何とも寄り合い所帯になった僕らは、最後の締めを行う。世界にできた罅を再び修復し、そして、同時にカルナの穢れを祓う。これが桜姫さんの、解決策だった。

「こんなものでいいのかしら?」

「…うむ。大丈夫…だと思うのじゃが…」

夕子といなりによって公園に小さな儀式場が作られていく。複雑な呪術陣とお札の組み合わせ。僕と守人は外から様子を眺めていた。所定の位置に白梅と黒百合が立つ。そこからまるで回路のように陣に魔力が通り、術が起動し始める。ぽわんとした仄かな、優しい光。それは、2人を象徴するようなピンクの色合いだった。

「さて、今度はあなたたちの使い魔の力、借りるわよ」

桜姫の言葉に合わせ、恥ずかしそうにスカートをめくったり、ズボンを脱いだりするスコットハルト3姉妹。彼らが穿いているおむつカバーやパンツ、そこに描かれた絵柄こそ、彼女たちの使い魔の依り代だったのだ。そこから出てきた使い魔が、陣の中に吸い込まれる。彼女たちのエーテルを得た使い魔が、陣の中をエーテルで満たした。それを合図に回路がどんどんと起動していき、陣はこれで完成した。

「次はお譲ちゃんの番よ」

「お譲ちゃんって呼ばないでよ。恥ずかしい」

桜姫の言葉に赤くなりながら、カルナは陣の中に足を踏み入れた。高濃度なエーテルは視覚化されるといなりは言っていたが、確かにあれはそんな感じがした。見えないところの中に七色の渦がある気がする。あれがエーテルの集まっているところなのだろうか。

「最後は…あなたの力を借りるわね。異界の人たち」

「まさかこんなことになってるなんて…後で説明しなさいよー」

籠夜と柳耶と水仙が、祝詞みたいな言葉を口ずさみ始めた。エーテルの中にいるカルナの翅がピクピクと動いた。言葉に反応するたび、その翅から色が抜けていくような気がする。気がするとしか言えないのは、とてもじゃないけど確信が持てる状況じゃないからだ。つくづく僕も非日常側の人間になったと痛感する。

「準備はよろしいかしら?」

頃合いを見計らって、桜姫は上空に浮かばせたたまに確認を取った。

「いつでもOKにゃ!」

たまはやる気満々といった感じでスタンバッている。ぎらぎらとした瞳がそれを物語る。最後に一通り目配せしたら、桜姫は全員とタイミングを合わせ、

「では、いったん開きますわ」

罅がある場所に向かって、閃光を放った。絶対的な力の奔流が、罅を容易く壊してしまう。その先にあるのは、世界の原始の姿、混沌そのものだ。

「「「みんな、お願い!」しますぅ…」だ!」

使い魔は主の言葉を受け、その開いた世界へと飛び込んでいく。それに引き寄せられたかのように、穢れを溜めこんだエーテルも混沌へと吸い込まれていく。白梅と黒百合の体がぷるぷると震えた。2人はエーテルが外へと漏れないようにする役割もしているから、その影響を受けているようだった。「んっ…」という、苦しむような喘ぎ声。耳が風に靡くように小刻みに揺れる。まるで、エーテルの圧力の凄さを物語るように。体の奥底にある神経がそばつく。普段触れられない世界の一端。体が本能的に興奮しているのか、それとも恐怖しているのか。

「行くにゃ!」

夜叉化したたまが渾沌の世界へと飛び込んだ。そして、1秒足らずで使い魔たちを掴んで出てくる。段取り通りに事は進む。最後は……

「薫、頼むにゃ!」

「かおる。わしがついてるぞ!」

「薫さん、無理はしないでくださいね」

「……薫…お願い…」

「ほら、あなたの出番よ」

「神島、いざとなったら皆がいるから、君は自分のできることをすればいいよ」

「お兄ちゃんっ!真琴も応援してるよ!」

「日本人、後は任せたよ!」

「えっと、すいませんでしたぁ…」

「今は助力します。急いでください」

「白梅の主さん。頑張ってくださいね」

「兄ちゃん、ファイトー」

「サポートは任せて下さい」

「願いなさい。それが、あなたの力よ」

僕の出番だ。皆の励ましを受けて、カルナがいる呪術陣の中へ。一歩踏み入れると、異質な感覚に体中の毛が逆立った。少しだけ気持ち悪さに体を固まらせるが、

「おい人間」

カルナが僕を後ろに回り込んで抱きついた。

「え、いや、ええっ!?」

突然のことに思わずどぎまぎしてしまう。というか、ちょっと柔らかい何かが当たっている気がする……

「かおる!集中するのじゃ!」

ぷくぅと頬を膨らませたいなりの怒鳴り声でハッとし、僕は意識を集中し直した。手に自分の体に宿る力を集めるイメージ。指の先に、体の中の何かが集まる感覚。徐々にそれは形をなして実体化していく。剣の形。僕の持つ、唯一の力。それがこの世界の「意思」を受けて、顕在化する。僕の手の上から、新たな手が出てきた。後ろから、カルナの声を聞こえる。囁くような、優しい声。

「……その、ありがとう。私は、もう、諦めたんだ。だからね…」

「大丈夫だよ。君の気持ちは、この剣を通して伝わるから」

2人で手を重ね、剣の中に「意思」を込めていく。力が集まるのを感じる。体が熱くなってどんどんと気持ちが昂っていく。剣の中に入ってくるカルナさんの心。諦めの中に渦巻く羨望、絶望、希望、後悔。いけないとわかっていても、逆流は止められない。僕は彼女への申し訳のなさに、心が暗くなってしまう。

「人間。大丈夫だ。私は、気にしていない。私には、まだ先に行けることがわかったんだ。これで」

カルナさんの言葉で、僕は自分を持ち直した。この人は、きっと未来に生きる人だ。だから、この人のためにも、みんなのためにも、僕はやらなければならないんだ。その「意思」が、最後の、大きな力となった。

「行くぞ!」「合わせる!」

2人で息を合わせて、「意思」の剣を大上段から振りおろした。それは斬るためではなく、終わらせるための一振り。みんなの思いを乗せて、その一撃は、世界を変えたように、感じた。

 

「長い長い旅は終わりを告げた。こうして、魔術師の一族は平和に暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

「めでたくもないと思うわよ?」

位界の園。星のように輝く光に囲まれた、不思議な空間。時間も空間も無限となるその地に、2人の少女が立つ。片方は上品な出で立ちにキッとした強い眼差しをもう1人の少女に向けた、力強い印象を与える少女。もう1人は、飄々とした態度で透き通る地面の先にいる少年少女たちを見守る、金眼銀眼(ヘテロクロミア)の少女。

「あら桜姫。ごきげんよう」

「生憎、ご機嫌よろしくなくてよ?ルナ」

お互いの名を呼び、そしてお互いの役割を知りあっている仲。この世界の理を紡ぐ者の集い。

「御苦労さまでした。おかげで、懸念の1つは解消できた。感謝してるよ」

ルナの言葉はあくまで、淡々としていた。気持ちなんて籠ってないような口ぶり。それは桜姫を苛立たせるには十分だった。

「あなた……始めからすべてシナリオ通りだとでも言いたそうね」

凄味の中に殺意が混じる。彼女の力をもってすれば、目の前の少女を『消し去る』ことなど容易い。しかし、それは相手にも言えることだろう。いや、年季や技術量では、相手の方がはるかに上なのは事実だ。返り討ちされる可能性が高い。それでも……

「やめときなさい」

ルナの制する声でハッと我に帰る。気づけば周囲は数え切れないほどの魔弾で包囲されている。そのどれ1つとっても人間どころか、あらゆる怪異を打ち消す力を持っている。そして、こちらの一撃より先に、相手が先手を取れるのは明白だった。

(そう、殺す気満々なのね)

桜姫は心の中で地団太を踏む。見透かされているのがとても悔しい。それを億尾にも出さず、余裕綽々と言った態度でルナに問う。

「まあ、いいわ。で、どうしてこんなバカ騒ぎを引き起こしたのかしら?」

ルナは天使のようなほほ笑みを見せると、意気揚々と語り始める。

「『奴ら』の思惑を狂わすためよ。どうも最近変な輩が動いてるみたいでね。私の仕事を終わらせたいっぽいようなの。それなら、こちらから誘導してあげようと思って。一応いろんな所を焚きつけたし、これで少しは私も動きやすくなる」

彼女の言葉に桜姫も感じることがあった。『奴ら』。今、この「世界」に巣食う謎の存在。上位世界、平行世界、下位世界そのどの世界にも確認されていない「モノ」。彼女たちにとって最も忌むべき「存在」。

「なるほど、これはその序章(プロローグ)ということかしら?」

「いいえ」

桜姫の言葉を、ルナは即座に否定した。その速さに怪訝な顔つきになる。ルナは徐に杖を取り出し、すぅーと横に一振りした。何もない空間に描かれる幾何学模様。それはやがて魔法陣へと変化し、この空間から外へ出る扉へと変化する。

「まだ祭は準備段階よ。ほんばんはこ・れ・か・ら♪期待してて頂戴ね」

陽気な声を出して、彼女は空間から去って行った。1人残された桜姫は、彼女のいなくなった空間を眺め、1人呟く。

「安寧を司る神よ。その余裕はやがて己が身を滅ぼすことになるわよ。私たちもまた、『人間』の枠の中に生きているのだから」

 

 あの後魔術士組と僕らはその場で別れた。何やら当分はここで暮らしていくために、新しい場所を確保するとか何とか言っていたけど、正直僕はもう関わりたくない。けど、きっと、関わるんだろうなと悲観しつつ、守人の別荘へと帰る。体がすごく重い。どっとした疲れに、お風呂を終えるとすぐさまベッドの中に突っ伏してしまった。ふかふかの布団が気持ちいい……ああ、だめだ。意識が……

「おいかおる。まだ寝る出ないぞー。おーいかおるーっ。……早く起きてくれと言っとるじゃろうがこのスカポンタンッッッ!!

眠気に誘われる僕を、いなりの一撃が叩き起こした。痛みに悶絶し地面を転がる僕に、今度はたまがのしかかり声をかける。

「薫〜っ!早くおむつつけてくれにゃ〜。寝れないにゃー」

ああ。そう言えばまだだったか。そこで向くりと起き上がると、1人足りないことに気付いた。近くで本を読みながら一部始終を冷めた目で眺めていた夕子が、僕の思っていることを先に言った。

「あれ、そういえば白梅さんはどうしたんですか?」

「ああ、白梅なら籠命と共に別室じゃ。色々話すこともあるじゃろうて。それよりも、はやくその、おむつを…つけてくれないと…困るの……じゃが…」

いなりが説明した後、もじもじとした動きで下半身を手で隠す。顔を耳まで真っ赤にしている所見ると、相当恥ずかしいらしい。僕としては見慣れてるせいかあんまり恥ずかしい気がしない。というか、全てはそんなことを気にしない守人のせいな気がする。

「わかったよ。じゃ、今準備するからね…」

彼女たちのおむつを準備しつつ、真琴と守人のことを考えた。同室になっているあの2人は、今頃ちゃんとやっているのだろうか?

 

 ふぁあ…おっきいおっぱい。お兄ちゃんはいつもこのおっぱいとか見てて、エッチな気持ちとかならないのかなぁ?

「おや、耳が生えてきた。神島の妹は面白いなぁ」

お風呂に入ったあたしと守人さん。今は体を洗ってもらってるんだけど……

「そう言えば真琴ちゃんは半妖化しちゃったんだっけ?僕もつくづく面白いものに関わるようになったなぁ」

しみじみとした口調で、あたしの体を洗っていく。ってそこ触っちゃ、

「ひゃんっ」

声が思わず出ちゃった…すごく恥ずかしいよう…

「ごめんごめん。尻尾なんて珍しいからつい…」

「今度は、気を付けてくださいよぅ…」

あたしは小さな声で、非難めいたことを言った。守人さんはごめんごめんと謝りながら、丁寧にあたしの汚れを落としていった。最後に泡を全て洗い流しておしまい。体をふるふると震わせると、守人さんが「おおっと」と言いながら手で水をガードする。悪いことしちゃったかな……。

「ごめんなさい」

「どうしたの?…大丈夫だよ。どうせお風呂なんだし」

守人さんは優しく頭を撫で撫でしてくれた。耳が思わずぴくぴくと動いてしまう。気持ちいなぁ…心がくすぐったい。守人さんは目をとても細めて、表情も穏やかだった。でもなんか、悲しそうな雰囲気が混じっている気がした。

「うん…」

あたしはその先は聞けなかった。なんか、聞いちゃいけない気がした。守人さんはいつもの、余裕に満ちた顔に戻って、あたしと一緒に湯船に入る。ばしゃーんっと言った感じでお湯が溢れて、洗い場は一気に湖みたいになった。

「すごいねー水浸しだー」

あたしの暢気な感想に、守人さんは「そうだねー」とにこやかに同意する。さっきまでの寂しそうな、悲しそうな雰囲気はもう、どっかに行ったようだった。あたしはそのまま、守人さんの近くに体を寄せる。すこしばかり冷たい守人さんの体は、ちょっと熱いお風呂でくらくらする体にはとっても、気持ちよかった。

「どうしたんだい真琴ちゃん。そんなにくっつかなくてもいいと思うけど…」

ちょっと困惑している守人さんが、少しだけ可愛いい。けど、あたしは、いつもの、凛々しい守人さんの方が好きだなぁ。

「なーいしょ♪」

守人さんはそんなあたしの頭を撫でながら、いつまでもそうしていることを許してくれた。お湯の波紋が消えるまでずっと、あたしと守人さんは寄り添っていた気がする。

「ねぇ、守人さん」

あたしは、瞳を閉じて彼女に聞いた。心が落ち着くといい言葉が出てくるって、ママが言っていたからだ。

「なぁに?」

守人さんも興味を持って聞いてくれる。ぴちゃっという水の音が響く。あたしの汗が滴り落ちる音。ちょっと緊張してる。もう一度瞑想。心を落ち着かせて、あたしは素直に、心のままに言った。

「守人さん。あたしね…お兄ちゃんの周りの皆が、ちょっとばっかし憎いんだ」

守人さんの体が少しばかり強張った気がした。あたしは、その先を促されている気がして、少しずつ、話していく。

「やっぱり、お兄ちゃんを取られたのが憎い。あたしだけのお兄ちゃんだったんだ。あたしを真っ先に守ってくれて、あたしが一番大切で、あたしも一番大切で。でも、あの子たちが来てから、お兄ちゃんあの子たちのこともあたしと同じように大切にしてる。あたしの大事なお兄ちゃんがとられたみたいで、すごく憎い。でも、あの子たちのことも嫌いじゃないの。むしろみんな大好き。…もちろん、守人さんも」

「ありがと」

守人さんはあたしの頭を優しく撫でてくれた。……ああ、なんか安らぐと思ったら、ママと撫で方が似てるんだ。だから、すごく、気持ちいい。

「ねぇ、守人さん。あたしって、悪い子かなぁ?」

だから、守人さんの前では、素直になれる。こんな汚い心、曝け出すことができる。

「大丈夫だよ。真琴ちゃんは、何も悪くない」

守人さんは、そう言うと思った。きっと、あたしのことを優しく受け止めてくれる。

「誰だって、そういう気持ちは持つさ。だから、悪くないよ」

「ホント?」

「ああ。問題はその先、その心をどうするかなんだ。真琴ちゃんは、どうしたい?」

「あたしは…」

どうしたいかな?あたしは…やっぱり…

「みんなと仲良くしたい。もっと、みんなと一緒にいたい。あたしは、いやあたしもお兄ちゃんと同じようにみんなのことが大好きになっちゃった。だから、おあいこ!」

「うん。真琴ちゃんはいい子だね。なら、きっと大丈夫さ」

言いたいことを言ったら、なんだかすっきりしちゃった。守人さんにまた迷惑かけちゃったなぁ…ごめんなさい。心の中で感謝と謝罪を述べて、もう一度守人さんに寄り添う。

「そろそろ出よっか」

守人さんの声で、あたしは湯船から立ちあがった。湯気が高く上る。大きな波紋が、お湯の中を反響している。あたしに続いてゆっくりと立ち上がった守人さんは、腰にタオルを巻いて湯船から出ていく。あたしは急いでその後をついて行ったのでした…って待ってよぉっ!

 

 古城の周辺に描かれる魔法陣。多くの人員が駆り出され、旅団は大忙しで準備を行う。

「いやぁ…ユイーシュもすごい事考えるねぇ。まさか城ごと移転させようとするなんて」

ルーンは城の塔の上で作業を眺めながら、隣にいる人物に話しかける。彼女は暢気な声をあげているが、その中には少しばかりの不満を含んでいた。

「オリジンが手に入ると聞けば、あの人も本気にならざるを得ないでしょう。やっと、私達の活動らしい活動ができるというものです」

シータは自身の持つ刀の手入れをしながら、ルーンとの会話を続ける。妖しく光る刀は、遠い異国、「日本」なる国でできた刀であると、ルーンは聞いていた。

「そうねー。面倒事抱えんのはごめんだけどねー。あたいも駆り出されんかなー。やだなー。ゆっくり仕事するのがいいんだけどなー」

ルーンにとって、組織の活動内容など知ったことではない。自分の目的さえ果たすことができれば、それで構わないのだ。組織に所属してるのも、自分にとって有益になるからこそ。所詮、利用し利用される、そんな関係でつながっている。

「そう言うな。お前の目的のためにも、ここで名を売っとくことは重要なのだろう?」

シータは彼女を咎めつつ、やる気を出すように取り繕う。組織がバラバラにならなかったのも、この人の存在が大きいとルーンも認めていた。この人にはいくらかの借りがあるし、まあ、組織の一員として動くのもまた、彼女の役目の1つだという自覚もある。

「はいはい。あたいも手伝いますよー。で、何すればいいの?」

眼下では、普段は図書館から引きこもって出る気配のないユイーシュが、率先して部下に指示を出している。それだけ、彼にとってこの案件にかける思いが大きいということか。

「……しばらくは、いつも通りだろうな」

「なんだ。やる気を出して損した」

シータの言葉にルーンは大きく肩を落とした。ま、それも演技の1つだ。ルーンにできることは少ない。ならば、自分のやるべきことを為すだけだ。ルーンは1つ、気合を入れ直す。きっと、今回の案件は、組織の大きな転換点になると感じていたから。

 

一方そのころ、ジュヌエはセムルトと地下にいた。外の魔法陣はあくまで補助的なものにすぎない。今回の魔術、その中枢はこの2人の魔術である。

「セフィリアに『種』を植え付けて正解であったな」

セムルトが起動したのは、サーチする魔術。セフィリアの中にあった、負の心やエーテルを喰らって育つ化け物の『種』の反応を探るものだ。

「ああ。彼女は素質があったからな。私の読み通りだ」

ジュヌエは地下に描かれた魔法陣の中心に立った。それこそが、今回の魔術の肝となる浮遊魔術だ。大規模な浮遊魔術は魔術士1人では到底ささえきれるものではない。しかし、ジュヌエとその「バックアップ」を用いれば簡単なこととなる。

「起動する。回路を接続」

ジュヌエの言葉に導かれ、魔術が起動する。浮遊することは簡単だ。科学で言えば方法は2つ。自らを軽くするか、軽いものに引っ張ってもらえばいい。前者は熱気球、後者は飛行船を思い浮かべればいいだろう。空気を熱することで軽くするという、空気自らを軽くする方法と、後者は空気より軽いものを用意して、それをつなげて浮かばせるものだ。ジュヌエの魔術は、前者の方法の応用だ。

「私自身の重力『だけ』を軽減する。まあ、見ていろ」

ジュヌエはセムルトに見せつけるように魔術を起動した。ジュヌエの体が淡い光を纏った。背中からエーテルが迸る。その姿は、鳥の羽にも、妖精の翅にも似ていた。その羽もまた、魔法陣のような文様を浮かび上がらせる。人工的に作った羽。魔術の増幅用の魔術という、複雑な機構を扱えるのもジュヌエの特色だ。羽を伝い、「バックアップ」から流れる力を魔術へと変換する。

「浮かべ」

言葉と同じように、ふんわりと浮かびあがるジュヌエ。ドレスが風を受けたようにひらひらと靡く。

「成功か」

「感想…それだけ?もうちょっとあると思ったのだが。……回路は問題ないな。『バックアップ』も正常に来ているよ。ここまででいいだろ。魔術停止。回路遮断」

驚きもなく、淡々とセムルトが言った。ジュヌエは少しだけ不満そうにしていたが、いろいろと魔術の様子を確認している。体の動きを確かめるように、手や足を動かした後、満足したのか魔術を使うのを止め、ゆっくりと優雅に着地した。裾を整え、魔法陣から出てくるジュヌエに、セムルトはさらなる提案を述べる。

「どうだ。魔術を効率化できないか?」

「無理ね…こんな汎用性のない魔術。役には立たないぞ」

ジュヌエは嘲笑しながら彼の言葉を否定し、髪を掻き上げながら軽い足取りで階段を上る。背中の羽は消失し、光が淡い残り香を放ちながら消えていった。セムルトはそれを見届けると、魔法陣にいくつかの文字を加えていく。少しだけ文字を加えるだけで、魔術はまた別のものへと変化する。セムルトとはそれを知っているからこそ、文字を描き加えていった。

「さて、これで計画は万全のものとなる…クククッ」

セムルトは忍び笑いを浮かべながら、そっと魔法陣を後にした。誰もいない暗闇が魔法陣のある地下空間を支配する。………はずだった。しかし、この儀式場はかつて、彼らのリーダーが消失した場所。そしてまた、彼らのリーダーが帰ってくる場所であることを、2人は失念していたのだ。

光と共に、ソレは、帰って来た。不敵な笑みを浮かばせ、野望に目を輝かせながら。

「締めはこの僕がする方がよさそうだね」

 

「へぇ…そんなことがあったんだ。すごい時に来ちゃったのかな、私。あ、4っと」

籠命がのほほんとした声をあげて白梅の話に頷く。白梅と籠命、水仙に柳也の4人は同じ部屋でトランプをしながら、久方ぶりの談話を楽しんでいた。耳をゆさゆささせながら、白梅は嬉々として話を進める。

「……うん…白梅……ちょっとだけ…危なかった……5…」

「ダウトです!」

水仙の宣言に、白梅はトランプを裏返す。出されたトランプは「ダイヤの2」。もちろん、ダウトである。白梅はしょんぼりと肩を落としながら、場の札を全部回収していく。柳也はニシシと笑いながら、

「水仙はこういうの見抜くのうまいんだよなー」

「それは柳也君が一番嘘をつくのが下手だからです」

と得意気に言って、すぐさま水仙に否定された。ばつが悪そうにそっぽを向く柳也に、白梅と籠命はクスクスと笑った。

「本当に、柳也君はそれで籠命様を守れるんですか?あ、私ですね、6っと」

柳也はぼろくそに言われるも、すぐさま反論を言って、

「別に今はダメでもいつかはよくなるし、俺だって頑張ってるしそこまで強く言わなくてもいいじゃないかよー。6っと」

「…ダウト…」

「なぜバレた!?

さらに墓穴を掘っていくのであった。白梅はそんな2人の後輩?の様子を見てて微笑んでいたが、急に顔を赤らめて、少しばかり俯いた。それを見ていた籠命がスカートを捲り、おむつの中に手を突っ込む。

「……ダメ…汚い……」

「やっぱり漏らしてるー。もう、白梅はそういうの隠そうとするんだからっ!…えっと、確かここに…」

そういうと、部屋の隅に置いてあるバッグを調べ始める籠命。それに嫌な予感を感じたのか、白梅がこっそりと出ていこうとして…

「く、行かせないわ!水仙、柳也っ!」

「了解です!」「任せろ!」

逃げようとする白梅を、2人が拘束する。

「……や…やぁ……」

切ない声をあげて抵抗する白梅。しかし、がっちりと掴まれた腕を振りほどくことは、非力な彼には不可能だった。

「あ、あったあった。これが白梅の…だよね?」

見せつけるように笑顔で取り出したのは、紛れもなく白梅用に宛がわれたおむつ替えセットだった。白梅は首をイヤイヤと横に振る。その反応の度合いで、籠命は瞬時に判断して白梅に近づいた。子供2人が細い腕を絡ませ、1人のか弱い子供を拘束している姿はまるでいじめのような光景だが、白梅が逃げる以上仕方ないと割り切ることにする。

「2人とも、しっかり押さえててね」

籠命の言葉に自信を持って頷く水仙と柳也。忠実な2人の従者は優しく、気にかけながら白梅をマットの上に寝かしつけた。白梅はと言うと半ば諦めたのか、顔はうるうるとした瞳で籠命を見つめ、なんとか止めさせようとしているが、体の力は抜いていて、大人しく2人の動きにしたがっていた。

「……籠命………やぁ……」

最後は必殺の泣き落しである。籠命は「うっ」と呻いたが、それでも意を決して白梅のスカートをめくった。言葉を切られた白梅は、「びくっ」と大きく体を痙攣させた。恥ずかしさから白い体を朱に染めて、より色気づいているように見えた。籠命はまるで触れてはいけないものに触れるかのような慎重さで、白梅のおむつの横を、ビリビリと破った。

「…うわぁ……やっぱりすごく臭うわね〜」

籠命は目の前の光景に対して、幼い心のまま感想を述べる。その言葉で、白梅の朱が一気に増した。さらに水仙と柳也はまじまじと見るものだから、白梅の耳がくたーと萎れてしまう。

「早く綺麗にしなきゃいけないわねっ!」

籠命はぐっとガッツポーズを決めると、意気揚々におむつ換えを始める。けど、いざ始めるなれないことだからか、すごく不器用で、白梅の大事なところを触れるたびに、顔を赤くして、同時に白梅も「ひゃんっ」とか、「やんっ…」とか「ふあぁっ…」といった嬌声をあげてしまう。横では水仙と柳也もフォローを入れたり、横やりを入れたりしていた。

「これパウダーって言う奴かしら…」

「……う、うん……薫………よく使う…」

白梅の言葉を受けて籠命はふるふると震えた手で、それでいて意外と乱暴にパウダーを白梅に塗す。

「ひぃぁんっ…」

白梅の扇情的な喘ぎ声。聞いたものをSへと変える毒薬も、おむつ換えという未知な行為に必死で、それでいて楽しんでいる幼い少女には効かなかった。籠命は真剣な表情で、徐々に慣れるようにパウダーを塗していく。念入りに。白梅が被れたりしないように。だから白梅も、その後は必死で我慢していた。体に走る感情を。衝撃を。

「ふぅ…終わったわ」

籠命はやり遂げた清々しい表情で、目の前の、キリッとおむつを穿けた白梅を眺めている。普段の倍ぐらいの時間でおむつ換え。その間の羞恥で白梅の許容量はオーバーしたのか、真っ赤な顔のまま動かずじっとしている。薫の前ではもっと素直に喜べるのに。なんだろう。籠命の前だとすごく恥ずかしい。

「ちょっと不出来だけど、大丈夫だったかしら?」

不安そうに顔を覗く籠命に、白梅ははにかんだような笑顔を向けた。それはどんな天使の笑顔よりも美しく、そして可憐で、世界にいるどんな敵もイチコロにできる代物だ。普通の相手ならそこで誤魔化せただろうが、籠命はそんな白梅の笑顔に対して、自身のできる最大の力で、デコピンを放つ。

「…………たい……」

自分のでこに赤い跡をつけて痛んでいるところをさする白梅に、籠命は人差し指を突きつけて宣言する。

「ダメよ。そんな他人行儀な言葉で誤魔化しちゃ。私とあなたはずっと友達で、家族なんだらね!」

籠命の言葉に、白梅ははっとしながらも頷いた。今度は本当の、嬉しそうな笑顔で。

「おいー!俺も忘れんなよー!」

「わ、私も一緒ですっ!」

白梅の本当の笑顔に笑顔で返す籠命。その横から、抱きつく2人の兎達。白梅はそんなみんなの様子を眺めながら。改めて思う。

“ただいま。そして、ありがとう”

と。心の中の黒百合が、クスリと微笑んだ気がした。

 

 “社に眠る魂よ。この日、この場所に蘇る。それは、始まりの力を持つモノ。ゼロより生まれ、ゼロへと還るモノ。全ては、この日この場所へと還る。そう、陰陽師の式神たち(Familiar of magus)