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―――それは遠い日の記憶。
僕らは夜中こっそり抜け出す。日常に退屈してしまって、いつもと違うスリルを味わいたくて、危険だと言われていたことを、僕達はやっている。
――そうだ。お山の上まで行こう。
最初に言い出したのは僕だった。いつも通りついて行くと言って真琴も加わる。やがて5人ほどのパーティになった僕らは、お泊り会と称して集合し、夜中に家を抜け出した。
僕らを迎える星たち。それだけで心が躍る。意気揚々と山道を登る。深い森は子供心に怖さを誘った。それでも、皆で居れば怖くなかった。
――問題は、祠に着く少し前で起きた。
一番年下の真琴が疲れてぐずったのだ。僕はそれを気に掛けつつ登る。少しして、真琴は皆と少し離れてしまった。僕は皆に先に行くよう言って、真琴の元に行く。真琴は小さな体を振り絞って、懸命に登っている。ただ足取りがふらふらなのが不安だった。
「大丈夫か?真琴」
「お兄ちゃん〜負ぶって〜」
僕の気遣いに、真琴は甘えた声で返す。僕はそのおねだりを受け入れず、厳しく言った。
「だめだ。僕だって疲れてるんだから。皆も真琴が遅いから、先に行っちゃったよ」
「だって〜疲れちゃったんだも〜ん!」
真琴はその場にしゃがみ込む。
「疲れちゃったからもう動けないの〜だから負ぶってよ〜」
僕は頭を抱える。実際、僕もそれなりに疲れていた。夜中だから余計神経を使っていたからだろう。僕も2回ほど足を滑らせそうになった。
「ブーブー!お兄ちゃんは、ママやパパみたいに真琴を一人にしても平気なんだー!」
心に棘が刺さる。父さんと母さんは忙しくて、世話を僕に一任していた。それが、真琴を余計に淋しくさせた。いつも僕と2人だけの夕食。今回はおばあちゃんの家で、皆も居るから笑っていたけど、普段はあまり笑わなかった。そして、2週間に1回はこの言葉を言う。
「どうして?どうして真琴のお家は、みんなでご飯を食べないの?」
分かっていたから、辛かった。僕は父さんも母さんも小さい頃から一緒にいたから、淋しく感じなかった。親子と兄弟では天と地ほどの差がある。やはり小さい子、特に真琴ぐらいの子供が、親と接して過ごせないのは辛いことなのだ。
「…仕方ないなあ。もう」
僕はしゃがんで、真琴に背を差し出す。真琴は自然に僕の肩に手を置く。僕は後ろ手で真琴を支え、立ち上がる。典型的な「おんぶ」。そのままゆっくり、山を登る。皆はずいぶん先に行ったようだ。歩けど歩けど追いつけない。
――僕は自然に口ずさむ。いつも真琴に歌っていた曲を。
「あっ!いつものお歌だ!」
真琴はすぐに気づいて僕に合わせて歌い始める。この歌は僕と真琴しか知らない歌。然る有名な童謡の替え歌だ。歌っているとき、真琴が声を上げる。
「流れ星!」
僕が見たときにはそれは流れていってしまっていた。僕は少し残念がりながら真琴に聞く。
「見たかったなぁ。真琴は何をお願いしたの?」
真琴は少し顔を赤くし、ただ一言「内緒!」と答えた。ただ、その顔はなかなか見られない満面の笑顔。僕はそれを見れるだけで満足する。僕も笑顔で真琴に言った
「じゃあ、今度また流れ星が見つかったらこうお願いしてくれ」
――もう少し、この2人の時間が続きますように。
「わかった」
真琴は大きく頷いてくれる。僕はまたあの替え歌を歌う。今この光景を見ているのは星たちだけだ。なら、せめて邪魔しないで欲しい。こうして、真琴の笑顔を見れる数少ないチャンスなんだから。
結局、真琴は山頂に着いたときにはぐっすり眠っていて、帰ったらおばあちゃんに凄く怒られた。でも、悪くなかった。だってそうだろう?
あの真琴の満面の笑みが見れるだけで、兄としては最高の星からの贈り物だ。
――それは、本当に遠い記憶だろう。まともなカラーがついていないのだから。所々セピア色。これが昔の記憶でなく何と言う。だからこそ。仕方がない。あのとき、一緒に山を登ったみんなの顔が、誰一人として思い出せなくても。

2度目の総会は朝食後に開かれた。いなりに他の皆と真琴を頼んで、僕は総会に出席する。
「じゃあかしい!もう御子は決まっとんのじゃから、さっさと日程を決めんかぁ!」
「そげんかことより!誰が今回御付きやるかを決めん限り、どうしようもなーがな!」
いい年した爺さんが言い争いをしている。やがてその矛先が僕に向かう。
「名前だけの代理がよぉ…お前の母ちゃんはどうした!」
「宗家の癖に今更仕来りに尻込みかぁ!」
母さんは今、誰にも会いたくないと部屋に閉じこもっている。僕は、必死にその場をやりくりする。それでいて、その中から隙を見つけようと努力して。僕は、うまくして真琴を連れて逃亡しようと思った。が、それは阻止された。すでに屋敷の門には仕来り重視派、別名保守派の連中が網を張っていた。あれでは行ったところで捕まるし、下手をすると面会謝絶になる。下手に動けないのが歯痒い。
「では、…ということでよいですか?」
日程が決まり、お開きになる。僕は、まず母さんのところに報告に行き、それからいなりたちのところに行く。
開けた先にはカオスな空気が広がっていた。
最初にトランプをしていたのか、トランプが散らかったままだ。それからどういう風に至ったのか知らぬが、全員が完全に暴走していた。
いなりが一升瓶を片手に破顔一笑していた。明らかなアルコール臭。目が据わっているところが余計怖い。そして何より、隠そうとしない耳と尻尾。ご丁寧に9本ある。顔は紅潮して、耳はぴくぴく、尻尾はゆーらん。その目が目ざとく僕を見つける。
「なんじゃ?終わったのかかおる〜」
這うように近づくいなり。おむつが見られても気にしていない。
「おい!何で酒なんて飲んでるのさ!」
僕の問い詰めをゆらりとかわし、
「ん〜?のどが渇いて、白梅と一緒にこっそり台所に侵入したらの、床下の収納庫に入っとるのを白梅が見つけおったのじゃ。…飲むか?」
「いいです!未成年は飲めませんから!それに外見未成年のいなりが飲んじゃだめだろ!」
「なら、こうすればいいんじゃろ?」
いなりが服を脱ぎ、素っ裸になると同時に呪文。光に包まれる。中からいなり(推定19歳)が出てきた。反則なほどのモデル体型。大きい胸と妖艶なヒップ。細いウエスト。僕の顔が真っ赤になり、それを隠すため背ける。その様子を面白そうに眺めるいなり。尻尾の揺れが少し早くなった。
「なんじゃ?顔真っ赤にしおって…初心よの〜」
正直言って、刺激強すぎです。顔を背けていると、袖を引っ張られた。そのほうを見ると白梅が袖を引っ張り無言で立っている。俯いていて、顔が良く見えない。僕はしゃがみこみ、顔を覗く。
「どうしたの?白梅」
白梅は顔を僕に向けた。少し朱の差した顔。その口が開きかけ…
その前に夕子に押し倒される。
夕子は僕に上に馬乗りになり、じっと顔を見つめる。向かい合う顔と顔。吐息のかかる距離。おむつが僕のおなかに当たる。グチュリと変な音が出る。どうやらいっぱいやってしまったようだ。後で換えなければ。そんなこと思っていると、さらに夕子は近づいてきていた。
「神島君…私…」
夕子の言葉がスロー再生で耳に届く。そう聞こえるのは鼓動が早すぎるからだろう。まったくもって身動きができない。体が床に固定されたみたいだ。そのまま夕子の顔が近づき、
「ダメーーーーーーーー!!!」
その顔が左に消えていく。夕子の消えたほうからゴロゴロドーンという音がした。僕はやっと体を起こす。右にいるのは真琴。真琴は息を荒げながら、僕を見る。その顔は真っ赤になっていた。左に目をやる。その先にはうつ伏せになって襖に体をぶつけている夕子が居た。まだ、ぴくぴくと動いている。
「真琴?どうしたの?」
僕は、あのとき間抜けなことを言ってしまったと後悔することになる。
「お兄ちゃん!お兄ちゃんはいつもこの人たちと一緒にいるの?教えてよ!」
妹に詰め寄られる兄の構図。
「あ、ああ…」
ここではそれが精一杯だった。真琴はその回答を聞くなり少し淋しそうな顔をしたあと、いきなり僕に体を摺り寄せてくる。
「お、おい!真琴!」
僕は戸惑いで判断がうまくできない。真琴は小さな声でつぶやく。
「あげないもん…お兄ちゃんは真琴のお兄ちゃんなんだから…絶対に誰にもあげないもん…」
開いたスペースに同じように白梅が体を寄せる。真琴が明らかな敵意を持って白梅を見た。白梅も負けじと応戦しているが、あまり普段と変化がない。
「2人とも!いいかげんにしてよ〜」
まったく動けない僕。白梅の耳がくすぐったい。しょうがないのであたりを見渡すと、隅っこのほうで僕らを見るたまの姿があった。たまは普段は見せないような真剣な表情で僕らを、真琴を見ていた。僕は何とか、2人を引き剥がしてたまの元に向かう。
「どうしたの?たま」
僕の問いかけに、答えてない。同じように名前を呼ぶ。
「たま?どうしたの?反応してよ。たま?」
たまはやっとこちらに顔を向ける。そして、いつものちょっと抜けた笑顔になり、
「にゃんにゃ?薫」
と今までのことを感じさせない語調で答える。僕は少し気になったが、無視した。
「ずっとこっち見てたからさ。何かなーと思って」
「んにゃー薫はモテモテにゃと思っていたのにゃ!」
僕は恥ずかしくなり、一度外の空気を吸おうと、部屋を出る。
「待ってお兄ちゃん!真琴も行く!」
「…白梅…行きたい…」
両手に花?状態で廊下を歩く。片方は何も喋らないがずっと僕の手を握り、もう片方は久しぶりに会った兄に、近況報告をしている。玄関に寄り子供用サンダル2足と、大人用サンダルを1足持って、中庭に向かう。中庭は日本庭園になっていて、小さな滝や川、池もついている本格的なものだ。3人でその中を歩く。少し歩いたところで、真琴が立ち止まる。
「わーお魚さんがいっぱいいるー」
何匹もの鯉が優雅に池を泳いでいる。白梅はしゃがみこんでじーっと眺めていた。
「やあ。薫君」
同じように歩いていたのか、歩いてきたほうから逆のほうから和人さんがやってきた。サンダルでなく普通のスニーカーを履き、片手には文庫本。
「こんにちは。和人さん、って言ってもさっきの『総会』で会ってますけどね」
和人さんは仕来り非重視派、通称改革派の当主だ。何もできない僕をサポートしながら、保守派の当主と舌戦を繰り広げていた。和人さんは真琴を見て、少し懐かしそうな表情をした後、僕に耳打ちする。
「君のお母様、神島 朱乃さんから伝言を預かってきました。おそらく、君たちを逃がす手筈が整ったんだと思います。誰にも気づかれないように、君が連れてきた子達と真琴ちゃんを連れて、君のお母様の元に行って下さい。荷物のほうは心配しないで下さい。後で、回収して君の家に郵送しますから」
僕は驚いて声を上げそうになる。それを和人さんに止められた。僕は静かに頷き、池を眺める2人を連れ、一旦部屋に戻る。酒乱だったいなりと夕子をしゃきっとさせ、真琴に聞こえないように現状を説明する。4人は真剣な表情になり、僕の話を聞いてくれる。それから、和人さんの母さんからの伝言を伝えた。
「財布と必要な荷物以外はここに置いとく。いいね」
4人はすぐさまリュックを背負い、僕は財布と最低限の着替えを小バックに入れ、真琴にも同じことをするように指示した。その間に、1度全員のおむつをチェックする。全員がびっしょり濡れていて、それを手早く交換する。真琴は10分後、小さなナップサックを背負いやってきた。僕らは周りに人がいないかを確認し、こっそり部屋を出て母さんがいる部屋へ。
「止まって!」
母さんの部屋のすぐ近くの曲がり角で止まる。ちょうど母さんの部屋から保守派の当主が出てきたところだった。彼らは僕らとは反対側の廊下を歩いていく。それが角を曲がり見えなくなったと同時に音を立てないよう小走りで母さんの部屋の隣にある空き部屋に入る。母さんの部屋とは襖で分かれている部屋だ。そこからこっそり、母さんの部屋を覗く。中には、母さんと保守派の筆頭、米山 紀伊左衛門がいた。母さんは俯き気味で、畳に正座で座っている。米山は胡坐を掻きながら敬語で、しかしながら敬う気などない口調で独演会をしている。
「朱乃さん!そろそろ行きますけど、いい加減部屋から出てきてください!いくら自分の子供が『送り身』の『御子』になるからって、宗家だって仕来りに縛られるんです!いやむしろ、宗家が仕来りに従う姿を見せ、それを他の当主の手本とさせなければなりません!それが宗家の務めですよ!そうだそれが、当主全員が望むことですよ!宗家なのですから、しっかりとして下さい!」
嘘八百もいいところだ。とても聞いてられない。母さんはずっとこんな攻撃を受けていたのだろうか?僕だったらとうに心が折れている。
「では、行きますからね!」
米山は立ち上がるとどすどすと音を立てながら畳を歩き、外に出て行く。僕らはそれが離れていったのを確認して、母さんの部屋に入る。母さんは僕らが入ると、笑顔で迎え入れてくれた。とても疲れた笑顔で、見ているこっちの心が苦しくなった。
「大丈夫?母さん」
僕は無意識に母さんを心配する言葉が出てくる。母さんは笑顔で、
「私は、大丈夫よ。それよりも時間が惜しいわね。早めに説明するから、ついてこれる?」
と逆に心配される。僕は「大丈夫だから、無理しないで」と返した。母さんは真琴の姿を確認した後、
「これから薫ちゃん達は部屋を出て西の離れに向かってね。これは宗家しか知らないことなのだけど、秘密通路があるの。元々忍者屋敷みたいなものかしらね、この家は。その秘密通路はそのまま少し麓にある森に出るから、そこから獣道をひたすら行けば、神谷ヶ丘のバス停の前に出られるわ。そこからはわかるわね?母さんも隙見つけて何とか離れに行ってみるから。もし母さんが離れに来なかったら、離れの壺を調べなさい。いいわね?」
と一気に説明する。僕はその言葉を頭に刻み込む。僕らが部屋を出ようとすると、
「待って薫ちゃん!」
僕だけ呼び止められる。僕はいなりに隣の部屋で隠れていること、決して聞き耳たてないことを約束させ、部屋に残る。母さんは少し言いづらそうに、口が開けては閉じてを繰り返して、それから、ゆっくりと話しだす。
「薫ちゃんは神島の家をどう思う?」
いきなりの質問で戸惑う。僕はその質問になかなか答えられないでいた。母さんは目を細め、
「母さんの意見はね、この家はとうの昔に置き忘れておくものを残してしまったかわいそうな家だって思うの。戦争が終わって封建制が崩壊して、今までのアドバンテージを失って、時代の流れに取り残されて、『仕来り』や『血筋』を意識し始めて…他の人から見たら馬鹿みたいなことをずっとずっと守り続けてしまっているの。今回のこともそう、誰だって神様のことなんて信じちゃいないのに、『仕来り』だからって縛られて、小さな、そして大事な命を犠牲にしてしまうの…もういい加減こんなことはやめにするべきなのかもしれないわね。馬鹿よね、自分の娘を失いそうになって、やっと解るなんて。もっと早く気づいていれば…あのことも…」
母さんはそこで言い淀み、僕を見る。僕はその視線に哀れみと悲しみを感じた。母さんは僕の表情から何かを読み取り、
「薫ちゃん。母さんと父さんはね、おじいちゃんの送り身のとき、1人の女の子を見殺しにしているの」
と、驚愕の事実を言う。僕は言葉が出なかった。母さんは自虐的な表情で言う。
「おじいちゃんが亡くなったのは、薫ちゃんが小学校4年生のときだったかしらね…そのときに私たちは『送り身』をやったの。けど、その後大変なことが起きたの」
母さんは僕を見て、それから外を見る。きっと母さんには懐かしい映像が移っているのだろう。
「薫ちゃんとその子、仲がよくてね…薫ちゃんが家を抜け出してその『送り身』の現場まで行っちゃったの。母さんが教えられる…というか知っているのはそこまで。そこから先は誰も知らないの。それから次の日に、女の子の亡骸と薫ちゃんが仲良く寄り添って発見されたのを知ってるだけ。だからその間、何があったかは薫ちゃん、あなたしか知らないことなの。それにもっと奇妙なことに、女の子の亡骸はその後死体安置所から消失して、薫ちゃんはその日から数日の記憶を失っていたの。それが前回の『送り身』の顛末なのよ。きっと薫ちゃんはショックなものを見たんじゃないかって…お医者様にそう言われたわ。薫ちゃん。たまに頭が痛むことはない?」
僕はそう聞かれて考え込む。確かに、いつもあることを思い出そうとして思い出せずにいる。頭が痛くなって、思い出すのを阻まれるといったこともあった。
「それは薫ちゃんがその記憶まだ引き摺っているからなの。けどね、薫ちゃん。母さんはもしかしたらと思うの。もしかしたら、薫ちゃんはあの『送り身』の真実を知ってるんじゃないかって。それを神様が知られたくないから記憶を封じたんじゃないかって。『送り身』では、本当に神島の人は殺してないの。夜中放置している間に、神様に殺されるってなっているの。実際に、前回の送り身でも女の子は神島の人が殺したわけじゃないの」
母さんはそれからとても大事そうに、次のことを言った。
「もしかしたら、もしかしたらこの神島の家は神島の神様と嫌な鎖で繋がれているのかもしれない。仕来りという鎖で、血筋という綱で、いくつもいくつも縛られているのかも知れない…そんなことは誰もわからないけど母さんは信じたい」
そこで一拍置き、
「今回も薫ちゃんなら、きっと神島の家の鎖を断ち切れると思うの。母さんはそう信じている。だから、薫ちゃん。自分を信じて。家族も仲間も信じて信じて信じぬいて薫ちゃん。そうすればきっと…道は開けるわ」
母さんはそれだけ言うと、僕らを送り出す。小さく「後でね」と手を振り見送りながら。それから廊下を細かく曲がりながら、目的の離れへ。途中、何度も止まる。保守派の連中が所狭しといるのだ。僕はその人たちに見つからないように、引き返したり、空き部屋に隠れたり、遠回りした。
西の離れは今回誰も使っておらず、ひっそりとしていた。部屋は4つあり、それが襖で仕切られている。全員が離れに入ったのを確認し、襖を閉める。それから、母さんが来るのを待つ。
「遅れてごめんなさい…薫ちゃん。ついてきて」
母さんが来たのはそれから30分後のことだった。母さんは書院造の部屋に僕らを連れて行く。4畳半の畳敷きの部屋。そこに書院造特有の違い棚があり、その下に壺が置かれていた。母さんは壺に近寄り、その壺を上から押す。
ベコッという音がして、壺が置いてあるところだけ沈んだ。それから何かが開く音がして、僕らは辺りを見渡す。母さんは4畳半の真ん中の畳を持ち上げる。その下には、本当に忍者屋敷にありそうな扉があり、それを開くと、下には階段が続いていた。真っ暗な洞窟から生温い風が吹く。
「暗いと思うけど、壁に沿ってまっすぐ行けば出られるから。安心しなさい」
母さんがそう言ったときだった。
「こっちはどうだ?」
「宗家の連中が一斉に屋敷から消えるなんて変だぞ…探せ!」
遠くからそんな言葉が聞こえた。どうやら気づかれたようだ。僕らは急いで順番に階段を下りる。まず真琴が、つぎに白梅が、それから夕子、たま、いなりと続く。次に僕が降りる番になって階段を降り始め、それがちょうど畳みの下ぐらいになったとき、
上の扉が突然閉じられた。
僕は驚いて足を滑らせそうになる。まだ母さんが残っていることに気づき、開けようとするが、びくともしない。やがて、微かであるが声が聞こえた。否、聞こえてしまった。
「おい女!御子をどこへやったんじゃ!」
酒田家の頑固爺だ。母さんはただ、「知りません」と答える。
「知らんはずないじゃろうが!こんのくそアマ!」
ごすっと鈍い音が聞こえた。
人が人を殴る音が聞こえた。ドンと扉に衝撃が来る。誰かが畳みに倒れた音だ。誰が倒れたって?決まっている。母さんだ。母さんが頑固爺に殴られたのだ。頑固爺の暴力を交えた追求は続く。
「宗家に嫁いだからといい気になりおって…ここらで灸をすえんといかんのう!」
また鈍い音。母さんの悲鳴が聞こえる。僕は必死に扉を開けようとする。が、扉は完全に閉ざされていた。母さんへの暴力はそれから4分間止まらなかった。僕は扉の向こうで何もできずただ聞いているだけだった。それから、人が引き摺られる音がして、その後音がなくなる。最後に聞こえた会話は、
「まあいい。話さんのならこちらで探すだけじゃ。何ならお前さんは特等席で『送り身』を見るか?それで自分の娘っ子が死ぬ姿を見て、それから神島の神様に詫びを入れるがいいじゃろ。こいつを地下の座敷牢へでも入れとけ!」
「薫ちゃん…あと、頼むわね…」
だった。きっと母さんは僕がここで聞いていることを知っているのだろう。だから、その言葉を僕に残した。泣きそうになるが、それをこらえて先を急ぐ。暗い洞窟をひた走る。やがて光が見え、外に出る。ずっと暗闇にいたからか、光が目に痛い。
「遅いぞかおる」
いなりに怒られる。皆は僕が来るのを待っていたようで、全員揃っていた。
「お兄ちゃん。ママは?」
真琴の質問が心に痛く突き刺さる。それを我慢して、なるべく傷つかないような嘘で答える。
「母さんはまだ用事があるから来れないって。だから、僕らで早く行こう」
僕は皆に顔を見られたくないから先に行く。その右手を真琴と、左手を白梅と繋ぐ。僕は溢れそうになる涙をこらえて、早歩きで獣道を進んでいく。しばらく長い杉林の中を走る。真琴に合わせて走っているためそれほど早く走っているわけでないが、それでも心は急いでいた。頬にぽつんと水滴が落ちる。涙かと思ったけど、僕は泣いていなかった。やがていろんなところが上からの水滴で濡れていく。
「雨が降ってきた!」
それはぽつんぽつんからぽつぽつに変わっていき、やがてザーッとなる。強い雨の中、僕らは獣道をひた走る。遠くに開けたところが見えてきたときだった。
「いたぞ!」
後ろから声。遠くに振り返ると、黒いスーツ姿の男と紺のスーツ姿の男が僕らを追って走っていた。
「気づかれた!真琴!」
僕は真琴を抱きかかえる。真琴はキャッと小さく悲鳴を上げた。それから皆に向かって指示する。
「走るぞ!」
そこからは出せる全速力で走る。だが、後ろの男たちとの距離は明らかに近づいていた。前の開けたところが何かがわかる。道路だ。つまり、母さんが言う道路に後少しで出れる。だから、もうちょっとだけなんだと自分に言い聞かし、走り続ける。いつのまにか、いなりやたまたちに抜かされていた。後ろには、少し離れた所にあの男たちしかいない。いや、それより遠くに、スーツ姿の男がいっぱいいた。奴らの仲間だろう。男たちとの距離は50mに満たない。
「急いでください!」
道路に見覚えのあるワゴン車が止まっていた。…和人さんだ。
僕は希望を込めて最後の力を振り絞る。
「急げ!かおる!」
「神島君!」
いなりがまずワゴン車に着いていた。その隣には夕子もいる。
「…薫…早く…」
次に白梅が着く。白梅は僕らに手を伸ばす。
「薫!後ろ来てるにゃ!」
たまが杉林の出口で警告する。僕もそれは理解していた。すでに相手の声が十分届く距離にある。あと少し、僕は片手にかおるを抱き、もう一方の手で白梅の伸ばした手を掴もうとして、
渇いた銃声によって阻止される。
僕は前方に盛大にこける。とっさに体を捻らせ、真琴が上になるようにかばいながら濡れた地面に体を打ちつける。僕はまともに息ができなくなる。足が痛い。ふくらはぎ部分から熱い血が流れているのを感じる。ゆっくりと銃を撃った黒いスーツの男が近づく。僕はそれを見ていることしかできない。まともに体を動かせない歯痒さが、全身に行き渡る。
「面倒かけさせやがってこんのガキャ!」
実際そう聞こえた。男は僕の腹を思いっきり蹴る。
「がはっ」
僕は真琴を抱く腕の力を緩めてしまう。男はその隙に真琴を僕から奪い取る。
「お兄ちゃん!」
真琴は僕に向かって懸命に右手を伸ばす。僕は動かない体に鞭打って必死に右手を伸ばす。真琴の手と僕の手が一度だけ繋がり、2度目のキックでその手を離してしまった。
「お兄ちゃん!」
真琴の声。僕はその手を空に泳がす。もうその手には、あの温もりは、ない。
「…連れて行け」
「了解しました。この子供はどうします?」
「一応宗家代理だ。きっちり体に『仕来り』学ばしてから、『お山』に運ぶ」
黒いスーツの男と紺のスーツの男が会話をした後、紺のスーツの男が真琴を連れ去っていく。
「待て!…行くな!…真琴を…真琴を…返せ!!」
僕は出せる限界まで声を出し、紺のスーツの男に言った。男は無視し、そのまま真琴を連れて行く。僕は追いつこうとして黒いスーツの男に殴られ、地面を転がる。そのあと、黒いスーツの男は和人さんの車に向かって銃を発砲した。
「くっ…」
車が急発進する。白梅やいなり、たまが非難めいた表情で和人さんを見るのが見えた。だが、それでいい。彼女達だけでも逃げられればと僕は考えていた。
真琴の悲痛な叫びが聞こえる。
「離して!離してよ!お兄ちゃん!お兄ちゃん!助けてお兄ちゃん!お兄――ちゃーーーん!!!」
どうしてかその声が、ひどく、懐かしく、聞こえてしまう。
――助けて。かおる君!
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!
声にならない絶叫。雨の音さえもかき消す内なる叫び。僕は頭を抱え込み蹲る。
僕が殺してしまった。
―ダレヲ?
僕が見捨ててしまった。
―ダレヲ?
僕が、僕が、守るべきはずだったのに…!
―早苗ちゃんを…!
僕はまた、救える命を救えなかった。雨が無慈悲に体を打つ。僕は涙を流す。体の痛みはとうに感じていない。何度蹴られたのかも覚えていない。2階ほど嘔吐してその後、髪の毛を持たれて引き摺られて、トラックの荷台に乗せられて、気がついたら地下の座敷牢だった。僕はその間ずっと泣いた。心がとても痛かった。また失ってしまった。小さい頃の、懐かしい記憶を思い出す。

――何で牢屋なんてあるの?
――仕来りを守らない悪い奴をお仕置きするためじゃよ。
――僕も破ったら牢屋に入れられるの?
――そうじゃよ。けど、薫は頭がいいから、いいこと悪いことは判るじゃろ?
――うん。僕いい子にするよ。
――そうかそうか。やっぱり薫は賢いのぉ。

結局、僕は仕来りを破り牢に入っている。僕は右手を凝視する。
この手が、この手が離してさえいなければ。
僕はそれをずっと後悔し続ける。真っ暗な地下牢ではそれしかできなかった。涙が止まらない。後悔が頭を埋めつくす。息をするのも苦しい。
僕は、真琴を、救えない。
突きつけられた現実。心は絶叫の上げすぎで疲弊し、体は暴力の跡が生々しい。僕は、疲れてしまった。このままゆっくり楽になりたい。今日はもう休もう。休めばきっと、きっと…

―夢を見る。真っ暗闇で蹲り俯く僕と、それを見ている記憶のままの早苗ちゃん。僕が忘れていた、女の子の1人。
もう1人、今度は僕の体の中から現れる。同じ顔をした少女。ただ、耳の裏、髪の毛に隠れた部分が、髪がかきあげられて露になる。そこにあるのは小さな黒子。それこそが姉妹の違い。双子である彼女を見分けるのはそこでしかなく、それ以外は何一つとして同じだった。髪の色はくすんだ茶色。瞳の色は真琴と同じ灰色。
――覚えているんだ。私が香苗。黒子のついているほう。
――で、私が早苗。黒子のついていないほう。
2人の自己紹介を聞く。僕は顔を上げる。2人の少女はまっすぐ僕を見つめていた。
――ひどいなあ。薫君。私たちのこと忘れちゃったなんて。でも仕方ないよね。そうするように願ったのはあたし達なんだから。
そう言ったのは香苗だった。それに続けて早苗も言う。
――かおる君。今はまだゆっくりでいいから、私たちのことを思い出して。それがいつか、薫君が迷ったときの道しるべになるから…
そのまままた眠くなる。これは夢。結局どこかで聞いた既存情報でしかない。けどなぜか、それが新規情報のように感じられる。きっとこれも錯覚だろう。そう思いながら、深い深い闇へと落ちていった。

走っている車とやらから、俺は飛び降りる。横にいた、運転していた男はびっくりして車を止まらせる。俺は今来た道を引き返す。雨が痛く感じるほど走る。このままだとまた過ちを繰り返してしまう。迷わにゃい。あの出来事は起こさにゃい。もう、後悔なんかしたくにゃい。
――真琴が死ぬタイムリミットまで、あと29時間41分18秒。
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