それにしても腑抜けだよな」
先に行く舘雄は頭の上で手を組むとこちらに振り返る。視線は僕の後ろにいる圭太に向けられているようだ。
「次はどこ行くんだっけ?」
「次はえーと…『動くホルマリン漬け標本』ですね」
「こっからどんくら…」
その言葉の先が出なくなる。視線は圭太よりさらに後ろに向けられている。僕は無意識に気になって振り返る。
…この時、頭の中に「振り返ってはならない」という言葉が瞬間よぎる。そして同時に、振り返らなければよかったと後悔するのだ。
そこには。綺麗なフォームで走ってくる。白い石膏の体の。
ダビデ像が。
「うっわあああぁぁぁ――――!」
僕の悲鳴に皆の動きが止まり、そして同じように振り返る。
全員がダビデ像を視認。そして絶叫。
まず動いたのがいなり。いなりは高速で自分が理解できない言葉を喋る。その様子はお経を読む状態に近い。次に動いたのが守人だった。守人はすばやい動きで小学生3人組を近くの草むらに隠す。ダビデ像はまっすぐこちらに向かう。
「やつの目を見るな!伏せろ!」
いなりの怒号。その場の皆はそれに従う。するとダビデは僕らの横を通り抜けどこかに消えていく。
数秒の静寂の後、まず口を開いたのは結だった。
「うわー出たーほんとに出たー」
「小倉。紙を読まなかったのか?振り返るなと書いてあっただろう?」
守人が舘雄に抗議する。
「わ、悪ぃ…」
どうやら舘雄が一番腰が抜けてるようだ。いまだ立ち上がらずにいる。
「いやあ出るもんだねえ」
孝太は感心したような口調だ。
「あ、ありがとうございました!」
晴香が守人に深くお辞儀をする。
「別にいいよとっさだったし。それより3人とも怪我ない?」
小学生3人は首を縦に振る。守人は「よかった」とつぶやき、今度はこちらの心配をする。
「たくっしっかりせんかっ!」
いなりが白梅を起こしたところだった。少し落ち着いたところで次の場所に向かう。反対意見も出たが、あれが本当かどうか怪しいため、今後を見て判断するということになったのだ。
次は理科準備室だ。浩がくすめた鍵で中に入る。中等部は見事に「王」の字型に校舎を形成し、交差路は多目的スペースになっている。階段はそれぞれの校舎の端に。どちらか片側は屋上まで延びている。中央の屋上はテニスコートになっていると誠二が説明した。それぞれが4階建てで、鉄筋コンクリート建て。
理科室は一般的な構造をしていた。そしてその部屋の奥にも扉がある。僕らの目的地である理科準備室だ。
「出るにはうってつけだよな。ここ」
持ってきた懐中電灯をつけながら舘雄が言う。
「嫌なこと言わないでよ。ただでさえ気色悪いんだから」
結が文句を言うが、その声は弱々しい。
「先輩。……開けますよ」
浩が圭太に確認をとる。圭太が頷くと、浩はゆっくりと音を立てないようにドアノブをまわす。
開けたときから、早速奇妙だった。
床が水浸しになっている。それもただの水じゃない。独特のにおいを放つ水。水に光を当てる。中には水の中を泳ぐ魚達。体の構造を露出した魚が、縦横無尽に泳ぐ姿は恐怖を通り越して滑稽でしかない。
最初に晴香が失神した。倒れそうになる晴香を守人が受け止める。
「晴香っ!」
友紀が駆け寄る。その大声に魚達は逃げる。すぐに浩が扉を閉める。失神した晴香を英之介が背負う。
「何か嫌な予感がする…もうやめたほうがいいんじゃないか?」
外に出て英之介が切り出す。
「お兄様…それは野暮ですわ」
麻紀はそんなことを言う兄を非難めいた目で見ている。
「けどまじやべーよな。あれはねえーって」
舘雄はやめるほうに傾いているようだ。
「えー結構スリルあるしさ。まだやろーよ」
先程とは打って変わって強気な結。自分を奮い立たせるためにガッツポーズしている。
「僕は続けます!せっかく謎解明ができるチャンスですからね!」
乗気な圭太。すぐに先程の出来事をメモしている。
「お供します先輩!」
浩も続く。こちらも、そのメモに付き合っているようだ。
「ねーちゃんも行くなら俺も行くけど?」
誠二はそう言って圭太たちのメモ帳を見ている。
「保護者は多いほうがいいだろうしなあ」
孝太も行くようで、舘雄に「どうする?」と言う視線を投げかけている。
「友紀はどうするの?」
昌が聞く。友紀は数秒悩んだ後、回答する。
「あたし?次小学校でしょ?…行ったほうが面白そうなんだけど」
友紀は行く気満々のようだ。うっすら笑顔を浮かべる。結構ハイになっているようだった。
「私も…行きます。行かせてください」
夕子は結に頼み込む。結は「オッケーオッケー」とジェスチャー交じりの反応をする。
「かおる」
いなりに袖を引っ張られる。
「わしはこの後もこやつらについていきたいのじゃが…かおるはどうするんじゃ?」
その目は真剣だった。彼女が何故このイベントに本気になっているのか、僕には分からない。
「……僕は」
そう口を開きかけたとき、目が合ってしまった。
遠くで僕らを探すダビデ像と。
「いなり後ろ!」
僕はとっさに叫ぶ。稲荷がすぐに振り向きダビデ像を認識した後、
「全員立って逃げろっ!!」
と叫ぶ。こちらに走ってくるダビデ像。他の皆はやっとそれに気づき逃げ始める。
「ここは分かれたほうが無難じゃ!」
いなりの提案に呼応して、3つのグループに分かれる。ダビデはまっすぐこちらに向かってきている。他の2グループの逃げる時間を稼ぐため、必死に走った。

「はあ、はあ、」
ずいぶん息切れしやすくなったと守人は感じる。最近鍛錬もしてないからだろうか。久しぶりにはじめてみようかと思いなおす。
「…大丈夫…守人…?」
隣には一緒に逃げた白梅。白梅はあんなに走ったのに汗ひとつ掻かなかった。流石兎。3グループに分かれたが、僕らのところにはダビデは来なかった。
ダビデは。
代わりに図書室帰りの二宮金次郎に追っかけまわされたけど。最近のお化けのブームを問いただしたくなる。
「はあ、もう、はあ、走るのは、こりごりだよ、」
神崎がその場に蹲る。一緒にいるのは神前、妹のほうの園原…友紀、兄のほうの黒澤…英之介、妹のほうの黒澤…麻紀、扇坂(失神中)の5人。
「もう最悪」
友紀が悪態をつく。悪態をつく元気があるなら大丈夫なのだろう。
「ん…?」
扇坂が気がついたようだ。英之介は扇坂をそっと下ろす。麻紀は自分の着ている服の乱れを直している。僕は外を眺める。いつの間にか僕らは高等部の校舎に入り込んでいたみたいだ。
「………」
白梅が僕の袖を掴んでいた。見ると、顔が茹蛸のように真っ赤になっていた。僕は屈み、白梅に耳を貸す。白梅ははかなく消えてしまいそうな声で、
「…出ちゃった……おしっこ…」
と伝える。僕はそれで察しがついたものの、困る。僕には神島のように妹などいない。姉さんと兄さんに世話されてきた立場のため、こういうことはまったく分からない。
「ねえ…守さん」
いつの間にか神前が隣にいた。白梅はビクッと驚き僕の後ろに隠れる。
「なんだい神前」
僕は柔和な口調で返す。神前は僕の反応に困惑した後、
「えっとその…まずはなんですけど…神前って呼ぶのをやめて欲しいです。昌でいいですから」
目がくりくりとよく動く子だな。間近で会話してそう思う。
「わかった…で昌。僕に何か用?」
僕は柔和な態度を崩さず聞く。
「あの…その…」
ここにきて言うべきかどうかを戸惑っているようだ。その視線が僕と白梅交互に向く。僕はそれで察しがつく。昌が何か言おうと口を開けたと同時に、昌と白梅の腕を引っ張り、トイレに向かう。
「昌!どこいくのよ!」
友紀が大声で呼びかける。僕はジェスチャーでトイレを示す。友紀は納得したようで僕らを見送った。
トイレに入ると洋式の個室を探す。一番奥の所にそれはあった。3人で個室に入ると少し狭く感じた。白梅が背負っているリュックから中身を取り出しながら昌に聞く。
「昌はどうして、白梅がおむつを穿いていると分かったんだい?」
「私、正樹っていう幼稚園の弟がいるんですけど、正樹はまだおむつ外れてないんです。やんちゃないたずらっ子で、よく走り回ってたりするんですけど、その…白梅…ちゃんだっけ?」
白梅が頷く。昌が続ける。
「さっき逃げてるとき途中から走り方が、その…おむつ濡らしちゃった正樹に似ていたんです。それでもしかしたらと思って」
いい観察眼だと思う。僕は用意を済ませると、白梅にワンピースのスカートを捲らせる。ピンク色の紙おむつが顔を覗かせる。白梅は顔を赤くし、じっとしている。僕は白梅のおむつの中に手を突っ込んだ。
「…はひゅ…」
白梅が甘い声をあげる。おむつの中はしっとりと濡れていた。手を抜き、おむつのサイドを破っていく。僕が右側で昌が左側。両側を破り終わると、おむつの中が露になる。
「あっ…えぇぇーっ!!」
昌が白梅の男の証を見て驚く。その後顔を真っ赤にしてそっぽを向く。僕は説明し忘れたことを思い出す。白梅に腰を浮かせてもらい、濡れたおむつを取り大事なところを重点的に拭く。その間に白梅のことを掻い摘んで説明した。
「そうなんですか…えーっと…つまり…」
何とか理解しようとがんばっている。顔は赤いままだが、それでも僕をサポートしてくれる。全てが終わった後、白梅が昌の前に立つ。数秒見つめあう二人。お互い顔が真っ赤だ。やがて白梅が小さく口を動かし、言葉を紡ぐ。
「…昌…ありがと…」
それは、素直な感謝の言葉。
「えっと…どういたしました…あれ?」
見事に言い間違えた昌。
「…クスッ」
白梅が吹き出す。
「あ!こら笑うな!」
昌はポカポカと白梅の頭を叩く。白梅は痛い痛いと笑いながら言う。とても仲睦ましい光景だった。その時、
――かすかな旋律が聞こえる。
2人が固まる。僕らはトイレから廊下に出る。ゆっくりとみんなのところに戻る。英之介と扇沢だけがいた。
「残りの2人はどうしたんだ?」
英之介に聞く。英之介は簡潔に答える。
「音に鳴る方へ行ったよ」
「と言うと音楽室か…」
僕は白梅を見る。白梅は僕の考えを読み取ったのか、無言で頷く。
「すいません英之介さん。昌をお願いします」
僕は昌を英之介さんに任せると白梅と共に走り出す。昌は僕達についていこうとし、英之介に止められた。僕らはそれを気配だけで感じ取る。一気に階段を駆け上がる。音楽室は旧校舎棟3階の中ほど、渡り廊下から入って右すぐにある。
高等部校舎は新校舎と旧校舎、別館がある。新校舎は中央が開いた鈍角二等辺三角形型の5階建てで3学年全ての教室と職員室などの教師が主に使用する部屋が入っている。そこから鈍角の頂点についた、2階と3階に設けられた渡り廊下を渡ると旧校舎となる。
旧校舎は凹型の3階建てで特別教室と文化部部室が入っている。さらに凹型の中にある円筒形の建物が別館。通称食堂塔。怒涛の7階建て。1階から3階まで食堂関連のテナントが入り、4階から上は生徒会専用エリアとなっている。2階に旧校舎との渡り廊下が存在する。
音楽室前には友紀が腰を抜かしていた。リノリウムの床に小さな水溜りができている。友紀はすでに我ここにあらずという面持ちであった。白梅が近づき介抱する。僕はゆっくりとその扉に近づく。少し開いた防音仕様の扉から覗く。そこから見えるのは作曲家の絵だった。いくつかを見ていくと、1つだけ真っ黒なのがある。
――ショパンの肖像画だ。
何故分かるかというと今流れている曲が、ショパンの代表的な曲であるからだ。
夜想曲 第2番 変ホ長調 op9-2。
夜想曲(ノクターン)の代表的な曲だ。ということは今ピアノを弾いているのもショパンと言うことになる。だが、ピアノには誰もいない。ただ生徒用の座席に麻紀がいるのが見える。僕は音を立てなうように忍び込む。ゆっくりと麻紀に近づいていく。
「麻紀。麻紀。早く出たほうがいい」
小声で話しかける。麻紀は反応しない。もう一度呼びかけようとして気づく。麻紀は至って正常だと遠目では見えたが違った。顔色がとても悪く、唇が紫になっている。足はがたがた振るえ、そしてなにより…
手首から先が消失していた。
ピアノのほうを見ると、手首から先だけで夜想曲を弾いている。僕は声を上げそうになるが、それを必死で抑える。ゆっくりと外に出る。白梅が少し離したところに友紀を座らせたところだった。僕は白梅に状況を説明する。白梅は状況を納得すると、すぐに音楽室に向かい麻紀の元まで行く。
「…媒体…このまま…危ない…」
白梅は床に漢字をいくつか書くと空で星を切る。途端、鍵盤の上にいる手首の動きが止まる。
「…繋がった…」
今度は見慣れない文字を書く。そのあと両手の人指し指と中指だけ目の前に突き出し、その指の先が合わさる形で山を作る。するとゆっくりだが、麻紀の手に手首が戻る。
「…去れ…居場所…違う…」
麻紀は手首が完全に戻ったと同時に崩れ落ちる。同じように、白梅も気絶した。僕はそれを支える。2人をうまく床に横たわらせ、英之介さんを呼ぶ。英之介さんはすぐに来てくれ、友紀の介抱をしている。僕が戻ってきたときには麻紀は起き上がっていた。麻紀は先程のことをうっすらとしか覚えていないとのことだった。
結局友紀は、ショーツは保健室のパンツを、スカートは体操着のハーフパンツで代用することになった。
白梅を背負い、先に向かう。と、そのときメールが届く。
集合しようと言う内容のメール。僕はそれに従うことにした。集合場所は、6番目である総合体育館第2体育室。
まだ、夜は終わらない。

僕と夕子はいつもの自分の教室にいる。机の下で外から見えないように隠れていた。廊下ではダビデが僕らを探す足音が聞こえる。それが遠くなり、聞こえないようになってから周囲を確認して起き上がる。
「いった…かな」
「そう…みたいですね」
確信もないのにお互いがお互いに確認をとるという行為。それだけでも心は落ち着きを取り戻す。
「それにしても本当にこんなことって起こるのだな」
「私もびっくりしました。世の中は不思議なことばかりですね」
他愛ない会話。彼女はゆっくり黒板に向かって歩く。僕も無意識のそちらについていく。
「そういえば…2人きりですね」
妙に意識させる言葉が炸裂する。
「そ、そうだな」
僕はそう答えるのがやっとだった。
「実は前から言いたいことがあったのです」
「な、なに?」
唐突に切り出す夕子に僕はついていけてない。
「あの、その…こんなことをここでいうのはどうかと思いますけど………です」
「へっ?」
最後が聞き取れず間抜けな声が出てしまう。
「その…初めて見た時から私、あなたのことが好きです」
「……は?」
思考停止。
「なぜかは分かりません。私、自分でもこの気持ちがよく分からないのです。ただ、それはいつも…神島君を見ていると起こるのだなって…そう気づいたのです」
ものすごい饒舌で語る夕子。僕はその言葉一つ一つが頭で反響しているだけだった。
誰が誰を好きだって?
夕子が僕に一目ぼれ?
そんな馬鹿なことは…
「そう…ありえん話じゃ」
唐突な割り込み。後ろの入り口を見るとそこには、
月光に照らされても輝く黄金色の狐がいた。
いなりはこちらに近づき、僕の前…夕子と僕の間に入る。
「いい芝居じゃの。こやつはウブじゃからそんな簡単な色仕掛けにもだまされるじゃろうしの」
夕子を見据え、いなりは話し続ける。夕子の顔は困惑している表情をつくり、やがて非難めいた目で僕を見る。
「いい加減そいつの殻を被るのはやめたらどうじゃ『帯島山の人食い鬼』」
夕子の目が見開く。
「わしを騙せると思ったのか?わしとて数回お前の垂らす嫌な気配を感じたら判るわ。その女生徒はここにいた霊魂じゃろ?隠れ蓑を使って魂喰らいとはいい身分じゃの。やがてそいつも邪魔になったら喰らうつもりだったのだろ?」
夕子さんは俯き、顔が見えなくなる。数的の涙が落ちたのが見えた。
「ちょっといなり言い過ぎ…」
途端。
「ぶぼおぉぉぉぉぉぉっっ!!!」
この世のものとは思えない雄叫びが響き渡る。夕子の輪郭が失い始め、やがて大きな牛の姿に変わる。赤銅の体に鋭い黄色い目。手にはどっから取り出したのか大きな棍棒が握られている。
「久しぶりだなあ。『松の雅の狐』」
牛はとてつもなく渋い声で唸る。対するいなりはそれに臆することなく、
「二度と面も見たくなかったわ!この単純特攻馬鹿」
牛はその体をこれでもかと赤くし、その棍棒を振り上げる。
「かおる。下がっていろ」
いなりはいくつかお札のようなものを取り出し、その一枚を右人差し指と中指に挟む。
「がああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
雄叫びと咆哮。その綯い交ぜになった怒声と共に振り下ろされる棍棒。
「うるさいたわけ」
お札をその棍棒の根元めがけて投げつける。お札が当たったと同時に、根元の部分が爆発する。
「おそいぞウスのろまが」
いつの間にかいなりが牛の後ろにいた。さらにお札のうち2枚を角めがけて投げつける。
「燃え盛れ…狐火!」
2枚のお札から炎が出てきて、牛を包む。その炎は周りに飛び火してもそれを焼く事はないため、どうやら対象のみを燃やすらしい。
「ぶふぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
「五月蝿い。これで終いだ」
苦悶の声を上げる牛を、四枚目のお札で真っ二つにした。お札から出てきたのは明らかにいなりの身の丈以上ある太刀だ。
「終わったぞ」
いなりはそれをお札に戻すと僕に向かって言った。
「夕子さんは…一体…」
僕は驚きを隠せない。
「ああ。あいつならきっとその辺を浮遊してるじゃろ。一応あいつに取り付いていた分はわしが今浄化したからの」
かっかっかっと笑いながら言ういなり。だが、その笑いを急にやめると考え込んだ表情を作る。
「いくらなんでも弱すぎじゃ…奴はわしらよりも早く復活しているはずじゃ…魂もそれなりに喰らっとるはず…」
ぶつぶつと考え込み、そして気づいたようにポケットから紙を取り出す。
「かおる!この第2体育室というのはここから遠いのか?」
僕はその質問の意図を測りかねていた。
「奴のあれは分身体じゃ!本体は今あそこにおる!」
その言葉を聞き驚愕すると同時にメール。
『送信者 水無月夕子
 件名 無題
一度総合体育館第2体育室に集合しましょう』
メールの内容を見てようやく見えてくる。
「早く行かぬと取り返しのつかないことになるぞ!」
僕はいなりの言葉に動かされ、第2体育室に向かう。全速力で廊下を駆け抜ける。途中、消火器に当たりつまずきそうになる。
「あとどれくらいじゃ!」
高等部校舎を出たと同時にいなりが確認する。
「こっからなら…こっちだ!」
右に折れ曲がり、隠者の森へ。隠者の森は大学部にある休憩用の広大な林のことだ。入り組んだ中から最短ルートを見出す。枝に何回か体を引っ掻かれる。いなりは僕の全速力にぴったりとついてきていた。
「ここを駆け上がる!」
大学部理学部棟のバルコニーに向かう。バルコニーに上ったとき、いやな物に出くわす。
ダビデが、僕達が上ってくるのを待っていた。
いなりが上り終えると同時にダビデがクラウチングスタートのポーズをとる。
「こっちだ!」
僕達はバルコニーを横断する。そのまま理学部棟内へ。ダビデはスタートを切り、見事な切り返しで僕らを追ってくる。そのまま4階まで一気に駆け上る。理学部棟は台形の下底がない形をした6階建ての建物。4階に隣の工学部棟への渡り廊下がある。工学部棟は十字型の建物で、そこの2階から経営学部棟へ。さらにその先に総合体育館がある。
「いなり…ちょっといいか」
4階の渡り廊下を駆け抜けながら、いなりに問う。
「なんじゃ?」
いなりは僕のほうを向きながらまっすぐ走るという芸当をこなす。
「いなりはどんくらいジャンプ力がある?」
「舐められたものよのぅ…わしは本気を出せば30メートルぐらいは越せるぞ」
いなりは自慢げに言った。僕はそれを聞いて安心する。
「じゃあ…僕の後についてきて」
「わかった」
僕は4階の廊下をまっすぐ走りぬけ、非常階段に出る。そのまま勢いを保ち、そして…
手すりを蹴り上げ、闇の中に浮く。
ちょっとした浮遊感が、とても気持ちいい。
それが終わり、コンクリートの大地に降り立つ。ここは、大学部用の食堂。その屋上だった。コンクリートが剥き出しの屋根。クーラーの大型の室外機などが障害物になっている。ここを斜めに走り、また飛ぶ。今度は第2講堂の非常階段へ。着地に失敗し、踊り場を転がる。
「かおる。大丈夫か?」
後から来た、見事な着地をしたいなりに助けられる。
「つうっ…大丈夫。先を急ごう」
僕はその階段を降り、講堂内に入る。そのまま階段状になっている大講堂を抜け、2階へ。そこから外に出て、バルコニーを横断する。やっとのことで総合体育館に入り、そのまま階段を上って3階の第2体育室へ向かった。

着いた先に水無月はいなかった。背負った白梅は移動途中で気がついたが、大事をとってここまでずっと僕が背負ってきた。
「…守人…白梅…立てる…」
白梅の言葉に従い、下ろしてあげる。まだよたよたしていたが、それでもちゃんと立った。
「おー白梅―守人―元気にゃー?」
たまが両手を振ってこっちにやってくる。後ろには小倉兄弟と天童姉弟、兄のほうの園原、圭太。あと、荻原。神島といなり、水無月を除いた全員がそろう。途端、
入り口の扉が勢いよく閉められた。
真っ暗になる。お互いの距離がわからない。僕の服を握る存在が1つ。おそらく白梅だろう。そして、どこからともなく笑い声。だが、それは女の子ではなく明らかに低い野太いボイスだ。
「…たま…何か…来る…」
白梅はたまに伝える。見えないがたまは理解したようで、僕のズボンを掴み、声を掛けてくる。
「守人。絶対に俺からはぐれるにゃ」
たまは僕らをかばうように前に出る。そこへ偶然、月明かりが入ってきて、室内を照らす。
明らかに人間が見たこともないモンスターが入り口付近にいた。
口は裂けるように強大。目は赤色に光り、角が生えている。赤銅色の肌。腕は6つ。足は2つ。顔は牛に近い。手には棍棒。
「うわあああああああああああああああああああ!!!!!!」
皆がこちらに走ると同時に、たまはあいつに向かっていく。気づいた天童の姉のほう、結が止めようとする。
「やばいって!あんなの逃げたほうがいいよ!」
たまはその手を振り払い、言い放つ。
「大丈夫にゃ。守りきって見せるにゃ!」
そのままたまは化け物に近づく。その姿が突然、視界から消えた。
棍棒を持った腕の1つが切り落とされる。
そのときたまが屋根に手をつき、そのまま加速をつけ、別の腕を切り落とす。その姿は風。切った後、3歩ほど後退して様子を伺う。化け物は苦しそうに呻くが、すぐに切り落とされた根元から腕が再生する。と同時に、別の腕が振り下ろされる。たまはそれを避け、懐にもぐりこむ。
「があああああああああああああああ!!!!!!」
雄叫びと共に横薙ぎの攻撃。たまはそれを喰らい、横に吹き飛ぶ。壁に体をしたたか打ちつけたようだ。「ぐう」と息を吐き、少し動かなくなる。化け物はそれを確認し、ゆっくりこちらに近づく。僕はみんなの前に出る。白梅は隠れていればいいのに、僕の横にしっかりついてくる。
「ぐわぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!」
雄叫びと同時に3つの腕が別方向から襲いかかる。僕はその軌道を予測し、間一髪で避ける。白梅も同様のことをして避けた。僕はその勢いのまま懐にもぐりこみ、化け物の気を引く。先程と同じく横殴りの攻撃。…これなら避けられる!
僕は横殴りの攻撃をしゃがんで避け、今度はその腹を蹴る。化け物は僕を引き剥がそうと同じような横殴りの攻撃を続ける。僕はそれを全て間一髪で避けきる。僕は一旦下がる。そこへ、息を整えたたまが奇襲を掛ける。それを本能的に察知し、化け物は対処しようとするも、白梅の呪文で動きを止められる。
3本の腕が飛ぶ。
「やった!」
思わずガッツポーズ。だが、それは先程より速い速度で回復する。白梅が荒い息を上げる。たまは倒れそうになり、持ち直す。僕が心配するが、「大丈夫にゃ!これくらい」と答えた。
このままだと危なそうだ。どうにかしなければ…。

「くっ…鍵が掛かっているっ…」
着いたはいいが、ドアには鍵が掛かっていた。おそらくやったのは鬼だろう。僕は必死に体当たりしたが、効果がない。そんなとき、いなりが僕に耳を貸せとジェスチャーした。なぜか顔が赤い。気になったが無視し、僕はそれに従いかがめる。そこへ、
いなりの唇が僕の唇に飛び込んできた。
僕は目を開けたままになる。いなりととても近い。いなりは目を閉じてちょっと背伸びしていた。鼓動が加速する。長いようで短い口付けが終わると、いなりがこう切り出す。
「力…借りるぞ」
いなりはやおら服を脱ぎだす。最後におむつを脱いだ。股の所が黄色く染まっていた。僕がそれを見てるのに気づいたのか、いなりは恥ずかしそうにそっぽを向き、
「じつはわし…高所恐怖症なのじゃ」
と呟く。どうやらさっきの浮遊中にやっちゃったらしい。いなりは赤い顔をし、
「人の粗相をじろじろ見るのが趣味なのか?」
と言葉で反撃する。僕はそれに返そうとして、今の状況を思い出しいなりに注意を促す。いなりはゆっくり目を閉じる。そしたら下に赤い、円と五星が現れる。同心円の内側と外側に五行を現した星。そこから強烈な光が発す。やがて光が収まるとそこには、
黄金色の髪をなびかせる女性がいた。
豊満な胸。細いウエスト。少し大きめなお尻。きっと世界一美しい女性杯で一番になるならこの人だろうと思うほど、美しく神々しかった。そのお尻からふさふさとした尻尾が伸び、頭の上には綺麗な山形の狐の耳。振り返ったその顔はまだ少しだけ面影があった。
「い…なり?」
僕は目の前の存在が先程のいなりとは同じとは思えなかった。
「何じゃ藪から棒に。わしの名前はいなりじゃ。それは今も昔も変わりはせんぞ」
いなりはそう言うと、手をドアに押し付けただ一言、
「開け」
と命令する。
ドアはいとも簡単に開いた。いなりは僕のほうに振り返り、
「ここから先はすぐに終わらせる。すまぬがわしが皆を巻き込まないか見て、彼らをここに避難させといてくれ」
いなりは第2体育室の中に突入する。僕も中に入った。中では2人の人間がぐたっとしていた。僕はいなりの邪魔にならないように近づく。その姿がはっきりするに連れ、近づく速度が速くなっていく。
「たま!白梅!」
2人はまだ息をしていたが、それも弱々しかった。
「すまない神島。僕がついていながら…」
横で傷だらけの守人が謝る。僕はそれでだいたい状況を察し、まだ無傷な人たちに指示をし、脱出させる。その後ぼくはいなりが気になって、第2体育室に戻った。瞬時に再生する鬼にいなりは苦戦気味だった。いなりは先程と同じように太刀で応戦する。
「いい加減死ね!このクズが!」
いなりの太刀が2つの腕を切り落とす。それはすぐに再生し、そのまま攻撃に転じる。いなりはそれを丁寧に一つずつかわす。だが、最後の一つをかわせない。僕はとっさに体を前に動かしていた。
激痛。
車に惹かれたように吹き飛ぶ。壁に体を打ちつけ、息が強制的に吐き出される。
「かお…」
僕に気を取られたいなりも同じように鬼に吹き飛ばされる。いなりは頭を壁に打ち、動かなくなる。僕は軽率に体を動かしたのを悔いた。そんなことをしなければ、いなりはこうして動かなくなることはなかったのだ。僕らに止めを刺さんと、鬼がまっすぐ向かって来る。大きく振りかざした棍棒が僕に向かって振り下ろされたそのとき、
奇跡は起きた。
棍棒は僕には当たらない。鬼の動きが止まっているのが見えた。やっと呼吸を元に戻し、動けるようになる。僕はいなりを抱え奴の射程外に逃げる。棍棒は何もいないところに振り下ろされる。いなりも息を吹き返す。鬼はこちらを見つけ、先程よりも早くこちらに近づく。が、その動きが急に固まる。そこに、
1人の少女の姿を見た。
その少女は、まだ幼いけれどもほとんど僕の記憶にあるとおりの人物で、そして先程告白された、水無月夕子だった。ただ年齢は小学生程に見える。彼女は必死に、鬼の『中』で僕達を手伝っていた。
『……て………い…』
少女は中で叫ぶ。
『…めて…ださい…』
最初は小さい声で、やがてそれは大きく心の中に響く声に。
『私の好きな人を傷つけるの、やめてください』
波紋が、広がる。
「今、終わ…らす…」
いなりはふらふらになりながらも縦横無尽に太刀を振る。鬼の体が、さまざまなパーツに切られた。
「走れ…!かおる…!」
僕は言われるままに走った。波紋が広がるところへ。僕の波紋と共鳴するところへ。欠片の1つが形を変え、先程見えた少女の姿へ。それ以外の欠片が燃え盛る。いなりはこちらを見て微笑んだ。僕はその少女を抱きとめる。少女は実体化し、ここに現れた。
温もりがある。生きているようだ。
「こやつ…鬼の断片を応用して受肉しよった…」
いなりが呆れて夕子を見ていたが、少しからだが揺らめき、そのままばたりと倒れた。
「いなり!」
夕子を床に眠らせ、僕はいなりに駆け寄る。守人も同じように駆け寄ってきた。いなりは荒い呼吸を繰り返し、時折苦しんだ顔を見せる。やがてその体が…
半透明になる。
「なんだよ…これ…」
半透明になったと思うとまたはっきりし、また半透明になる。その繰り返し。
「いなり!大丈夫か!いなり!!」
必死で名前を呼ぶ。だけど反応はない。ざわつく。心がざわつく。
――ずっと前に、お前は同じものを体験しなかったか?
僕でない誰かの声が頭を通る。
何のことかわからない。僕はそんな言葉を頭から追いやり、今の状況を考える。いなりはまだ苦しそうに荒い呼吸を続ける。
――逃げるのか?そうしてお前は「あの日」から逃げるのか?
また声が頭を通る。
――誰なんだよ。君は。
頭の中の声に返す。だが、声はそれきり聞こえない。そのときだった。
「神島!」
守人が叫び、我に返る。僕はいなりの変化に驚く。
いなりが半透明を通り越して透明になりかけていた。
僕はいなりに触れようとする。だが、いなりの体との境界線を通り越し、そのまま床に手を着いた。僕は驚いて手を引っ込める。そのあと、ほぼ透明だった体は、また実体のある体に戻る。が、なぜか色が白黒だ。
「いなりいなりいなりいなり…っ!!!」
僕は眼を閉じ、祈りをこめてその手を握る。握り返される感触。勢いよく目を開く。
いなりはこんなに苦しそうなのに、笑っていた。
「…姉さん…」
英之介に背負われて、白梅がくる。横には晶がいた。英之介に降ろしてもらう。よたよたしているのを晶に支えられる。白梅は悟ったような目をして、ゆっくりといなりに近づく。
「…姉さん…限界…?」
白梅の言葉にいなりはゆっくりとうなずいた。白梅はそれを確認すると、僕に向き直る。
「…薫…お願い…」
白梅は僕の手を握る。今まで悟ったような顔が崩れ、涙があふれ出てきている。僕は、何か言おうとして、
「…姉さん…救って…」
白梅の眼と向き合う。途端に、体が宙に浮く感覚。感触が無くなり、目の前に居る白梅のことも直視できない。そのまま体ごとどこか行ってしまいそうで…
そして、訳がわからないところに来ていた。
山の中だ。それだけは理解できる。鬱蒼と生い茂る木々の間から月明かりが覗く。遠くで大きな音がする。僕は、それに導かれて歩く。
そこには2つの影。ひとつは歴史の教科書でしか出てこないような、貴族の服を着た男。もうひとつは黄金色に輝く毛を持った、尻尾が9つもある狐だ。その大きさは普通の狐の何倍もある。それがただ、警戒もせずにその男を見つめている。
「去らなくていいのか?」
先に口を開いたのは男だった。男は長年の友に話しかけるように、とても親しみをこめて。
「お前は私を封印しなくてもよかったのか?」
狐が男に向かって言う。その声はとても聞き覚えがあるものだった。
「国司殿はお前を退治するのを望んだが、お前はただこの土地を守りたかっただけなのだろう?なら私はそれを邪魔する気はない。むしろ手助けをしたっていい」
男は確固たる意思を持って言った。狐はそれを笑い、
「はっはっはっは!お前は一体どっちの味方だ!人間の癖に!」
と毒づく。男はそれを払いのけるように言う。
「私は誰よりもこの世の道理を愛す。お前はもはや土地の神の部類だ。それを蔑ろにする国司殿のほうが悪いと私は思ったまでだ。まあ、これでしばらくは路頭に迷うことになるがな」
男はさらに続ける。
「それさえも構わん。ただ…お前が誰かによって討滅されるのは我慢なら無いがな」
男は、最後は恥ずかしそうに言った。狐はそれ見て考え込み、やがて口を開く。
「お前は、これからどうするんだ?」
狐は、男の未来を憂いでるようだ。男はゆっくりと月を見上げ、
「京に帰るさ。暫くは食にありつくのもきつくなるだろうが、なあに慣れてるからな」
男はそのまま帰ろうとする。
「待て!」
狐はそれを呼び止めた。男が振り返る。狐は月を仰ぎ見ながら語る。
「この土地ももう、私みたいな存在は必要ないのは薄々感じていた。多くの民は私を恐れ、敬い、祀ってきた。が、今や私はこの土地に潜む悪鬼の類に成り下がってしまっている。神として縛り付けられるのも、悪鬼として討滅されるのも面白くない。そろそろまた昔みたいに…自由になりたい」
狐は再度男に向き直る。
「私はお前が気に入った。故に、」
そこで1回息継ぎし、
「お前と契約しよう」
宣言する。男は目を見開き、「いいのか?」と問う。狐はまっすぐに男を見つめ、
「言ったろ?私は、自由になりたい。お前となら、きっといろんな世界が見れそうな気がする」
と言った。男はただ一言、「わかった」と答え、契約を開始する。取り出したのは1枚のお札。それを狐に翳し、
「我と共に在り、我と共に生きよ。契りを交わす。我が魂の形、其の者に分け与え、それを契りの証とす」
男の言葉が終わるとお札が光り始め、それが狐の中に入っていく。今度は狐が光を発し…
見慣れた姿になる。
黄金色の髪が月光に照らされる。体の大きさは違えど、その姿は間違いなく、
いなりだった。
「いなり!」と大声を出そうとも声がでない。男はいなりに歩み寄り、
「名をなんと言う。妖怪の通り名でなく、本当の名を」
優しく髪を撫でながら聞く。
「小野雅天松原稲荷命(おののみやびのあままつばらのいなりのみこと)と申します」
いなりはその体を男に委ねる。男は髪を撫で続ける。
「我と共に在れ。共に生きよ。我は誓う。そなたのことを守り通す。我は…」
――たとえ灰になっても、そなたの盾であり続ける。
男は契りの言葉を繰り返す。いなりはただ、男の中で泣いている。その光景を見ていたら突然、先ほどと同じ感覚に襲われる。まともに立っていられなくなる。最後に見たのは…
男といなりが口付けを交わす光景だった。
「神島!しっかりしろ!」
守人の声が聞こえ、僕は自分の居るところを再度自覚する。目の前の状況は変わらない。消えそうないなり。晶に支えられてやっとな白梅。先ほど見たものはなんだったのかと問いかけたくなる。
「…薫…見た…?」
白梅が消え入りそうな声で言った。手には、お札が握られている。
「白梅…それ…」
白梅はうなずく。それを僕に渡す手は震えていた。白梅からお札を受け取ると、白梅は僕に対し頷き、そのまま気を失う。
「白梅ちゃん」「白梅!」
守人と晶が白梅を支える。僕は先ほど見た夢の通りに、いなりにお札を翳し、言葉を紡ぐ。
「我と共に在り、我と共に生きよ。契りを交わす。我が魂の形、其の者に分け与え、それを契りの証とす」
僕の言葉を受けお札が光り始め、いなりの中に溶け込む。やがていなりが…
いつもの、子供の姿になった。
その寝顔は、とても安らかで、僕は、ずっと守りたいと思った…

肝試しはこうして終わりを迎えた。結局、あの事件の真相を知っているのは僕を含めて少数派だ。あの後いなりに聞くと、
「あいつはわしが…わしらが初めて一緒にやった仕事で封印した鬼じゃ。この近くの御影石に封印したのじゃが、おそらくそれが壊されて出てきたのじゃろう」
と教えてくれた。みんなはあのときのことをもう過去のこととしてネタにしている人が多い。圭太と浩は新聞部のデータベースの書き換えをし、麻紀はオカ研の部誌に体験談を発表するそうだ。
怪談話はもう、話されなくなってきている。今の話題のトップはゴールデンウィークをどう過ごすかに変わってきていた。僕たちも少し変わった。すれ違うときに、中等部や初等部の生徒に声をかけられるようになった。どうやら晶や友紀、誠二によって僕らの知名度は上がったらしい。
また、たまに白梅が外に出るようになったらしい。守人や音子さんの話によると、頼れるおねえちゃんや友達ができたみたいだ。たまもそれについていってるらしい。
で、最も変わったことは…

先日いなりが学校に来た。向かう場所は決まっている。旧校舎のチャペル。そう、5th GHOSTの血染めのチャペルの場所だ。立ち入り禁止になってるチャペルの隙間を掻い潜り、十字架の前まで来る。今回の7不思議のうち、唯一あの鬼が再現できなかった5番目。いなりは十字架の下を探る。取っ手があり、それは回せるようになっていた。
十字架の裏の床が、開かれる。
下りられるようになっている階段。らせん状になっている階段を下ると、広い空間に出る。教会の床の隙間から光が射し込んでくる。少ない光でも、この空間を知るには十分だった。鋼鉄の檻に閉ざされた、石囲いの部屋がいくつもある。牢屋と形容するのが正しいだろう。いくつもの白骨が横たわる。どれもが皆修道着を着て、手には枷と鎖。骨の形状から、どれもが女性のものだ。
そして1番奥の牢屋に、彼女は居た。
彼女はかつての自分を見ている。そこには、この中で唯一、修道着ではなくただの普段着の少女の白骨。彼女が口を開く。
「ここは何だかわかります?」
少女の声は怒りと恐怖をない交ぜにしたものだった。いなりは鼻で笑い、
「人間の下衆共が作ったものじゃろ?ふん、所詮生き物じゃ。性欲には勝てん」
と汚いものを見る眼であたりを見回す。
「私がここにきたのは3年生のときです。お父様もお母様も亡くなって、この学校に居れなくなってしまった時に、学校長が斡旋してくれました。『この学校に住み込みで働きながら勉強すればいい』って。私はそれを親切と受け取り、学校に住むことになりました」
少女の声は震えている。
「ですがそれは違いました。彼らは私をここに閉じ込められました。学籍は抹消され、私は行方不明扱いになったと学校長が言いました。毎夜ここを訪れては、ここで働くシスターたちを陵辱していました。彼女たちも私と同じように、ここに閉じ込められ、朝になると外にでて働いていて、夜同じように戻ってきました。彼女たちは順番に交代で陵辱されてました。時には2,3人同時に、複数の大人たちから陵辱されてました」
少女は、強く鉄の檻を握り締める。
「けど、彼女たちは何も文句は言いません。ただ、いつも夜になると誰かが陵辱され、周りのシスターは賛美歌を歌いました。私はそれが何故か怖くてたまらず、賛美歌が聞こえるたびに失禁してしまいました。そのたびに別の大人から、お尻を叩かれました。週に1度だけ外に出ることができました。お風呂に入らせ、着替えを用意してくれました。みんなただ黙々と同じことをしているだけでした」
いなりは白骨たちを見やる。骨は何も語らない。
「ついに私の番になりました。私は大人たちに上の教会まで連れてこられました。学校長に一部の先生方、中には私の担任まで居ました。今まで姿を見せて無かったけれども、彼も共犯者でした。私は処女だったので、『専用の姦通式が必要だ』と言われました」
いなりはそれでその先を把握する。血染めのチャペルの真実。だが、少女に話を続けさせた。彼女はいなりが何か喋るのを待ったような仕草をしたが、すぐにいなりの真意に気づき、話を続ける。
「私は、あの十字架の上からゆっくりと下ろされました。ちょうど、性器に十字架が入るように。私は悲鳴を上げました。けどその声は誰にも届きません。賛美歌が、その声を完全に打ち消してしまいました。そこで賛美歌の意味を知りました。悲鳴を外に漏らさないため、賛美歌は歌われていたのです。私は強引な姦通によって、大事なところから血をいっぱい出しました。それが十字架を伝わり、床に流れていくのが見えました。痛みと恐怖で頭が動かない状態で姦通式が終わり、その後は大人たちに輪姦されました。それから私は彼女達と同じように定期的に陵辱されるようになりました」
少女は手を檻から離す。その手は血だらけだった。
「その日から私は、2つおかしくなりました。ひとつは、今まで夢なんてあまり見なかったのに、夢を見るようになりました。まだ私が普通に学校に行っていたときにいた、好きな男の子が、私をいつか助けてくれる。そういう夢を見るようになりました。きっとそれは叶わない夢でした。自分の境遇から逃げるために使った、儚い夢です。もうひとつは体の変化でした。私は賛美歌を聴いても失禁することはなくなりました。ですが、他人が陵辱されているのを見ると失禁するようになりました。そのとき私はそれを、気持ちいいと感じるようになりました。それだけでは飽き足らず、失禁するたびに気持ちいいと感じる体になってしまいました。心はより弱く、体はより淫靡に。創代わる自分がたまらなく」
――嫌で厭で堪りません。
かすかな声が、それが本当のことだと物語る。いなりは、もう何もしなかった。声をかけることも、周りを見ることも。ただ、少女の動向だけ見つめていた。
「やがて戦争が始まり、大人たちが居なくなると、私たちは檻の中で取り残されました。一人、また一人と死んでいきました。それで私は、最後まで生きていました。私は最後に、こう願って…ここで死にました。それは」
――この学校が不幸になりますように。
「その願いがやつをここに招き入れたか」
いなりは彼女の苦しみを知らない。だが、きっとここにはそんな思いをしたものがいくつも居ただろう。それがやつを呼び、この学校に7不思議を作らせた。
「いなりさん」
彼女がこちらに振り返る。彼女―水無月夕子はスカートをたくし上げ、パンツを露出させる。昔風の、簡単なデザイン。
「んっ」
夕子は喘ぎ声を出すと数秒して、股のあたりが濡れていく。やがてパンツに吸収できなくなり、地面に落下する。水の流れる音。眼には涙を浮かべ、自嘲するように笑う。涙は頬を伝い、地面に落下する。太ももに水の支流ができていた。最後の1滴が地面に落ちる。だが、水の落ちる音はやまない。涙が不定期に、地面に落ちる。
「見てください。いなりさん」
夕子は黄色く染まったパンツを膝まで下げる。パンツの内側も黄色く染まり、さらに淫らな液がぐちゃりと付いていた。まだ、大事なところからその液が糸を引いて垂れている。
「私は、こんなことで、体を喜ばせる、汚い、人間なんです」
笑っているのに、涙が止まらない。
「学校長は、私がこんな、淫らな人間なんだと、気づいていたのかもしれません。だから、私をここに閉じ込めたんです。私という病原菌が、他の子供に感染しないように」
夕子の声が、震える。夕子は壊れたテープのように、言い続ける。
「私があんなこと望まなければ、こんなことにならずに済みました。それだけではありません。私は鬼の体を使って、またこの世に生を受けてしまいました。本当は消えなければならないのに私は…」
パンッ!
いなりが夕子の頬をはたいた。夕子は目を見開く。いなりは夕子を抱きとめ、
「この…たわけが!お主は十分不幸を味わった。なのにまた自分を不幸にしてどうする!その体はきっと…神様がくれたものじゃ。お主に言っているのじゃよ。幸せになれと。お主にはその資格がある!たとえどんなに辛くとも、どんなに苦しくとも、逃げるてはいかん!お主は多くの命を奪ったかも知れぬ。だが、それを死で報いるのは逃げじゃ。背負え。そのすべてを背負って生き抜け。そして幸せになれ。それが、お主ができる唯一のことじゃよ」
夕子はいなりの胸の中で大泣きした。溢れ出てくる感情を抑えられなかった。いなりは優しく髪を撫でる。かつて、自分が好きな男がそうしてくれたように。

やがて泣き終わると、いなりは夕子に「あるもの」を渡す。
それは、いなりが今穿いているものと同じおむつだった。夕子はきょとんとしていたのを見て、いなりが説明する。
「夕子。お主は失禁を止められないのだろ?ならこれを穿けばいいじゃろう?これなら失禁し放題じゃし、失禁してもバレはせん」
「そ…そうですか…」
まじまじとおむつを観察し、やがて汚れたパンツの代わりに穿く。
「意外と…ふかふかですね。…なぜだか安心感が沸きます」
そんな感想を漏らした。
「やつは似てたのか?お主の王子様に」
いなりの問いに夕子は「はい」と答える。それを聞いて、いなりは「そうか」と返す。夕子は「馬鹿みたいですね」と言って笑う。それは、先ほどと違う、自然な笑い。お互いで笑った後、夕子が切り出す。
「あなたとなら行けそうな気がします。7番目の不思議に」

僕、守人、いなり、たま、白梅、夕子の6人はあの総合体育館第2体育室に来ていた。時刻は午後9時。部活帰りの生徒も居なくなり、僕たちだけだ。
「…来ますよ」
時計を凝視していた夕子が呟く。するとどこからともなくピンク色のボールが現れ、一点で同じ軌道を弾んでいる。可憐な少女の声の、手毬歌。夕子はボールに近づき、こう告げる。
「私たちを、星降る丘まで連れてってください」
ボールは弾みながら移動を開始する。僕らはそれについていった。ボールは外に出ると、時々向きを変えながら、僕らを導く。やがてそれが、隠者の森に入っていった。僕はその後を見失わないように進む。道なき道。やがて、少し開けたところにきた。そこは隠者の森の最高到達点。誰もがその場所を知っているが、決して入ることのできない空間。
隠者の森の目印として有名な、広い草原がある。遠くから隠者の森を探すのによく使われる場所。だが、実際そこに行こうとするものはいない。そこに行こうとしても、何故か別の場所に出てしまう。原因は、木そのものがとても入り組んで生えているため、そこへの入り口をふさいでしまっているのだ。ただひとつ、僕らが通ってきた道だけがここにたどり着ける道。そして今、僕らはその場所に立っている。
「…綺麗…」
白梅が感嘆の声を上げる。周りの光源が無いため、星がはっきり見える。満天の夜空は、僕らを祝福してくれているようだった。
「ここが7番目…」
夕子は星空に心が奪われていた。たまと守人はすでに草原に寝転んで、楽な姿勢で星を見ている。
「流れ星!」
たまが真上を指差す。幾つもの星が、天から降り注ぐ。
「こと座流星群かな?数が多い」
守人が専門的なことを言う。
「…『7th GHOST星降る丘。願いが叶う場所といわれている丘。ここで流れ星を見たものは、一生幸せで居られると言われている。ここにたどり着くには、残り6つの不思議全てを体験し、『少女』を捕まえなくてはならない』…」
夕子が誰も知らない7番目の内容を説明する。
「願い…か」
守人は含みのある言動をする。
「もう野菜を食べにゃいでいいように!」
たまはずいぶんとお子様らしい願いをした。
「………」
白梅は恥ずかしがっていたが、やがてその願いを口にする。
「…薫…ずっと…一緒…」
正直僕が恥ずかしかった。僕は自分の心の中で祈る。
――いなり、たま、白梅、真琴がいつまでも笑っていられますように…
「夕子は何か願い事をせんのか?」
いなりが夕子に聞いた。夕子は「そうですね…」と返し、
「どんな不幸なことがあっても、どんな苦しいことがあっても、誰もが笑っていられるようになりますように」
純粋なる願いを言った。その後、いなりに促す。
「わしはな…いいんじゃ」
いなりは最後まで、何も言わなかった。
たまが寝始めたので帰ることになった。他のみんなが来た道に向かうのに、いなりは動かなかった。
「どうしたの?いなり」
僕が聞くといなりは、ゆっくりと喋りだす。
「昔な…わしのことを死ぬ気で守るとほざいたやつがおった」
いなりの眼が哀愁に満ちている。
「そいつとこうして星見してるとよくあいつが言っていたもんじゃ」
いなりは回想する。
――……様。星が今落ちました。
――そうだな。いなりは星が落ちるのは怖いか?
――怖いです。星が落ちるということは、命が落ちるということです。もしあの星が……様のお命を奪うのなら、それはとてもとても怖いのです。
――そうか。ならこうすれば大丈夫だろう。
――ひゃっ!……様?
――こうしてお互いが抱き合っていれば、失うことなど無い。お互いがお互いを支えとして求める限り、無くなることは、無い。
――ですがし……ん……ずるいです。私の口を封じて、その先の言霊を奪うなんて。
――なら今度は、私がお前に言霊をやろう。
――それ…んん……ん…。
――私の言霊が伝わったか?
――はい。
――そうか。
――お願いがございます。
――なんだ?言ってみるといい。
――もう少しの間、こうさせて下さい…。
――わかった。ここから先は私の独り言だ。聞かなくていい。
――はい。わかりました。
「『星が落ちるのが怖いなら、代わりに落ちた分だけの星を私が天に昇らせよう。失うのが怖いなら、その失った悲しみを私が全て埋めよう。この天に星がある限り、私はどんなときでもお前のそばに居よう』…くだらない子供じみた発言じゃ。これは一番の欠陥が混じっておる。それは…」
――失ったものがあなたなら、それは誰が埋めてくれるの?
いなりは「それは…」で言いよどんでしまった。僕はただいなりを見つめる。いなりは空を見上げる。
「今でも流れ星はちょっとばかし怖い。じゃがの、わし受け止めなければいかん。いつか人は死ぬ。じゃからこそ、わしはかおる、お前が死ぬまで、絶対に…」
数粒の涙が、風に飛ばされ闇に溶ける。僕は彼女の言葉を受け、自然に口から言葉が出ていた。
「なら僕は…」
――きっと、どんなときでもいなりを泣かせない。
いなりの顔が赤くなる。きっと僕の顔も、赤いのだろう。
「2人とも何してるんだー早く来ないと置いてくぞー」
守人が入り口付近で手を振っている。僕らは自然と、手をつなぎ、
星空を駆け巡る。

こうして、僕らの肝試しに関する交じり合ったが故の幸せと不幸せの物語は終わりを告げた。得たものはちょっとした温もりと新しい家族。おむつっ娘が4人に増え、もっと楽しくなる毎日が始まる。

追伸、ゴールデンウィークには僕的には最恐になる予定。母さん、いくらなんでもそりゃ無いよ。
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