あなたは夢というものを深く考えたことがあるだろうか?もちろんこれは”Future dream”ではなく”Sleeping dream”のことだ。人は誰だって夢を見る。赤ん坊だって夢を見るし、お年寄りだって同様だ。子供の頃、夢とは別の世界にいくことだと思っていたがあったが、実際は違う。夢とは過去の既存情報の応用でしかならない。意識無意識、虚構現実に問わず、様々なものから得た情報を整理、構築する際に出るノイズ、それが夢だ。

だからこそ、夢に出てくるものはほとんどが以前自分が体験、経験したものが基本となっていることが多い。脳の膨大な容量の中に埋もれている記憶などが、ふと夢に出てくることもあるだろう。
揺れる車内の中で懐かしい夢を見た。

だが、それが懐かしいとは思えるけど、その内容がなぜか思い出せない。まあ、覚えていないならそれは重要な夢ではないのだろう。まだ重い瞼を強引に開け、外を眺める。いくつかの家と畑、草原が交互に過ぎていく。時々、駅と思しきものを通過する。
 
今度は車内に目を向ける。2人がけの席が2列に並び、それがずらっと並んでいるのは壮観だが、今この車両に乗っているのは僕らと少しの人しか居ない。デッキに行くドアの上の電光掲示板が次の駅の名を表示している。終点の1個手前の駅だ。多くの人は2つ前のこの県の県庁所在地の名を冠した駅で降りてしまった。特急列車というのも人が少ないという理由のひとつだろう。

「うむ。起きたか?」
斜め前から声を掛けられる。そこには黄金色の髪を麦藁帽子で隠した少女が、ペットボトルのお茶を両手で抱えながら座っている。
「いつの間にか眠ってたよ。いなり」
僕は優しく微笑みかけながら言う。いなりは少しだけ顔を赤くし、
「ああ。かわいい寝顔じゃったな。ぬしの持つ『でじかめ』で撮ればよかったの」
いなりは意地悪そうな笑みを浮かべながら答える。少し、帽子が揺れた気がした。
「いなり、今耳揺らした?」
「お、ばれたかの?失敬失敬」
いなりは帽子を被り直す。彼女は狐の妖怪で、本名は小野原 いなり。もっと長い『真名』と呼ばれるものだが、それを書くと頭がめちゃくちゃになるので割愛する。昔、とある偉い陰陽師の式神だった奴で、今僕と契約している。
「で、結局撮って欲しかったかの?」
いなりは意地悪な笑みを崩さない。僕は「それは勘弁」と受け流し、他の3人を見る。僕に体を預け眠っているのは、透き通るような白い肌を持つ少女のような少年、白梅。白梅は首をかくんと傾け、すやすや眠っている。微かに聞こえる、すうすうという寝息。その寝顔はおとぎ話に出てくる姫そのものだ。それでもしっかり僕の腕を掴んでいる。掴まれた僕は、まともに動けない。
「こやつも無防備じゃの」
いなりは呆れ半分、親しみ半分で言った。僕もそれは同意する。まあ、昨日の夕方から動きっぱなし、夜からは緊張しっぱなしで疲れたのだろう。そっとしておくことにする。ちなみに、白梅も同じように式神で、リボンから兎の耳が覗く。本名は兎宮 白梅。彼はまだ、以前の契約のままで陰陽師の式神となっている。その辺の詳しいことは僕には分からない。次に僕の向かいの少女を見る。少女は古そうな文庫本を、眼鏡を掛けながら見ている。僕からしたら気持ち悪くならないのかと心配になるが大丈夫らしい。その眼が僕に向く。

「おはようございます。神島君」
彼女、水無月 夕子は眼鏡を取りながら言った。栞を挟み、自分のかばんに文庫本をしまう。眼鏡はポケットに忍ばせておいた眼鏡ケースに入れたようだ。清楚な雰囲気を醸し出す元クラスメートにして、元幽霊。彼女は隣に座るいなりと談笑を始める。学校で幽霊やっていたころとは違い、すごい生き生きした顔をしている。彼女曰く「人生やり直す」とのこと。

「神島君。そのあたりはどうなのですか?」
突然話を振られる。完全に聞き逃した僕は「へっ」としか返せない。夕子は「だからですね…」と前置きをしたあと、
「これから行く場所は神島君の実家だそうですけど、私たちも行ってよかったのかということですよ」
僕は答えに詰まる。正直のところ、家…神島の実家には帰りたくない。あの家に居たのは僕が小学校3年生のときまでのことだ。その後僕は今の家、下宿してるところではなく母さん達が普段住んでいる家に引っ越した。あの家の記憶は少ないけれども、なぜかあの家に帰ると居心地が悪かった。のびのびとしている妹のことが恨めしく思えたほどだ。

「…いいんじゃないかな?あの家の『今』の管理者は母さんだし、母さんがいいって言ったら、いいんだよ」
僕はなるべく当たり障りのない回答をする。だが、いなりは僕の言葉を聞き、
「『今』、とはどういうことじゃ?」
と質問する。僕は答えるのに少し迷ったが、
「僕が高校に入る少し前に実家に住んでいたおばあちゃんが死んじゃって、おじいちゃんは僕が小さい頃に亡くなっちゃって、あの家を管理していたのはおばあちゃんだったんだけど…」
拙い説明をした。それでも伝えたいことは伝わったようで、
「そうか…聞いてはいけないことを聞いてしまったようじゃな…」
と気を遣われてしまう。僕はジェスチャーでいやいやと手を振り、
「別にもう過ぎたことだしね。僕は気にしてないよ」
2人を安心させる。それを聞いて「そうか」といなりはひとことだけ言い、2人は談笑を続ける。僕は、通路を挟んだ向こう側の席を見た。1人の少年が窓に顔を向け、座っている。有名な野球チームのロゴが入ったキャップを被り、ただ外を眺めていた。
「たま」
僕はその少年、末島 たまに声を掛ける。
「んにゃ?」
たまは無邪気な顔で振り向く。ゆらりと、尻尾が波打った気がした。もちろん、ズボンに隠してあるからその様子は分からないが。たまはいなり、白梅と同じ式神だ。まだ、僕とは契約をしていない。猫の妖怪らしい。
「用でもあるにょか?」
たまは僕が呼びかけたの何も言わないことを不思議がっていた。僕はそれに気づき、話題を取り繕う。
「たまはこうゆう乗り物に乗ったことはないの?」
至極どうでもいい質問だった。自分で言ってあほだなと思う。
「にゅ〜ん…あいつと一緒に牛車には乗ったことはあるにゃ」
そんな質問に純粋にたまは答える。僕はそれを取っ掛かりに、くだらない話を始める。
僕らが向かっているのは先程言ったように僕の実家、正確に言ったら僕が生まれてから小学校3年生のときまで住んでいた家である。場所は僕の住んでいる場所からいくつかの路線を乗り継ぎ、大きなターミナル駅から特急に乗らないといけないところにある。場所は山と海が近い町。それなりに大きい場所である。
で、何故行くかというと、それは数日前の電話にさかのぼる。

『今度のゴールデンウィークに、お山の実家でちょっとした親族会議があるから、薫ちゃんも来てくれないかしら』
開口一番それですか。母さん。
「僕、1ヶ月前に入居したばっかなんですけど」
『そう言わないでよ〜薫ちゃん。マコちゃんも薫ちゃんに会いたがっているわよ』
「どーして僕が出ないとならないのさ。父さんと母さんが出ればいいじゃないか」
『石英さん、つまり父さんがどこに居るのか、薫ちゃんは知ってるわよね?』
語尾が少し怖い。僕は恐る恐る答える。
「…イギリスのロンドン」
『そんな人が親族会議に出れるのか、賢い薫ちゃんは分かるわよね〜?』
「…ごめんなさい」
『あくまで石英さんの代理ということだけど、やっぱり今の神島家当主は薫ちゃんなんだからね』
「…で、日程いつ?スケジュール立てるから、教えて欲しいんだけど」
『それは今度列車のチケット共に郵送しておくから。あと、多分母さんは迎えにいけないから、きっとお山の人とマコちゃんになると思うから、今のうちに色考えておいたほうがいいと思うわよ〜それじゃあね=』
「ちょっと待ってそれって…」
『ツー…ツー…ツー…』
電子音が僕の声を迎えてくれた。それから僕の戦いのゴングは鳴り響いたのである。

重い荷物をたくさん抱え、ホームに降り立つ。駅の少し先に海があるのか、遠くからザザーン…と漣音が聞こえる。日差しは春から初夏を通り越して夏のように暑い。僕らと数人が降りた後、扉は閉まり、電車は次なる駅に向かって加速していった。皆を連れ、僕は改札をくぐる。自動改札機でなく駅員がいるということが、ここが今まで居た都会ではないことを実感させる。
「どっちに行けばいいのにゃ?」
元気なたまはすでに出口のところに居た。僕は重い荷物を引き摺らないように心がけながら、残りの皆と共に出口に出ようとして、
「おーーーー兄――――――――ちゃーーーーーーーーん!!!!」
鳩尾にヘッドアタックを喰らう。僕はそのまま後ろによろめき、尻餅をつく。呼吸困難に陥りそうだった。まともに顔を上げられない。白梅が僕の背中を摩ってくれる。僕はそれで何とか、呼吸を落ち着かせた。で、僕にヘッドアタックを仕掛けた相手は、
「痛タタタ…」
同じように尻餅をついたようで、お尻と頭の両方を摩りながら立ち上がる。僕は、文句を言おうとして、顔を上げた。
そこには、懐かしい顔が、僕を見つめていた。
少女は僕に手を伸ばす。年齢にして7歳。いまだ小さい手だけれども、その手は間違いなく僕にとって大きな手だ。僕はそれを掴む。
「うーんっしょ…」
掛け声と共に少女に引っ張られ、なんとか立ち上がる。少女は僕の顔を見るなり、目に涙を溜めている。灰色の瞳が、僕の顔に向けられている。髪は漆黒。それを山吹色のカチューシャで留めてある。長さは背中の中ほどまでかかるぐらい。少女は上目遣いで僕を見つめた後、僕の体に顔を埋め、
「お帰りなさい…お兄ちゃん…」
と涙声で言った。僕も、頭を撫でてやりながら、
「ただいま。真琴」
と答えた。白梅、いなり、夕子がこっちを凝視している。たまはいつまで経っても来ない僕らに苛立ったのか、
「早くするにゃー!」
と外で声を掛けているのが聞こえた。彼女の名前は神島 真琴。正真正銘の僕の妹。両親とも忙しかったため、面倒は専ら僕が見ていた。そのため、両親にはあまり懐かず、僕にべったりのお兄ちゃん子になってしまった。僕が学校に行くとき、本気で泣かれたことが10回以上ある。ちなみに、今回の下宿を一番反対したのも真琴だったりする。
「…薫…その子…誰…?」
白梅がいつもと同じ口調で聞く。僕はいつもどおり振り返り、
今まで見たことない白梅を見た。
顔をムスッとさせ、じとーとした目でこちらを見ている。ちょっとだけ目に殺気が篭っているのは気のせいだろうか?
僕はゆっくり真琴を引き剥がす。真琴はあからさまに「どうして?」という目をしている。僕は笑うしかなかった。やっと、真琴は白梅の強烈な視線に気づく。
「ママから話、聞いてるよ。白梅ちゃん…だよね?」
真琴は白梅の顔を見つめて、言う。白梅は強烈な視線を解き、いつも通りのちょっと困惑した顔で頷く。真琴は次にいなりを見て、先程と同じように確認する。いなりは「う、うむ…私がいなりじゃ」とちょっとどもって言った。最後に夕子を見ようとして、
「初めまして。水無月 夕子です。きっと神島君のお母さんから私のことあまり聞いてないと思いますけど、私も神島君の家に住まわせてもらっています。よろしくお願いしますね」
夕子が笑顔で言った。けど、目があまり笑っていませんよ。夕子さん。
「えっとその…こちらこそよろしくお願いします」
真琴は戸惑いながら敬語で挨拶した。言い終わると同時に1人の男性が入ってくる。まだ年若く、見た目20代前半。優しい風貌をした青年といったところか。
「こんにちは薫君。私のことは覚えてますか?」
細いフレームの楕円眼鏡。髪は耳の前に房があり、後ろはそのまま伸ばしていて、長さは均等で肩の少し上ぐらいだ。目が細く、遠くからでは眼球が見えない。常に笑っているようにも見える顔。僕は記憶の奥から該当人物を探す。
思い出そうとして、頭を割るような頭痛がそれを阻んだ。
僕は立ち眩みして、ふらつく。それを、その男性に支えられる。
「す、すみません」
僕は謝りながら、体勢を整える。
「覚えていませんか…では改めて自己紹介しましょう。鳥居 和人です。神島の分家筋である鳥居家の当主です。以後お見知り置きを」
和人さんはしっかりと礼をする。とてもしっかりした人という印象。僕らは和人さんの運転するワゴン車に乗り、そのまま山の方に向かう。乗ること30分。目的地に着く。
「ほお〜」「すごいにゃ〜大きいにゃ〜」「…薫の家…大金持ち…」「神島君。私、こんな大きなお家、人生でそう多く見たことありません」
各々の感想がこれ。僕としては懐かしいという気持ちが薄らあり、それよりもなんというか言い表せない、淀んだ感情が心に渦巻いていた。
僕の実家。神島の「お山」とは、山1つ全てが家という何でこんなことをしたのか疑問な家だった。母屋だけでも旅館並みのでかさがあるのに、そこからいくつの渡り廊下に繋がれた離れが4つほどある。山の天辺には神島の氏神がまつってある祠があり、そこに行く道以外は山の中がどうなっているのかは、よく分からないそうだ。
僕が呆けるように母屋を見ていると、真琴が僕をずっと見つめていた。
「どうしたんだ?真琴」
「ううん。なんでもないの。そんなことより、早く入ろ!」
真琴に手を引っ張られ、中に入る。
「お帰りなさいませ。薫様、真琴様、和人様」
数人のメイドが礼をして迎え入れる。僕は戸惑っていると、一人のメイドが僕の荷物を軽々と持ち、「こちらへ」と案内する。和人さんは「失礼します」と言って僕とは逆方向に行く。
「後でね!お兄ちゃん」
途中、真琴は自室に戻るため、別れる。廊下をトテトテ走る姿は、懐かしさを覚えた。案内された場所は、見覚えのあるところだった。住んでいたのだから見覚えがあるのは当然だが、おぼろげな記憶の中に、この部屋のことがはっきりと残っているのだ。襖仕切りの純和室。大きさは12畳といった所か。メイドは僕に一礼し、すばやい動きで玄関のほうへ行く。
「ふへ〜ここは息苦しいところじゃの」
いなりが愚痴をこぼす。
「あのメイド共、わしらのことをずっと監視しておった。おそらくかおる以外に人が来てるのが問題あるのじゃろう」
いなりは愚痴をこぼしながらスカートを脱ぐ。今回は紺のロングスカートと白のブラウスという組み合わせである。いなりは恥ずかしそうにこちらを見る。僕はその様子を見て肝試しのいなりを思い出して、恥ずかしくて動けなくなり、
「もう…分かってるじゃろ…はよ…せんか…」
最後のほうが尻すぼみのいなりの言葉。僕はそれでいなりのして欲しいことを察して、バッグから必要なものを取り出す。他の皆もそうなのか、準備をし始めている。僕は吸水マットを畳みの上に敷く。その上にいなりが座る。いなりが身につけているのは、音子さん特製の布おむつ。いなりのおむつカバーはオレンジ色の無地で、前に狐のアップリケがついている。僕は、ホックのところに手を掛ける。パッチパッチと軽快にはずしていく。開けると、ぐっしょりと濡れた布おむつが顔を出す。仄かに匂うアンモニア。
「うう〜いちいち手を止めるでない…恥ずかしいじゃろうが…」
顔をほんのり赤くし、手を止めていた僕に抗議するいなり。僕は音子さんに言われた手順や注意することを確認しつつ、いなりのおむつを交換する。汚れたおむつは、専用の袋の中へ。後で回収してくれる手筈だと、母さんは言っていた。大事なところを拭いている最中、尻尾がかなり激しく右往左往していた。全てを終えて、スカートを着るため立ったいなりを見送ると、次に来たのは白梅だった。
「…薫…お願い…」
白梅のおむつカバーはピンクの無地で、前に兎の刺繍、後ろににんじんのアップリケがついている。同じような手順でおむつを換える。白梅は、いつも量は少ないが、数多く漏らすので、結局いなりと同等の量を漏らしてしまう。男の証を拭いていると、耳がぴくぴく動く。僕がそれに気づき指摘すると、白梅は「…薫…め…」といった。「め」とは、ダメの意味なのだろう。白梅のおむつを換えると、次は夕子。夕子のオムツカバーは水色の無地で、飾りはまったくついていない。
「あの…きっとあんまり見たくないものも付着していると思いますけれども、そのあたりはご容赦ください」
夕子のセリフ通り、夕子のおむつはおしっこと愛液でぐしょぐしょだった。丁寧に、大事なところを拭く。その度に、「ひゃん」などの喘ぎ声を出す。僕はなるべく顔が赤くならないように努めるので必死だった。夕子のおむつ換えが終わり、次はたまの番。たまのおむつカバーは、黄緑色がベースで白の線が所々入る。前にはサッカーボールのイラスト。
「薫〜早く〜!」
じっとしているのが苦手なたまは、こうやっておむつ換えのときでもうずうずしている。それが如実に現れているのが尻尾。うねうね動くのは見ていて面白い。僕は手早く、それでいて丁寧にたまの股を拭く。4人分のおむつが入った袋はずっしりと重かった。道具を片付けている最中、懐古する。色がついていないセピア色の記憶。
こうやって、真琴のおむつも換えていたな。
この家は、僕にとってあまり好ましくない場所だ。でも、そんな場所にでも僕の大事な思い出が染み付いている。まだ、おばあちゃんが生きている頃の話だ。
遅めの夕食を部屋で食べ、皆をいなりと夕子に任し、僕は戦いの場に向かう。
親族会議。
別名神島家総会。神島という家はかなり特殊な家だ。歴史だけなら守人の高野谷家と同等の歴史を持つ旧家。が、資産は圧倒的に高野谷家のほうが上だ。ちなみに、現在守人はヨーロッパ一人旅をしている。何でも、高野谷家は子供の高校生最初のゴールデンウィークに、お金だけ渡してヨーロッパに送り出すらしい。後から先は全て本人次第。一応それなりのノルマもあるため、すぐには帰れないとのこと。
話を戻そう。そんな歴史だけの旧家、神島家がこだわっているのが仕来りと血族である。総会もそのひとつであり、数ある分家筋のうち、毎年選ばれた10人の分家当主と宗家の当主で開かれる神島家の最高意思決定機関。で、僕の立場は…
「宗家当主、神島 石英代理、神島 薫、入ります」
「宗家当主補佐兼当主妻、神島 朱乃、入ります」
24の瞳が僕に向く。その中には和人さんも居る。基本的には10人の分家当主。そしてご意見番が2人。これは宗家分家問わず、一番高齢な人がなる立場である。前回の総会はおばあちゃんがご意見番だったが亡くなった為、その次の高齢の人である黒柱家の元当主と御霊家の当主補佐兼妻だった人が同い年のため、2人がご意見番になった。今回の議題については、僕は何も聞かされていないため、母さんが説明している。
「今回皆さんにお集まりしていただいたのは、送り身のことについてでございます」
僕が聞いたことのない用語。だが、僕以外の人たちはとても苦い表情をしている。特に、和人さんは憎悪が混じったような、怒りとも悲しみともとれる表情をしている。母さんの説明は続く。
「知っておられるように、送り身とは宗家の者が亡くなったとき、その者を無事あの世に送り届けてもらうように、氏神様に御子を捧げることでございます。この度、宗家前当主補佐兼妻であり、前々回の総会までご意見番であった神島 イヨが亡くなったため、これまでの仕来りに則り、イヨが亡くなって49日になる晩、御子を山頂の社に捧げ、翌日、御子の『回収』をもって、送り身の儀とさせていただきます」
母さんが言っていることを理解するのに四苦八苦する。凄く回りくどいことを言っている。大社家の当主が、母さんに質問する。
「もう『御子』は決まっておるのか?」
「いえ。それも今回の総会で決めようと思います。流石に従来どおりに簡単に『隠蔽』できませんから、その後の『処理』も含めて、話し合う予定でございます。前回の送り身のこともありますので…」
母さんが言っている言葉が、とても不穏に感じる。僕は不安を隠しきれない。
「か、母さん。送り身って僕何のことだか分からないんだけど」
小声で母さんに声を掛ける。母さんは僕に「後でね」と同じような小声で返した。
「本当に行わなければならないのですか?今のご時世、そんな古い仕来りにとらわれる必要はないでしょうし、何より、これは人命にかかわることですよ?」
和人さんが他の皆に聞こえるように言った。僕はそれを聞いて固まる。
なんだよ。人命にかかわることって。
「若造がよくほざく口を持っておるな!」
和人さんの隣に座っていた、酒田家当主の頑固爺が怒鳴り声を上げる。それに続くように、今度は守犬家の中年のおっさんが嗄れ声で言う。
「我ら神島一門にとって重要なのは仕来りなのも、皆わかっていると思ったが、まだまだそんなことも知らぬ阿呆もいるようだな。そんなのが当主だというのも笑える話だ」
嘲りが混じった言葉。僕は、それに抗議しようと声を出そうとして、母さんに止められる。そのまま口論になりかけていたとき、ご意見番である黒柱家の元当主が、扇子で畳みを叩く。
「みっともないものを見せるなら両人ともこの総会から出て行け!そのままお前らを当主職から降ろすぞ!」
シーンとなる部屋。今度はもう一人のご意見番である、御霊家元当主補佐兼妻のおばあさんが口を開く。
「そういや…宗家にまだ小ちゃな娘っ子がいたねぇ」
母さんが固まる。僕は何のことかすぐに理解できない。
「…これで決まりだな。御子は通常、宗家分家問わず最も幼い子供にやらす。それも仕来りだったはずだ。だよな?朱乃さん」
縄屋敷家の当主が嫌な笑みを浮かべて言った。母さんはまだ動かない。縄屋敷の当主は続ける。
「…確か真琴といったよな。その嬢ちゃん。何歳だっけ?」
何でそこに真琴の名前が出て来るんだ?
「今年で8歳になります」
母さんは静かに答えた。縄屋敷の当主は作ったような悲しい顔をして、
「申し訳ありませんが決まりですね。確かに残念なことです。まだ小さいのに、可哀想に…」
その後、すぐに顔を戻して、
「宗家の人がこんな様子では会議は終わりですよね。ご意見番御二方」
と明らかに嬉しそうに言う。2人のご意見番はその意見に合意し、総会はお開きとなった。母さんは表情1つ変えず、皆が去るのを見送る。数人の人が、本当に可哀想な人を見る目で、こちらを見た。その中には和人さんも居る。全員が出て行った後、母さんは僕に振り返る。まだ、表情は変えていない。
「…じゃあ…説明するね。薫ちゃん」
よく見ると手は震えている。それでも顔は変わらず、穏やかだ。
「送り身はね、会議で説明したように宗家の人、今回はイヨおばあちゃんね。宗家の人が亡くなったときに行う仕来りなの。神島の神様にね、死んだ人を無事あの世に送り届けてくださいってお祈りする儀式なの。でね、これから先のことをしっかり聞いてね」
母さんはそこで一拍おく。母さんは必死に平常心を保っているように見えた。母さんは続ける。
「昔ね、神島の神様が言ったの。この者の魂を無事に送るには、若き魂の力が必要だって。それからね、神島では宗家の人間が死んだ時にはね、無事にあの世に送って欲しいから、神様に若き魂を捧げることになったの。遠い遠い昔の話だけど、今でも続いてるの。だからね、だからね…」
母さんの声が徐々に涙声になる。ゆっくりと落ちる涙。それがどんどん加速する。顔がぐしゃぐしゃに崩れる。
「だから、宗家の人が、死んだときには、御子と呼ばれる、子供を、山頂の社で捧げるの、それは若いほど、いいの。いいってことに、なってるの。で、今回の、御子は、御子は…」
母さんはそのまま泣き崩れた。僕はその体を支える。そこまで聞いたら、それから先のことは分かる。嫌でも分かってしまう。母さんはそのまま嗚咽をやめない。ちょうどそのとき、場の悪いことに、
「ママ!ママどうしたの?どこか痛いの?どうしたの?」
一番の当事者がこの場に来てしまった。母さんが真琴を見る。ぐじゅぐじゅの顔のまま、真琴を抱き寄せる。
「真琴!真琴!真琴…」
ただ名前を呼ぶのが精一杯のようだ。真琴は突然抱かれてどうしたらいいのか分からず、
「どうしたのママ?私がどうかしたの?」
と繰り返し母さんに聞く。僕は静かに真琴を見つめる。
「お兄ちゃん…?」
真琴は後ろから見つめる僕に気がついたようだ。真琴が僕に声を掛ける。
「お兄ちゃん?どうしてお兄ちゃんも泣いてるの?」
僕は真琴に言われて頬を触る。水滴が指に触れる。いつの間にか僕も泣いていたようだ。僕は、今どうしようもない事実を突きつけられた。
おばあちゃんの49日、真琴は死ぬ。
今回の御子は真琴らしい。そして『山頂の社で捧げる』というのは、山頂の社で殺すという言葉を美化した言葉だろう。つまり、真琴はこの家の仕来りのために死ぬということだった。
ふざけるな…!そんなの、認められるか!
心の中で叫ぶ。僕は血が出るほどの強い力で拳を作る。僕を見つめるこの幼い肉親を守ると心の中で誓う。
そうだろ?だって兄が妹を守るのは当然なのだから。
こうして神島という家にまつわる幸せと不幸せな物語は始まる。狂った歯車は、ゆっくりと回り始める。僕は、それを止めることができるのだろうか?

遠くで誰かの怒鳴り声が聞こえる。この声は女性のものだ。気ににゃって、探険も兼ねてその声がするほうへ。そこで俺は聞いてしまった。
子供を神様に捧げるということ。それが薫の妹であることを。
誰かが来たから別の部屋を通り、屋根の上へ隠れる。その場所で、空を見上げる。三日月が、空の片隅に輝く。そこで、また思い出す。あの出来事を。俺が今の俺ににゃったあの出来事を。そして思う。
今度は、迷わにゃい。今度こそ、あの過ちは繰り返さにゃい。


―――真琴が死ぬタイムリミットまで、あと51時間26分44秒。