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今回はノンおむつという、このサイトの趣旨に少しだけ反してます。ただしおしっこはでるよ!



「ねぇ…私とイイコト、しない?」

少女は小悪魔的に笑い、僕の体に指を這わせ、耳元で囁いた。吐息が聞こえる。荒い吐息。顔が自ずと熱くなる。僕の息も、どんどんと苦しくなる。口が開いたまま閉じることができない。舌が踊るように動く。

「    」

何を言ったのだろうか。呂律が回っていなく、言葉にすらなっていない。

「もう、緊張しちゃって。かわいいなぁ」

少女はニコリと笑いながら、僕の頭を胸に抱え込んだ。少ししか成長していない、ほんのり膨らんだ乳房に抱かれ、僕は自然と目を閉じた。鼓動の音が聞こえる。もっと呼吸ができなくなる。息苦しい。苦しいのに気持ちいい。まるで毒だ。この子の声は甘い毒となって、僕の体に染み込んだ。

「じゃぁ…しよっか…」

少女は体を摺り寄せ、そして…

 

 僕、播磨 洪庵は塾の帰りを急いでいた。親には連絡してあるし、それほど遠い距離ではないからと油断していたら、いつの間にか時計の針は午後9時間近だった。家々の明かりも消え始め、子供心に恐怖を感じる時間帯。ぞくっとしたものが背筋を駆け抜け、すぐさま手を止め、帰りに支度をした。

 自転車を力強く漕ぎ、住宅街を爆走する。夜風は気持ちいいというより寒い。ぽうっとした月明かりは夜道の視界を怪しくさせる。

「こういう夜には何か出るってじっちゃん言ってたっけ」

僕の声は、夜の中へ溶けて消えた。古い家系の末裔らしいじっちゃんは、小さい頃から僕にいろんな話を聞かせてくれた。その中でもじっちゃんは、妖怪の話をよく聞かせてくれた。面白おかしく、そしておどろおどろしい話たち。妙なリアル感を伴ったそれは、幼い僕を釘つけにしてならなかった。

「特に狐の話なんかよかったなぁ。あの後おねしょがなかなか治らなかったのも、恥ずかしいけどいい思い出」

思い出すだけで体が温かくなる。おじいちゃんが語る妖怪話には、たびたび狐が登場した。そういう話に限って、リアル感が一入なのだ。まるで、実際に体験したことを話しているかのような素ぶりだった。あの話をもう一度聞きたくなるけど、それは叶わない。

「じっちゃん…」

住宅街を抜け、お寺の前を通り過ぎる。そこにはじっちゃんの墓がある。先月建てたばかりの真新しいお墓。僕は一度も墓参りに行っていない。行くとじっちゃんを本当に死なせた気になってしまう。だから、行けない。

無意識にお尻のポケットを握る。そこには、じちゃんがくれた、手製のお守りがある。古い巾着袋に「おまもり」と平仮名で書かれているだけで、中に何が入っているかは知らない。一度確かめようとして、ものすごく怒られたことがある。あの時のじっちゃんはすごく怖かった。

そんなことを考えていると、いきなりバスッと甲高い音が響いた。自転車がガクンガクンとし始め、あることが脳裏をよぎる。仕方なくブレーキを踏み、降りて確かめてみた。案の定、前輪のタイヤがパンクしていた。じっちゃん譲りの年季の入った自転車だったし、仕方ないと割り切るしかないだろう。一つ息を吐くと、僕は自転車を手押ししながら、家路を急いだ。

 

 月の明かりが一際きれいに見えた、他に明かりのない雑木林の中の道。自転車を転がす音さえうるさく聞こえた。微妙な起伏のある道。うまく先が見えず、時たま車同士が事故るらしい。木には事故注意の鉄製の看板が結わえつけてある。半分錆びたそれは、夜の恐怖感をより一層際立たせた。体がさらに震える。寒いからだけではないことは、自分が一番分かっていた。いつの間にか早歩きを始めていた。そう長くないはずなのに、道がどこまでも続くようにみえた。

 そんな時、月明かりがパッと消えた。一瞬にして辺りは暗闇が支配する世界へと変わる。恐怖感が倍増し、身震いが全身を駆け巡った。思わず足を止めてしまう。次の一歩を踏み出そうとするが、恐怖で体が硬直して、思うように動くことができない。夜風が葉を揺らす。カサカサと葉が擦れる音がする。

 怖い。怖い。怖い。怖い。

 震えが止まらない。体を縛る恐怖は僕の体に絡みついてくる。容易に拭いされないそれは、暗闇の力も相まって、僕の心を埋め尽くそうとしていた。

 

「大丈夫?」

 

唐突な声。すぐ近くに誰かいる気配がした。声の質からすれば女の子だろうか。優しく語りかけるその口調は、どこか懐かしい気がした。

「寒いの?」

僕は首をどう振るか迷い、そして横に振った。暗闇で姿形ははっきりとは分からないが、どうやら僕よりは小さいらしい。頸元に、生き物特有の生温かい息が当たる。暗闇で細長いものが動いた。それは僕の頭まで届くと、髪の毛を触る。温もりに満ちた感触に、くすぐったさを感じた。

「そう、じゃあ、怖くなっちゃたとか?」

心配する声に、からかいの音色が混ざる。少しだけむっとしたが、悪い気分にはならなかった。光が差す。雲が流れたのか、月明かりが暗闇を切り裂き、彼女を照らした。

 ぱちりとした、それでいて柔和な紅い瞳。ちょことした口は可愛さを際立たせ、風によって流れる長い髪は、茜色に彩られ、毛先だけはコントラストが効いている白色となっていた。それをリボンで尻尾のようにまとめ上げ、風が止むとそれはお尻のあたりに落ち着く。頭半分ほど小さいから、120センチ前後だろうか。白地で袖口に黒いラインの入ったの毛糸のセーターに、赤系統の色でまとめられたチェックのフレアスカート、紺地のニーハイソックスを身につけ、首に黄金色のマフラーを巻いていた。

 息を呑むほどの可愛さに、僕は別の意味で体を固くしてしまった。

「もしも〜し。聞いてる〜?ねぇ〜?」

少女が僕の目の前で手をひらひらさせる。そこでようやく平静を取り戻すと、心の中で一呼吸置き、彼女の言葉に応える。

「あ、大丈夫だよ。うん」

少女は口を端に寄せ、無邪気さに満ちた笑みで「よかった」と返した。ぱちくりと瞬きをし、僕を見つめる。透き通るようなその瞳に、僕の心は吸い込まれていった。その奥にあるものを見ようと凝視し、数秒、僕らは見つめあった。

「大丈夫なら私、行くね」

彼女は僕から目を逸らすと、踵を返し、背を向けた。数メートル走ると、彼女は空を見上げる。僕もつられ、上を向いた。そこにはもうすぐ満ちる月が、天頂から零れ落ちそうだった。空気が澄んでいるのか、星も疎らながらはっきりと見える。

「……じゃあね」

少女は一度振り返り手を振って、そして走り去って行った。

 そして、雑木林に残された僕は、彼女の名前すら聞いていないことに気付いた。

 

その日から数日過ぎた満月の夜、同じように塾の帰り道を歩く。しかし、今日はいつも通りの時間で帰っているから、家々の明かりがあってそう怖くはない。

……この雑木林を除いて。

「やっぱり、ここだけ別格だよなぁ」

吐く息も白くなってきた。本格的に寒さが来た気がする。

「寒い?」

また、あの声が聞こえた。

「今日は…ね」

僕は隣の足音に向けて答える。そこにはこの前と同じ出で立ちの、あの少女がいた。

「じゃあ、暖めてあげようか?」

少女はにこりと笑い、僕の腕をとる。僕は誘われるままに、雑木林にある、一本道から外れ、林の中へと入って行った。

 この時から、僕は毒に犯されていたのだ。彼女の甘い毒に。

 うっそうと茂る木々の間をすり抜けるように、僕らは奥へと進む。落木を乗り越え、間に生える笹を押しのけ、林の奥へと。数分して、林の奥になぜか家が現れた。ぽつりと建っている、ログハウス調の家。道などなく、当然、車も置いていない。森の中にある家というだけで、ここだけ、おとぎ話の世界になったかのような錯覚さえした。

「私の家だよ。入って」

少女は中に入るように促す。僕は少しばかり警戒しながらも、その言葉に甘え、家の中に入った。ぽわっとした明りが、部屋を照らす。こじんまりとした部屋には、女の子らしいパステル調の家具が並べられ、床には小麦色のじゅうたんが敷かれている。玄関と部屋は直接繋がっているのにもかかわらず、ほんわりとした暖かさがあった。

「真ん中の、クッションの上で待っててね」

少女の指示を僕は素直に従った。濃淡の違う水色のチェック模様。そのクッションに腰掛け、呆けたように部屋を見回す。部屋はきちんと整頓され、清潔さを保っていた。その中でも生活感というものが見えてくるあたり、これが幻想とは思えない。そして、ここに住んでいる少女は台所で何かを作っているようだった。湯気が立ち込め、いい香りがこちらにも漂ってくる。

「何、作ってるの?」

僕が聞くと、背中越しに少女は答える。

「コーンスープ。温まるよ?」

優しい声に、自然と僕の心が暖かくなる。心地よいオルゴール音色のような、清らかな声。それは僕を骨抜きにする。

「ほら、できたよ」

いつの間にか少女が反対側に座っていた。2つのマグカップ。紅白のお揃いで、それぞれにサンタクロースの絵が付いている。僕が白いほうを受け取ると、少女は赤いほうのマグカップを口に運ぶ。

「あふゅっ…」

一口飲んだ瞬間、彼女はそう言って口を離し、舌を出した。その仕草がすごく可愛くて、僕は気持ちを落ち着かせるために同じようにスープを口に含む。うん、ちょっと熱めだ。だからこそ、体の芯から暖かくなる。

「ありがと」

「ん?」

僕の感謝の言葉に、少女は首を傾げた。仕草一つ一つが可愛らしい。熱くなる顔に恥ずかしさを覚えながら、僕はその先を言った。

「この前も今日も。どうしてこんなに気にかけてくれるのか知らないけど、まずはお礼を言おうかなって思ったから」

「うん。じゃあ…どう致しまして。かな?」

少女はニコリと微笑み、僕の言葉に気持ち良く返してくれる。そして、僕はこの前聞きそびれたことを聞くことにした。

「名前、教えてくれる?僕の名前は播磨 洪庵」

「紫苑(しおん)。麻衣 紫苑。よろしくね、洪庵」

紫苑はマグカップを置くと、急に立ち上がった。僕も自然とマグカップを置き、そして近づいてくる彼女を見て、だんだんと体が変になる。変にあそこが痒くなり、自分のものじゃないような、まるで獣のような、そんな気分だった。

「ねぇ洪庵、温まったんだし、私とイイコト、しない?」

紫苑は小悪魔的に笑い、僕の体を押し倒した。僕はなす術もなく体を彼女に預ける。上着を脱がし、胸の近くに指を這わせ、耳元で囁いた。吐息が聞こえる。彼女の荒い吐息。それを聞くだけで何故か顔が自ずと熱くなってきた。僕の息も、どんどんと苦しくなる。口が開いたまま閉じることができない。舌が踊るように動く。こんなこと、今まで味わったことはない。変な気分が、体を支配する。まるで自分が自分でないみたい……

「    」

何を言ったのだろうか。呂律が回っていなく、言葉にすらなっていない。だんだんと恐怖が気持ちよさに変っていく。その変容に僕は敏感だった。熱くなっていくあそこを抑え、僕は彼女に聞く。

「これぇ…どういう…」

彼女は口を塞ぐためにその唇を僕に重ねた。記憶している中では2度目のキス。舌を這えずり回し、唾液を絡めさせる。キスがこんなに息苦しいものだと、生まれて初めて知った。そして、ゆっくりと唇を離す。紫苑は口から垂れる唾液を拭い去ると、あの、無邪気さを感じる笑顔で、言った。

「もう、緊張しちゃって。かわいいなぁ」

そのままのしかかるようにして、彼女は僕の頭を胸に抱え込んだ。少ししか成長していない、ほんのり膨らんだ乳房に抱かれ、僕は自然と目を閉じた。鼓動の音が聞こえる。優しい鼓動の音。緊張はどんどんと解れ、ただ心地よさだけが残った。対して体は、もっと呼吸ができなくなっている。息苦しさを感じる。けど、その苦しささえ、気持ちいいと感じる自分がいた。そして気づく。この子は、まるで毒だ。この子の声は甘い毒となって、僕の体に染み込んだんだと。

「じゃぁ…しよっか…」

少女は甘たるい声をだし、体を摺り寄せ、そして…

僕のお尻に触れた途端、大きく仰け反り、後ろに跳んだ。

一瞬、何が起きたのかわからなかった。しかし、だんだんと意識をはっきりさせるにつれ、その毒は落ち、そして夢から覚める。

そこは雑木林にある、小さな祠の前だった。半分朽ちかけた祠は、先ほどまで台所がある場所に建っていた。注連縄は切れ、中もぐちゃぐちゃになっている。手元を見る。マグカップだと思っていたのは、大きな葉っぱだった。中にはどこからか持ってきたのか水が溜まっているだけだ。あたりの暗さは相変わらずだが、丁度ここだけ木々が無いためか、月明かりがスポットライトのように照らす場所になっている。最後に彼女を見る。彼女は眉間に皺を寄せ、僕を睨みつけていた。姿形はほとんど変化がない。ただ言えることは、頭から動物特有の耳を出し、お尻にあった髪が尻尾へと変化しているという、現実離れしたものが存在していた。

「お前ぇ…安弘の孫か……っ!」

苦々しげに紫苑は口走る。その名前は、死んだじっちゃんの名前だった。

「じっちゃん?…じっちゃんがどうして…」

彼女は僕を強い眼差しで射抜き、吠えるように怒鳴る。

「どうして?どうしてだと?あいつは、あいつは…っ!私の心を裏切ったやつだっ!」

僕はびくりと体がなり、そして動けなくなった。動かそうとしても動けない。金縛り。その言葉が脳裏によぎる。彼女は両の手を獣のものへと変えつつ、僕に投げつけるように叫ぶ。

「あいつはっ!馬鹿でっ!臆病者でっ!かっこ付けでっ!私のことを好きって言ってっ!契約したのにっ!したのに……」

だんだんと弱々しくなる語調。僕はその場から動けず、体を震えさせながら、紫苑を見つめる。紫苑は一度顔を伏せ、涙声になりながらも続ける。

「どうしてだよ安弘…どうして私をここに閉じ込めたの?安弘…ねぇ、答えてよ安弘…」

その瞳から、水滴が零れた。僕は恐る恐るといった足取りで、彼女に近づく。

 彼女の顔が上がった。その瞳を金色に輝かせ、僕をキッと睨みつけた。僕の足が止まる。その隙に乗じ、彼女は爪を出しつつ飛びかかってくる。月明かりが爪を照らす。その鋭さをもってすれば、僕の喉笛をえぐるのは容易だろう。恐怖に腰が抜ける。そのとき、お尻のお守りのことを思い出し、尻もちをつきつつ取り出し、前へかざした。

「っ!?」

紫苑は急に勢いを無くし、そのまま地面へと落っこちる。小さい声で「ぁぁ」と繰り返し、女の子座りのようになった後、大きな声で泣き始めた。大粒の涙が地面を濡らす。僕はようやっと元通りになり立ち上がった。静けさを破る、彼女の鳴き声。その声にただただ茫然としてしまう僕。こういう時、どうしたらいいのか、わからない。

その嗚咽の中に、水が流れる音が紛れ込んだのは、すぐのことだった。

「あれ?……あー」

彼女のことを察して、この先のことは言わないことにする。ただ言うとするならば、僕は彼女を拾って、家に帰ったのは、すべてを片づけた後だったということだ。

 

 家の布団の中、こっそり持ち帰った狐の子供を抱いて、僕は眠りに就く。明日、墓参りに行こう。そう決めて。

 

 その夜、夢を見た。本当に夢かを確かめるために頬を抓ったから間違いない。

 その夢は、じっちゃんと幼い僕が話しているのを、今の僕が見ているという縮図だった。じっちゃんに会えた嬉しさから声をかけたが、どうやら僕のことはみんなには見えないようだ。そのまま僕はじっちゃんの横に座る。その反対側に座った幼い僕に、じっちゃんはいつもの「お話」を聞かせてくれた。

「じっちゃんはな。昔はモテモテだったんじゃぞ」

「うそだぁ。このまえじっちゃんがばぁちゃんにしかぷろぽーずされなかったってないてたじゃんか」

「う。そういうことを覚えるでない。本当じゃぞ。本当にモテたんじゃぞ」

「そういうことにしとくね」

「可愛げのない奴じゃの。……まあ、いい。けどな、どんだけモテようと、本命の子は別にいたんじゃ。だからいつも断っておったんじゃぞ」

「ほんめい?ばぁちゃんのこと?」

「んにゃ。ばぁさんも好きだったがその子のことはもっと好きだったんじゃ。本当に、本当にな。ばぁさんには内緒だぞ?」

「うん。わかった。やくそくする。ゆびきりげんまん!」

「ゆびきりげんまん。じゃがの、わしはその子に酷いことしたんじゃ」

「ひどいこと?なかせたの?いーけないんだー!」

「もっとひどいことじゃ。それこそ、許してもらえんじゃろうな」

「ゆるしてもらえないの?じっちゃんかわいそう」

「可愛そうなのはその子じゃ。わしは許されなくて仕方ないんじゃぞ?」

「じゃ、ぼくがじっちゃんをゆるす!」

「ほぉ。洪庵は優しいの。ならお願いじゃ」

「おねがい?」

「うむ。わしがな、もしわしがその子に会えなくなったなら、洪庵がこの言葉を伝えてくれ」

「ことば?どんなこと?」

「『あの時は、済まない。お前を守れなくて』とな」

「ごめんなさいってこと?」

「そうじゃよ。いいか。よく憶えておくんじゃぞ?」

「うん!ゆびきりげんまんっ!」

「ああ。ゆびきりげんまんじゃ」

そして夢から、醒めた。

 

次の日の朝、僕の布団から子狐は消えていた。ちょうど土曜日で学校もない。急いで服を着ると、朝ご飯を適当に平らげ、自転車を転がす。目的地はあのお寺。そこにあるじっちゃんの墓。昼間の雑木林は、怖さはなくただうっそうとした林にすぎない。そこを通りながら、昨日のことを思い出す。もしかしたら、あれはすべて夢かもしれない。けど、僕は、じっちゃんのことを信じたい。だから、あれは、きっと……

 寺に着き、じっちゃんの墓の前に来た。真新しい墓石。この下に、じっちゃんの骨が眠っている。合掌した後、一呼吸置き、じっちゃんに語りかけた。

「じっちゃんごめん。僕、約束果たせなかったよ。指切りしたのに、絶対じっちゃんの代わりに言うって約束したのに、僕は、あの子に、紫苑に、言えなかった。じっちゃんのごめんなさいを」

「誰が誰に言うって?」

風が吹く。その声は聞き覚えのあるものだった。驚いて振り向くと、そこには……

 昨日の出で立ちそのまんまの、紫苑が立っていた。

「紫苑…」

「その名前で呼ばないで」

紫苑は怒ったような口ぶりで、僕を退かし墓の目に来る。冷めたような、悲しそうな眼。それを墓に向け、唇を動かす。何を言っているのかは、わからなかった。

「えっと、紫苑…」

僕の呼びかけを無視し、紫苑は踵を返して帰ろうとする。僕は慌てて追いかけて、その行く手を塞いだ。紫苑は眉を顰めると、僕のことを睨みつける。昨日とは打って変わって怖いその表情に、僕は自然と体をよろけてしまうも、何とか踏みとどまった。

「邪魔よ」

「聞いて欲しいんだ。紫苑」

「聞く気はない」

「お願いだから」

「いやよ。私は行くから、もう会うこともないだろうし」

「聞いてくれよ!」

ついに怒鳴ってしまう。紫苑はそこでビクッと、子供っぽい反応をした。僕は心を落ち着け、静かに切り出す。

「…ごめん、大声出して。けど、聞いて欲しいんだ。僕とじっちゃんの『ごめんなさい』を」

「………」

「まずはじっちゃんから。『あの時は、済まない。お前を守れなくて』って」

「ふぅん…で?あなたは何を謝るの?」

「僕は、このことを昨日のうちに言えなくて、ごめん。それに、あんなにしてもらったのに、怖がったりして、ごめん」

「……どうしようもないお人好しね。私はあなたを騙してたのよ?」

「うん。知ってる。けど…」

「けど?」

「あの時、あの闇に包まれた雑木林の中で、僕のこと心配してくれたのは、本当だと思うから」

「……っ!……だってしょうがないじゃない。あんなに怖がってたの、見てられないもの」

紫苑が言葉に詰まる。顔を赤らめ、目を逸らしぼそぼそと呟いた。その仕草も、すごく可愛かった。

 そこで、ようやく、自分の心が見えた。

「あと、もう一つ、言わせて」

僕の言葉に、紫苑はこくりと頷いた。僕は握りこぶしを作り、意を決して言った。

「君の、紫苑のことが、大好きだよ」

「……え?」

紫苑は僕の顔を見つめると、余計に顔を赤くした。じっちゃんが本気になるのも頷ける。この子は、やっぱり可愛い。それはもう、世界一なほどに。

「一目惚れだよ。君のこと、好きになっちゃった」

「……バカ」

「うん。大バカだよ。僕」

「本当。大バカだね。けど」

「けど?」

「そういう奴のこと、私は嫌いじゃないよ」

「本当に?」

「今度は、嘘つかないよ」

僕はそこで嬉しくなって、彼女を抱きしめた。彼女は唐突のことで対応できず、今度は彼女が、僕の為すがままになっている。

「あ、バカっ!私は洪庵のお守りを触ると力が…ふみゅっ」

強く抱きしめたせいか、彼女が何を言っているのか聞こえない。それに、嬉しくて他の音もよく聞こえない。だって、水の流れる音なんて聞こえるはず……

「あ、ああ、あーっ!!」

そこでようやく僕は彼女を解放した。彼女は涙目になりながら、こちらを睨みつける。その下、スカートの部分から水滴がこぼれ、扇状のシミができていた。下には水たまりができ、水は滝のように彼女から迸る。僕の服にもいくつかシミができていた。

数秒、無言の静けさが通り過ぎる。

「えっと…その…ごめ」

「この、大ブァクァアァァァァァァァァァ!!!!

「ごめんねぇぇぇぇ!!」

涙声になりながら、彼女は僕をすごい勢いで追いかけ始める。僕は条件反射で逃げてしまった。境内に2人の大きな声が響く。住職がすごい形相で睨んでいるのが傍目に見えた。走りながらもニヤけてしまう顔。うれしくてしょうがない。だって、こんなかわいい女の子に追いかけてもらえるのだから。

まずは、あの子の粗相の後始末からしようか。それが僕と彼女の最初の共同作業。そういうことを考えていると、じっちゃんが、墓場の陰から「かっかっかっ」と笑っている気がした
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