瞳が映すものは常に過去の存在だ。人間の瞳の中にある網膜が光を認識し、視神経に送り、それが脳の中のシナプスで受領されることで人は外の「景色」を「認識」する。その過程は秒以下のコンマの世界ではあるが、決して「現在(いま)」ではない。刹那の中にある過去、それを認識している。そして、認識した瞬間、また映像は過去へと変化していくのだ。……時間の流れは、止められないから。

 そして、その過去の積み重ねが、「現在」を創る。意思で。運命で。偶然で。必然で。事故で。故意で。自らが経験した「モノ」、「世界」が「現在」を構成していく。絶え間ない「過去」と「現在」の追いかけっこ。その先にあるのは「未来」であろう。

続く。続いていく。終わりない。追いかけっこが。まるで、飽きを知らない子供の、鬼ごっこのように。

 

こちらの体を丸焼きにするような日射しは、今年の梅雨がもう終ることを僕らに教えてくれる。例年より雨の少なかった今年、街頭テレビに映し出されるニュースキャスターは名前も知らない専門家と共に水不足について熱い議論を交わしていた。それを聞いてるだけでこちらの暑さが、倍化した。茹だるような熱気は、アスファルトに陽炎を作り出していた。

「暑い〜。死んじゃう〜」

傍らで歩く妹――真琴は、眠そうに瞼を動かしながら、間延びした声を出した。淡い、パステルカラーの上下は、仕立てた通いメイド――音子さん曰く、「薄い色の方が光を反射するからいい」だそうだ。まあ、僕も夏服とはいえ真っ黒なスラックスが妙に熱を持っているからその意見は正しいとともう。……正直、僕も太陽に愚痴言いたい。

「ほら、帰りにアイス買ってあげるからさ。頑張ろう。な?」

「わ、アイス!?やたーっ」

現金な奴。心の端に生まれた感想はゆっくりそのまま沈めておく。そんなこと言ったら本気で真琴は泣く気がする。それも僕に言われた、それだけの理由で。

「おはよう神島。それに真琴ちゃん」

こんな日でも清々しいほど爽やかな態度を崩さないミスター(ミズ)パーフェクト――高野谷 守人がコンビニから出てきた。旧家系のご子息(ご息女)がどうしてこんなところにいるのかと数秒考えてみたが、どうせいつもの携帯食料買い漁りだろうと結論付けた。案の定、彼女の下げているカバンの横から、携帯食料の詰まった袋が下げられていた。肉体的色気は満々なのだが精神的色気が皆無な我が友人は、さらさらとした髪を風に靡かせこちらに微笑む。

外見は女性。中身(性格)は男。でも、時折女性らしさが垣間見える(というか武器にしている)この少年少女とは、小学校時代からの幼馴染だ。夏服になったせいか、余計にそのパーフェクトは胸が強調されている気がするが気にしない。気にした所でこいつに言ってはいけない。こいつは絶対「触ってみるか?」と言うに決まってる。

「どうした神島?私の胸に何かついているか?」

「イエ。ナニモゴザイマセン」

「どうして返すのが片言なんだよ。あとこれ。この前神島、僕の別荘に忘れてったろ」

神島から渡されたのは、こともあろうにうちの家族の必需品セットだった。いや、必要だし、後で忘れてどうしようか迷ったけどさ、それをこれから学校あるのに渡すか普通―!

「ああ。じゃあ、学校の部室ロッカーに入れとくから、後で取り来なよ」

僕の戸惑いを感じ取ったのか、ちょうどいい妥協点を見つけ、僕を納得させた。……最初から、それを提案すればよかったんじゃないですか?

「あ、お兄ちゃん。学校遅れちゃうよー!」

「…本当だ。神島、ちょっと急いだ方がいいぞ?」

「悠長なこと言ってる場合じゃないだろ。みんな、走れー!!」

喧騒が響く朝の東京、僕らは人ごみを縫うように、前へ向けて走り出す。

 その日、ワイシャツが汗で超気持ち悪かった。

 

 朝の陽ざしに急かされて、ようやく白梅はまどろみから復活した。ぱちくりと瞬きをして、辺りを見渡す。窓は閉じられ、エアコンが部屋の空調を完璧に管理している。おそらく音子が気をつかって点けてくれていたのだろう。もぞもぞと体を動かしてリモコンでエアコンを止めた。下腹部に重みが来る。ああ、今日もやっちゃったのだ。こっそりとパジャマのズボンから中を見やる。薄暗い視界の中でも、それが自らが出したもので汚れていることが確認できた。

「……重たい…」

下腹部にあるそれの重さは、とても自分が出したものの総量とは、ほど遠いように感じられる。しかし、現実は非常で、体を包むそれが全てを受け止めてくれたからこそ、外側から見た限りでは何の変化もないように見えるのだ。姿見に映る自分の姿。純白のパジャマは、この前薫に買ってもらったものだ。頑張ったご褒美にと、わざわざ小遣いをやりくりして買ってくれた。その気遣いが、白梅にとっての一番の贈り物。感情を表すのが苦手な自分が、この時ばかりは素直に喜び、感謝することができた。

「………………」

だからこうしてみれば、自ずと自分を見つめ直す事になる。どこまでも純白で、少女のような少年。けど、その内側は罪で汚れ、こうやって、それを隠すことしかできない。受け止めてくれているのはきっと……

(朝っぱらから考えすぎ)

自分の中のもう1人の自分。別れた陰陽の片割れ。罪を受け止めてくれた存在が、心の中で突っ込んだ。

「………黒百合…」

(もう。相変わらずネガティブねー。別に、私だってそこまで受け止めたわけじゃないのよ?……認めたくないけど、私とあなたの罪は、業は、2人で受け止めきれなかった。だから、無理してあんな事やらかして、みんなに迷惑かけちゃた訳でしょ。

 でも、それが間違いだったんだわ。2人で受け止められないなら3人、それでだめなら4人、それでもって、みんなに分けあってもらえばよかったのよ。私達には、それを快く引き受けてくれる家族がいる。仲間がいる。友達がいる。それに気づいていれば、あなたが思うような負い目を背負う必要もなかったの。けど、もう背負っちゃった。だったらさ……これから、どうやってみんなに受け止めてくれた分を返すかを考えるのが、一番建設的な思考よ。うじうじ悔やむより、よっぽど価値あることだと、私は思うけど?)

白梅を受け止めるように、黒百合は優しく諭す。白梅は今一度、鏡に映る自分を見た。自分は、人から見れば守られるべきか弱い女の子だろう(中身は男の子だけど)。けど、そんな自分には、人知を超えた力がある。それも使い方を誤れば多くの人を悲しませてしまうぐらい、強力な。そんな力を持つ自分にできること。しなければいけないこと。それを考えて、結論付ける。いままで、いっぱいの人に、自分は励まされ、助けられてきた。だったら、今度は、自分がそんな人たちを励ましたり、助けたりする番だろう。みんなのように強くはないけど、でも、自分ができる限り。

くぅ。

………どうしてこんなときにお腹って鳴るんだろう。

 締りがつかないまま、自分の様々な欲求を達成するために、まず自分がやることは……

 部屋、出よう。

 

部屋から出た白梅を待ち受けていたのは、いつも通りの日常だった。

「白梅!そやつを捕まえるのじゃ!」

右からの声に耳がピクンッと反応した。兎らしい高い跳躍は床を傷つけるからダメ。けど、右から来る気配は、このままだと間違いなく衝突コース。だから……

「………黒百合…借りるね……」

黒百合が、自分と別れている間に手に入れた力――魔術を行使する。仕様に適した術式をセレクト、さらにそれを破られないようにするプロテクトを重ね、向かってくる気配にカウンター気味に放った。

「にゃにゃ?!

空中に見事な卍の形で固められたのは、猫の耳を持つ少年だ。必死に足をジタバタさせて拘束から逃れようとするが、魔術の拘束はそんな足掻きも無に帰してしまう。白梅はそんな少年――たまの情けない姿をみつつ、ふぅと息を吐いた。青いシャツに黒いズボンという、動きやすそうな服装。その尻尾が生えたお尻の部分が少しだけ膨らんでるのは、そこが自分と同じもので包まれているからだ。

「ハァハァ…。やっと捕まえたぞ…フフフッ。たま、観念しろーっ!」

そんなたまに近づくのは、息を切らした金髪の少女だ。セーターに身を包んだ2人よりも少しばかり年上の少女は、頭から生える2つの耳――狐耳をぴくぴくと動かし、尻尾をゆらりと揺らした。悪戯そうな笑みを浮かべ、金髪の少女――いなりは拘束されているたまの尻尾を握った。びくっと痙攣し、「にゃあ…」と涙声になったたまに、

「なぜこうされるか、わかるじゃろぅ?」

といなりは問う。たまは涙声で「ご、ごめんなさい…にゃぁ…」と謝罪と開放を懇願する。しかしいなりは白梅に開放しないように目配せして、

「だめじゃ。そうやって反省したふりをするだけじゃろ?そう簡単にだまされたりはせんぞ!さあ、どんなふうに悪いことしたか懺悔してみぃ!」

と得意気にたまを弄り始める。白梅は始まった2人のやりとりを見ながら、ふぅともう一度息を吐いた。話を聞いていると、どうやらたまがいなりのお揚げ奪ったらしい。食の恨みは恐ろしいなぁとすごく他人事のように思ったが、しかし今の空腹から考えると多分、自分も本気で怒るんだろうなぁとやっぱり他人事のように思った。2人のどうしようもないやりとりを見ながら、白梅はここにいる経緯を思い出していた。幸せと呼べる「現在」を手に入れた、その長い道のりを。

 2人も含め、3人は昔ある人物に仕えていた。それはずっと昔、この国がまだ完全に国の全てを支配できていなかった時代。そのころはお互い、馴れ合いとかそんな感じではなかった気がする。いなりはあの人にべったりだったし、たまはいつもつまらなそうに外を眺めては、ときどき欠伸をしていた。自分はというと、そんな2人の間でどっちつかずな態度を保ちながら、部屋の中で書物を読む程度だった。お互いがお互いに本能的な部分で感じていた。

――ああ、こいつもきっと心に闇を抱えている。それを知ってもなお、この人についてきているんだ。

だからか、いざ仕事になるとお互いの連携は良かったと思う。……自分は、邪魔になっていた気がしないでもないけど。そんな日々がずっと続いて、まあ、これからも続くと思ってて。でも、それは、思いもがけない感じで終わって。それで……

「どうしたのじゃ?白梅、もういいぞ?」

いなりの言葉で現実に戻ると、テカテカとしたいなりの横に、既に死に亭の球がまだ空中で固まっていた。ああ、忘れてた。これ、解かないとか。白梅は術を解き、もう一度空腹を訴えるお腹を擦った。どうやら魔術と思考でさらにカロリーを消費したみたいだ。お腹の悲鳴はみんなにも聞こえるほど強大化していた。

ぐぎゅるるぅ。

「……ぷっ」

いなりが音が響いた廊下に小さな笑い声を満たす。すごい失礼な行為なのに、なぜか自分もつられて笑いだしていた。まったく、食の恨みは恐ろしい。まさか体の持ち主に恥をかかすとは。

「……にゃふ」

ちょうどその時、たまが床と同化――つまり言うと突っ伏したままダウンした。どうやら相当こたえたらしい。ズボンのところが前より膨らんでる気がする。……ああ、たまもやっちゃたんだろうなぁ。

 一先ず自分といなりでたまを引きずりつつ、音子さんのところへと向かった。

 

「今頃起床ですか。……呑気ですね」

リビングに入るなり、眼鏡をかけた元幽霊な読書少女――夕子が白梅に罵声を浴びせた。朝が弱い白梅はここ最近の騒動のせいか、寝坊することが増えたように思う。それがキッチリきっかりな夕子にはちょっとばかり許せないんだろう。わしも朝はしっかり起きる性質だから、こういう点では白梅の真逆をいくだろう。白梅は赤い瞳を大きくぱちくりさせて、

「……うん……おはよー……」

普通にあいさつする。というか、最後の部分は伸ばしたような風に聞こえた。なんかどんどんと柔らかくなってるな白梅は……これもかおるの影響じゃろうか……。わしがそんなことを考えているうちに、白梅は夕子のもとに近づく。夕子がいるのはリビングで敢えて広くとらせてある場所。それはあることをするために広々としたスペースを結いしてある場所。つまり……

「…夕子……終わったら……白梅…番…」

「ああ。かしこまりましたー」

夕子が答える前に、夕子の正面にいた女性が答える。その女性はその身をメイド服に包み、温和な笑みを浮かべている。かおるや真琴が学校に行ってる間に、わしらの面倒をみてくれるこの女性は、その名をねねという。高野谷家にいるメイドの1人で、今や家族同然といってもいい気がする存在。で、そのねねと夕子が何をしているかというと、それはやっぱり恥ずかしくて言いづらくて、ああ、なんか顔が沸騰してきたするのじゃが!?

「………一応白梅さんは、男の子ですよね?」

白梅はこくりと、まるで小動物のような可愛らしさで頷いた。……外見美少女、どっからどう見ても女子。初対面では必ず騙されるこいつのせいか、よく比べられたりもする。むむむ。白梅は髪の毛が絹みたいだからすごくポイントが高そうじゃ……て何を考えはじめておるわし!

「………なら、あんまりじろじろと見てほしくないのですけれど」

まあ、そうじゃろうな。なんせ下半身素っ裸だし。

「……うん……白梅…あっち………向いてる…」

「そうしてもらえると幸いです。あ、もちろんたまさんもですよ?」

「う、うん。……えっと、音子。白梅の後でもいいから頼むにゃ。いなりのくすぐりのせいでおもらししちゃったにゃ」

「そういう発言を女の子の前でしないでくださいっ!!!

夕子のいきなりの大声にわしら3人はびくっ!と反応してしまう。白梅に至っては兎の耳を大きく隠して、部屋隅でうずくまっているぐらいだ。わしもすごくぐわんぐわんする…

「あ、すいません…声、大きすぎたみたいですね」

獣の耳を持つわしらが同じタイミングで頷いた。人より集音する耳は、大声になるとダメージが倍になる。だから、戦闘中は自分で制御したりするのじゃが…先ほどの不意土は予想外じゃ。

「ああー。今ので腹筋を使いましたねー。おしっこ漏れちゃってますよー」

「音子さんも恥ずかしいことを言わないでくださいっ!

ねねの言葉にわしも顔を赤くした。もちろん夕子なんかは顔を真っ赤にして、それでもじっとしておる。まあ、じっとしてないといけないのじゃが。

「今終わりますからねー……はい、足上げてくださいー。ありがとうございます。次はこっちですねー。あとは、しっかり……はい。できましたー」

ねねの言葉によって、夕子はようやく自由の身になる。最後に端にどけてあったスカートをつけなおすと、白梅に終わったことを告げた。白梅は顔を洗ってきたらしく、髪の毛が少しばかりぬれていた。その姿もなんか絵になるというから、こやつはやっぱり…と思ってしまう。ああ、美しいとか妬ましいものじゃの。

「ふぅ…この体は仕方なことだとはいえ、さすがに恥ずかしいですよね。……それも、私だけベクトル違いますし」

夕子が自虐しながらわしに話しかける。下半身、股間部を包むそれをもう一度確認しながら、夕子はわしの隣に来ると、ソファに座るよう促した。ソファの目の前にあるテレビは、朝のわいどしょうの時間に移っていた。話題は最近の「とれんど」とか、芸能人(けど、芸も能もないようなやつ)の結婚がどうこうと、割かしどうでもいいことを話していた。

そんなことよりももっとやるべきことがあるじゃろうに。

「いなりさんはどういう経緯で、その、おむつをつけるようになったのですか?」

「む?わしかの?」

「はい。…私が来た頃にはもう全員おむつでしたよね?」

「うむ。懐かしいのう…ってまだ半年も経ってないがの。4月の初めぐらいじゃったか」

あんまり時間はたっていないのに、もう数年経過したような感傷が湧いてくる。それぐらい、濃密な日々だった。出会った瞬間は、どこの馬の骨ともわからんやつがまた来たと思ったぐらいじゃからの。それが今や、ここまで信頼できる間柄まで進んだものじゃ。時間を感じるのも無理あるまいて。

「月明かりの夜に、わしらとかおるが出会って、そして守人が来て、母上殿も来て、それはそれは大変なことじゃった」

「なんかすごい昔話みたいに言わないで下さいよ。で、肝心なところが抜けてますけど」

「え、ああ、そのな…」

わしは思わず言葉を濁した。いくらなんでも、その、おもらししちゃう体のことを、話すのには勇気がいる。それに、わしらのそれは、説明しずらいし。

「もったいぶらないで下さいよ。私、すごく気になるんです」

「うぐぐ…」

「恥ずかしがってないで。ほら、勇気だしてください」

「なんか投げやりじゃなっ!?本当はどうでもいいんじゃろ!?

「いえいえ。惚気以外は気になりますよー」

「惚気てなどおらんっ」

「はいはい。ほら、早く言わないとこうして…」

隣に座る夕子の手薄らと透けて、するりとスカートの下、おむつの中へと入って行った。一瞬呆然として見ていたが、次の攻撃に、わしは顔を沸騰させた。

「お、お主っ?!

「ふふっ。忘れましたか?私は元幽霊。それに、最近いなりさんとの特訓で、幽体化現象を引き出せるようになりましたー。で、これを応用すると…」

夕子の指が、私の秘所を忙しなく動く。まさぐる指はわしの性感を煽るように、痒い所に手が届かないような、焦燥感のある動きを繰り返す。口から洩れる嬌声は、出すたびに羞恥心を助長させた。

「ひゃっ、ああんっ、やめっ」

「こうやって防御を貫通して、相手にダメージを当てられるようになるんですよっと言っても、教えてくれたのはいなりさん。あなたですけれどね」

「いやっ、わ、わしは、ひんっ」

「ふふっ。声なんて上げてかわいいなぁ。私も濡れてきましたよ」

眼の端を歪め、虐めっ子特有の顔つきになった夕子は、さらにわしへの責めを加速させる。陰部をなでるだけではなく、その膣内(なか)やクリトリスを苛め、まさぐり、性感の動きに合わせて、その手を蛇のごとく這わせていく。内腿が痙攣する。体の本能のままに、わしは為す術なく身悶えてしまう。両の腕をソファに投げ出し、波のように襲っては返る情動を、貪るように味わいつくす。

「ああ。ここも大きくしちゃって。あむっ」

「ひぃぃぁっ…!」

夕子は空いている腕でシャツをめくり、勃起し、天を突く勢いの乳首にしゃぶりつく。わしはその電気のような刺激に、声を出し仰け反った。全身を痺れるように走ったそれは、後味を強烈に残し消える。そしてわしは、さらにそれを求めるように、だらんとした腕の片方で、夕子を体に押さえつける。

「もう、そんなにしたいんですかぁ?エッチなのはいけないと思いますよぉ…」

「お、お主に言われとうっ、あうぅっ!」

い、いきなり乳首を噛まないでよぉ…なにするのじゃぁ…っ!

「このポーズも疲れてきました。やっぱり襲うならこのポーズでないと」

押さえつける腕が緩んだ隙に、夕子はわしの隣から正面へと体を移す。馬乗りになるような強姦体勢。

「私、憧れたんですよこのポーズ…さんざん他人にはされましたし」

夕子は幽霊になる前に、壮絶な日々を送っていた。社会的な暗部のようなところで、一度その生を散らした夕子は、今こうして、笑っている。

「や、優しく…してほしいのじゃぁ…」

「駄目ですよ…強姦は、相手のことなんて、考えませんから」

言い終わると同時に、夕子が自らの唇でわしの唇を塞いだ。目を見らいて夕子を見ると、夕子の腕は突き放そうとするわしの腕をがっちりとホールドし、もう片方の手で秘書の奥底へと指を突っ込んだ。

「んっんんっむん〜っ!」

抵抗しようにも舌を絡めつかせ、酸素を奪われては、そのための力はいっきに奪われていった。酸欠で意識が遠のく。しかし、指によって与えられる快感、嫌悪感、羞恥心、そして衝動のような電撃は、わしの意識を簡単には奪ってくれない。

「ぷはぁ」

「…んぁ…」

ようやく唇が離され、糸を引く唾液が服の上、さらに柔肌へと落ちる。煌めくその液体は、わしの体に一筋の川を作っていた。愛撫し、蹂躙し、凌辱し、侵略する。わしの体は蕩けるような液体に浸されたようになり、ふんわりとした高揚感が身を包む。全身すべてが鋭敏に刺激をとらえ、それを快感へと変換させていく。あと一歩、その一歩さえあれば天国へいける。そんなところまで上り詰めて……

 その指は、急にわしから離された。

あとちょっと。もうちょっと。もう、我慢できない。キモチよくさせて。わしを、満たさせて。どうして。やってくれないのじゃ?わしは、わしは…もう、我慢が、でき、な…

「瞳がずいぶんとトロンとしてますね。すごいエロいですよ。さすがはいなりさん」

「ゆ、夕子ぉ…わしは…」

「気持ち良く、なりたいんでしょ?」

「わしは…」

「なら、ちゃんと終わったら、話してくださいよ?私も、今すごくイきたくて必死になんですからっ」

わしの肌の上、汗の滴が零れ落ちた。舌を出し、獣のように、物欲しそうに腰を動かすのは、本能のせいだろうか。それとも……

「うん…約束、するのじゃぁ…全部、話す、話すからぁ…」

恥ずかしいはずなのに。こんなこと、高潔なわしはしないはずなのに。それでも、やっぱり獣で、本心では欲しいから、その言葉を口にした。

「わしを、イかせて、欲しいのじゃぁ…」

「ええ、喜んで。一緒に…」

最後の一歩は、2人で同時に踏んだ。

「あたまが、ダメに、なっちゃうのじゃぁぁぁぁ……っ」

「ふぁぁぁっ」

イく。2人同時に、オーガズムに達する。体を痙攣させ、メスとしての喜びを分かち合う。と同時に、おむつの中に液体が放たれた。絶頂したせいか、頭の箍が外れたのか。おむつを満たす液体は温かくて、すぐにお尻まで回りこんでおむつを重くさせていく。小川のせせらぎのように、それでいて勢いのある水流が体のいろんな所を撫でて、おむつの中に満たされていった。

「……公開……レズ…」

絶頂でぼんやりした頭に冷や水をぶっかけるように、白梅の声が真上から響いた。

「いやはや。さすがに私でも対処するのは困りますね−」

これからたまのおむつ替えをしようとしているねねが、ちょっと困惑した口調で言った。わしは一気に顔を熱くさせ、その場で動けなくなる。やばい。すごくやばい。もうお嫁に行けない。というか、なにしでかしてんじゃわしっ!

「うにゃー。おむつが重いにゃー」

たまだけがわしらに触れず、自分のおむつが重くなってるのを面白そうに楽しんでいた。

 

 チャイムの長い余韻をかき消すように、幼い、活き活きした声が教室を満たす。時間はお昼。子供たちは白いエプロンを体に巻き、マスクと頭巾を身に着け、早い生徒はもう教室を飛び出し、給食室へと向かう。

「給食っ♪給食っ♪」

妙な音程をとる少女は、心待ちにしていたのか、緩んだ顔を浮かべ、今日の給食の内容を夢想する。短く切りそろえた髪は男の子と誤解しそうであるが、彼女もれっきとした女の子だ。

「あきらんテンション高すぎー」

小躍りまで滑らかに行こうとしたところで急に自分の意識に戻り、恥ずかしそうに俯く少女――晶はいそいそと机をくっつけ始める。

「だって、昨日のポテチは弟に食われちゃったし…」

「あ、もしかしてのり塩?」

「そう!正樹のやつあたしのオイケヤポテトチップスのり塩勝手に食べちゃうのっ!ママは言っても聞かないし、むしろ夕食とかも全部正樹優先だし、やんなっちゃうよっ」

「で、そのストレスを食事に充てるわけか。……晶かわいーっ!私の妹になりなさ―いっ!」

晶に抱きつく少女――セリアは、クラスにおける彼女の一番の親友だ。クラスでも頭1つ抜き出た身長と、普段の落ち着いた雰囲気。そして男にも負けない力節と、親しくなった後のギャップに定評がある。あと、何かにつけて晶を撫で回すほどの溺愛っぷりだ。

「もう、今日は暑いんだからあんまりくっつくのはやめてよっ」

「離れなさいよこのレズ外人がぁぁぁぁぁっっっ!!!

困惑気味の晶の様子を聞きつけたのか、隣のクラスからベランダを伝ってやさぐれ風少女――友紀が乱入してくる。相も変わらずパンク調の、英語が叫ぶように書かれたシャツを着た友紀はセリアの首をロックし、晶から引きはがす。晶にとって無二の親友である友紀は、その実嫉妬深いような気質がある。きっと自分と仲良くしているセリアの様子が気になったのだろう。セリアに対しいくつも関節技を決め始める。

「あ、だめだって友紀。このままだと…」

「ふっふー。このわたくしを誰だと思ってるのよ?」

「うっさいだまれレズ外人っ!」

「えいっ」

「え?あ、あうわーっっ!!??

ドシンという音とともに、友紀の体は床にたたきつけられた。喧騒は一気にかき消され、そこにはスカートをめくらされ、パンツが丸見えになった友紀が仰向けに倒れているというシュールな光景が存在していた。

「………パンダ?」

ちょうど、一番最初に給食室に行った係りが戻ってきて、開口一番に感想を述べた。ようやく思考が回復した友紀は立ち上がり、無言のまま、顔を真っ赤にしてベランダをとおり自分のクラスへと戻る。対するセリアは得意げに胸を張り、

「わたくし、銭湯部所属よ?舐めないでほしいわ」

と高らかに勝鬨を上げる。対する晶ははぁ…と一息ついて、友紀のクラスのほうを見やった。

後で埋め合わせしないとだなぁ。きっと。友紀はこういうのすっごく根に持つからなぁ。

もう一度息を吐くと、今度はクラスの別の子が、

「晶―っ。お客さんーっ。いつもの子―っ」

と大声で呼びかける。晶はその声に呼ばれ、振り向いた。教室の入り口、そこに自分たちより一回りぐらい小さい少女がいる。右手には少し膨らんだ大き目の巾着袋。漆黒の髪は日本人形のようで、和服でも着ていればそのまま世界ロリータ選手権でも日本代表をかっさらうだろう。そんなものはないと思うけど。

少女は、物怖じしているのかビクビクと震えていたが、晶の姿を見つけるとぱぁと明るい笑顔に変わった。安心したのか、少しばかり弛緩したかのような表情。その表情が今度は、赤く染まる。足をもじもじと動かし、今度は落ち着かない様子だ。晶はその少女――真琴に近づき、耳元で囁く。

「耳、出ちゃってるよ」

「ふえっ!?

途端に頭を押さえて、きょろきょろと辺りを見回し始める真琴。その手の中で、三角形になった猫の耳が動き回り、お尻からは猫のものに似た尻尾が生えてきて、忙しなく、それでいてゆらりとした動きで動いた。晶は苦笑しながら、もう一度真琴に囁く。

「余計その方が目立っちゃってる。……トイレ、行こうか?」

こくり。真琴は肯定の意を表す頷きをし、そっと晶に手を伸ばした。晶はその手を受け取り、柔らかな笑顔を向け、真琴を引っ張った。真琴はつられて歩き出す。少しばかり前のめりになり、一瞬だけスカートの中身が露わになった。しかし、それを見て、指摘する者はいない。彼女の名札の裏に仕込まれた、いなり謹製の認識阻害の札の効果だった。彼女と親しくないと、その真実には気付かない。

「ちゃんと、持ってきてる?」

「うんっ」

上ずった声を上げ、右手に持つ巾着袋を掲げた。中からビニールの擦れるような、カサとした音が漏れる。その瞬間、真琴の顔が一気に燃え上がった。

「わ、わかったよ…」

言い方間違えたかなぁという不安を抱えつつ、2人は近くの女子トイレではなく、少し離れた、人気のないトイレへと足を運んだ。

 

 小学校舎の奥にある、別名「入らず」のトイレ。私は昌さんに連れられて、このトイレまで来る。桜ケ丘学園。今の私のいるとこ。東京の副都心に位置するこの学校は、小中高大に加え、専門学校や研究機関が入ったマンモス学校。だからトイレなんかはすごく充実していて、障害者対応設備とか至れり尽くせり……というのも変な話だけど。で、どうしてここが「入らず」のトイレかというと、

「さすがにここまで来ると、静かだね…」

昌さんがぽつりと感想を漏らした。辺りは全て空き教室であり、なおかつ木造の、ギシィとした音が響くぐらい古い。机やイスは少数しか残っていなくて、どの教室も生徒がいるような様子もなかった。

「ここ、やっぱり怖いよぉ」

私の感想も、教室の中で反響する。それが変に不気味で、思わず頭から猫の耳が出てきた。ううっ、怖いよぉ。もう一度心の中でつぶやく。ここ、「入らず」のトイレがあるのは小学校舎別館、旧校舎の3階。昭和初期に作られたこの校舎は、歴史的経緯から今も学校内に残っていた。私は知らないけど、その辺は先生が少しばかり教えてくれたし、夕子ちゃんが、もっと詳しく教えてくれた。ただ、一応耐震用の工事を入れたりしていて、小学生の個別の勉強スペースや部活スペースとして、開放しているらしい。

「あ、着いたよ」

そして、「入らず」のトイレ。ここのトイレは、そんな子供たちのために開放されているんだけど、昔の設備のままなせいか敬遠され、いつの間にか誰も入らない「入らず」のトイレと呼ばれていた。一応、学校の7不思議にノミネートされたらしいけど、選外にされたらしい。内容は、やっぱりトイレの花子さんだった。みんな、考えることは同じみたい。

「うん…」

私と昌さんがトイレに踏み込む。タイルの床が敷き詰められ、案外清潔そうに見えた。トイレは全部和式で、それも石膏もピカピカに磨かれている。まあ、使う人がいないから、汚れずに済むんだけど。

「はい。ここね」

そして、そんなトイレだが、1つだけ普通のトイレと違うところがある。

「うん…よっこいしょ」

靴を脱ぎ、そこへ上がる。カーペットの感触が靴下越しに届き、ちょっとくすぐったい。歩くたびにかさるおむつは、もう冷たくなってしまっている。変な声を上げないように、口を強く結んだ。

トイレの一番奥、カーテンの敷かれた先には、なぜが1段あがれるところがあって、そこには小さなベッドが置かれていた。こちらも真っ白な…目がくらむぐらい真っ白なシーツが掛けてある。みんなが言うには、「花子さんのベッド」。でも、夕子ちゃんが言うには、

――それ、行為台ですよ。戦後しばらくは私みたいな人の生き残りがいたみたいで、放課後そこで「輪姦パーティ」とかしていたとか。だから、あそこはいつもそういう人しか行かない、「入らず」のトイレなんです。

だって。

「じゃあ、袋から、出すよ?」

妙に緊張した口調で、昌さんは私の持つ巾着袋から、紙オムツを取り出した。私はベッドに横になり、ちょっと呆けた感じで、昌さんを見やる。白い、テープ止めのおむつ。私のお股を包むそれと同じで、今は少し違うもの。

「じゃ、めくるよー……今日もいっぱい出てるねぇ」

昌さんの感想に、思わず顔が熱くなる。耳がにょきんと飛び出し、尻尾が狭いお尻の中から這い出てきた。

「そ、そんなこと、言わないでください…」

私は、自分がした行為の恥ずかしさに、耳まで真っ赤にしてしまう。猫の耳と人間の耳。その両方が忙しなく動いた。恥ずかしさからついには目を背け、ギュッとつぶった。

「ごめんごめん」

昌さんは手早くテープを外し、おむつを開いていく。ぶるるっ。外気に触れた肌が、突然の変化に身震いした。自分のあそこがどうなっているかなんて、あんまり知りたくはないし、ましてやお漏らしした後は聞きたくもない。だから、昌さんは一言、「じゃあ、おむつを替えるから、腰を浮かすよ」とだけ、告げる。私はなすがままに腰を浮かされて、その間におむつが抜き取られた。お尻に直接触れる、シーツの布。体が今一度身震いする。

ああっ、もうすぐ、来そうっ。

「昌さん…その、おしっこ…」

あ、でちゃうよっ。早くっ。

「うん。じゃあ、いまのおむつ、ここに置くね」

汚れたおむつが今一度、お尻の前に置かれた。中は見えないけど、きっと黄色く染まっているんだろう。ああっ。もう、ダメぇっ。

ぴゅっ。しよろろろろろろろ……びちゃびちゃ。

水音と、水が何かとぶつかって反射する音。言うことのきかない体は、おしっこを出してしまい、少しずつシーツを汚していく。おむつに大体は吸い込まれていくが、飛び散ったおしっこが黄色い染みをシーツに描いた。

「お、終わったかな?」

「は、はい………」

おしっこを出し終えて、軽く息を吐いた。顔の赤みが抜けない。すごく恥ずかしくて、このまま帰りたい、そんな気分。でも、昌ちゃんはそんな私のことを受け止めてくれて、

「はい。じゃあ、拭き拭きしましょうね」

と、やさしく拭いてくれる。赤ちゃん用のおしりふきシートも、その巾着袋の中に入っていた。ひやっとした感触に、思わず「ひぃあぅ」とか、「ひゃぅんっ」とか変な声をあげてしまって、もっと恥ずかしくなる。拳を握る。恥ずかしさに耐えるために、必死で拳を握った。そして、パウダーを塗されて、新しいおむつをつけてもらう。やさしくも、慣れた手つき。白梅ちゃんのおむつも換えたことがあるって、前に本人の口から聞いた。弟もいるらしいし、とても慣れた、安心のできる手つきだった。

「はい。お終い」

その言葉を聞いても、動く気になれなかった。なんか、頭が遠い気がする。新しいおむつの、あったかくなる感じ。それが体を包んで、マシュマロみたいに変化させていく。トロンとしたまどろみの中に意識が沈むのを、昌さんの言葉が遮った。

「ほら、給食、行かなきゃ」

「……はぁい」

ちょっとばっかり不満だったけど、素直に従って「入らず」のトイレを後にする。汚れたおむつは、においが出ないようにビニール袋に包み、そこのゴミ箱に捨てる。……ゴミ箱には、先客がいたようだ。別のビニール袋が、確認できた。

「真琴と同じ、おむつの子がいるんだぁ」

なんか感心したような、安心したような、変な感想。自分のおむつを触ってみる。……大丈夫、汚れてないし、みんなにもばれていない。そう自分に言い聞かして、私たちは教室へと戻った。

 

 少し前の時間。月がまだ、天を支配するころ。東京西部、八王子のとある山中。山に生い茂る森の中にある、あらかじめ切り開かれた場所に、その身を合わせ、沈めていく物体があった。周辺には幾人もの人影があり、静かに、その様子を見守る。そしてお腹に響くような地鳴りと共に、それは、この地へと降り立った。城だ。それも、西洋の。中世の時代から続く荘厳さを感じさせ、周りの森と溶け込み、まるではじめから存在するかのように、その城は佇んでいた。

「……終わったよ。今、異常はないか確認する」

その古城の中で一際高い塔、そのバルコニーにいた少年は左の手を空へと掲げた。正方形の図形が展開し、それが2つ、重なり合うように回り始める。見た感じは立方体と正方形の中間といったところか。線だけが浮き彫りとなり、空に漂う形だ。それは異なる色によって輝き、それぞれが己の存在を主張する。自然に存在しない、パステルカラーの光り。よく見ると、それは、複数の言語が折り重なってできているものだった。

「ふあぁぁ……ユイーシュ。あたいは先に寝るよ。明日からまた、番人の仕事あるしねー」

右隣にいた少女は、大きな欠伸をして、ツインテールに結わえてある髪を解きながら城の中へと戻る。入れ替わりに出てきたのは、初老の男性だ。紳士然とした男性は下の様子を俯瞰し、次に隣の少年を窺う。少年は男性のことなど気付いていないようで、集中した様子でいくつも言葉を重ねていく。それに合わせて、光が混じり加わり、より輝きを増していった。

「………見事なものだな。私はあまりこういう分野は得意ではないから、その大変さがよくわかる。術式の、重ねがけか」

「うん。こういうのは僕の独壇場だよ」

独り言に、言葉が帰って来た。初老の男性――シータは少年を驚いた表情で見る。少年は得意げな顔で魔術をどんどんと重ねがけしていく。光は混じり、どんどんとある色へと近づいて行く。それは、光の原色の頂点に立つ、白色。あと少しでその色に達するという所で光が、急に遊離した。花火のように四方へと飛んでいくそれは、城の壁という壁に落ち、弾けていく。

「これで、調査と防護、隠匿の魔術を掛けたよ。多重にかけてあるから、そう簡単には見つからないと思うし、認識阻害の術もかかっているから、そう簡単には気付かないんじゃないかな?」

魔術師の少年――ユイーシュは掲げていた手を引いて、振り返りシータの瞳を見つめる。得意気な顔のまま、彼は、

「この国は暑いね。本が湿気で傷みそうだよ」

と愚痴をこぼした。シータはどういう風に返そうか思案して、数秒考えた後、こう返した。

「ならば、書斎にはエアコンをつけます」

「おいおい。科学の利器に頼るなんて魔術師の恥だよ?」

即座の突っ込みに。シータは対応できない。自分も年かな…と感じ始めるシータであったが、よくよく考えれば、目の前の人物の方が、遙かに自分より年上だ。なんせ、中世時代から生きる「妖怪」なのだから。

「ねぇ?ジュヌエとセムルトは?さっきの魔術にも引っかからなかったし、どこかにいっているのかい?」

ユイーシュの言葉にシータはわからないと首を横に振る。いつもは外に出るなんてことをしたがらないユイーシュと同じぐらい、セムルトもジュヌエも、必要以上に外に出ないはずだ。それが2人一緒にいなくなっているということは、可能性は1つだろう。

「推測ですが、2人は先行しているはずのスコットハルトの姉妹と、カルナを探しに行ったのではありませんか?先行部隊の選定はジュヌエが担当しましたし、カルナの追従を許可したのはセムルトです。これからの大事に戦力の低下は避けたいから、彼らを回収しに行ったのでしょう」

「だといいけど」

ユイーシュの含みのある言い方に、シータは引っかかりを覚えた。自分はうまく一般解を出したつもりでいたが、違ったのだろうか。

「まあ、彼女たちも僕らと同じ『6賢人』だ。そう易々とやられたりはしないし、その立場も弁えてると思うよ。心配症はセムルトに預けるとして、僕らは僕らの仕事をしようか。………懐かしい顔もいるみたいだし」

ユイーシュの言葉が終わると同時に、廊下の横、切れている壁から1人の青年が現れた。紅の髪に金の瞳。整った顔立ちは、多くの人々を魅了し、すらっとした体のラインは、一瞬だけ女性と見間違うような、妙な色気に満ち溢れていた。そんな青年はにこやかにこちらに近づくと、2人の目の前に立ち止まり、

「ただいま」

と挨拶した。ユイーシュは青年を呆れたかのように蔑んだ瞳で見やり、そして、シータは、

「あ……あ……ああっ…」

言葉を失い、顎が口から完全に外れていた。ユイーシュはそんなシータの様子にため息をついて、もうちょっとイレギュラーに対応できないとだめだよな、と心の中で評価して、

「おかえりなさい…と言っとくよ。我らが盟主」

と、目の前にいる青年――アンザスに礼をした。

 

 朝焼けを背に3つの人影が動く。1つは大柄な男性のもの。その男性は落ち着きを払って歩みを進める。音も立てないように歩く姿は、彼の用心深さを表しているようだった。

「では、私はカルナを見つけに行こう」

「頼む。……ああ見えても6賢人の1人だ。役に立ってもらわねば」

もう1つの影は、横に大きく広がったスカートを揺らしながら応える。妙に古風なドレスを着た少女のような女性は、尊大な態度で男性に指示した。片目に傷を作った男性――セムルトは深く頷きながら、忠告する。

「了解した。そちらもしくじるなよ。……この作戦は重要だ。失敗は許されないぞ」

「私を誰だと思っている?……ホルムデリオン学派代表。ジュヌエ=V=ホルムデリオン。3大学派、その長の1人である私に対しての言葉ではないだろう。それが私の絶対評価だ」

ドレスの少女――ジュヌエはその胸に手を当て、誇るように振る舞う。セムルトは小さく息を吐くと、朝焼けの影から消える。残った影の内、ジュヌエは隣の少年の影に声をかける。

「お前も行け、“ハーメルンの笛吹き”。私はあの3姉妹を捕縛する。とりあえず情報だけは『取り出さなければ』。それ以外はどうなってろうと……な」

「任務了解。では、僕は行くよ。――善き響きを」

帽子をかぶった少年――“ハーメルンの笛吹き”は、流れるように塀に登り、そのまま屋根伝いに遠くへ消えていく。それをジュヌエは見届けると、両の袖から小瓶を取り出した。中に入っているのは、どこにでもありそうな、黄色い砂の集まりだ。コルクの蓋の中に入ったそれは、昔どこかで売っていた土産物のようだった。それを空に掲げ、中身を確認するように数回振る。砂の中には何も入ってはいない。揺らしても黄色い粒が、さらさらと揺れるだけの砂。

「ふむ。この国は少しばかり蒸し暑いな。………しっかりと起動すればよいが」

蓋を開け、ジュヌエは空に砂を放る。朝風に流れた砂は、本来なら地面に落ちるか風に乗り消え去るはずだった。しかし、ジュヌエの放った砂は違う。彼女の口が素早く動くと、砂は綺麗に鳥の像を形どり、鳴き声をあげて羽ばたいた。空に舞った2つの砂鳥は、朝焼けの街に消えていく。最後に残ったジュヌエは、悠然と住宅街を歩きだした。

「さて、見つけさしてもらおうかオリジン、そして『魔法使い第6番(コードシックス):リリー=ラビット』」

 

それが、物語の胎動であった。